ホーキンズ博士は、「エゴ(小文字のsで始まるself/小さな自己/自我)と、マインド(頭で考えること)、メンタル(マインドに感情を送り込む機能)、エモーション(感情)、ソウル/サイケ(霊魂)、カルマ(因果応報)、およびボディ(身体)は、ひとつで同じものです」と述べています。これは、『Reality, Spirituality, and Modern Man』に明記されています。
これまで繰り返し述べている通り、spiritは器官的な働きをするエゴとは異なります。霊魂はコンテントであり、人類のコンテクストとしてspiritは『精神』と訳すべきです。
ホーキンズ博士の著作において、spiritsとspiritの複数形が時々登場しますが、それは人類以外の霊魂を指します。人類以外のすべてを示しているため複数形になるのです。ちなみに人は個別の意識を有するものの、他の生物は集合(全体的)意識のみと博士は述べています。先日ご紹介したように、一度のみ「Healing and Recovery』にて一度のみ「spirit really becomes illness」と単数形のspiritを霊魂の意として用いられているのみです。
人の『ego/エゴ』は、コンテント(content / 内容、中身、マテリアルの個々の事象)であり、コンテントのすべてが幻です。
一方の『spirit/精神』は、コンテクスト(背景、前後関係、情況)であり、いうなればその人の生き様についての規定や指針です。言い換えると精神の成熟度は、人類の使命と目的に関するパラダイムの違いを示しています。
すなわち、その人の生き様が、200未満は「何を持つか」のパラダイムの人生で、200以上は人のために「何をするか」のパラダイム、500以上は、自分が「何者になるか」というパラダイムであり、200未満は人間性を示す『精神』に欠けたパラダイムであると分かります。
そういう訳で、私が大好きな両親に認められたい、愛されたい、褒めてもらいたいなどは、実は私のegoによる『見栄』から演じていたと分かります。
すなわち、私はegoにより、スピリチュアルを無視した私の半生は、結果的に自分自身、マテリアルの上辺だけを追い求めていたため、この幻の世界に翻弄させられたいたのです。
そして、私がホーキンズ博士の著作を訳すにあたり当初、最も困ったのは、『こころ』という言葉でした。
はて、『こころ』はどう使えばいいのでしょうか?
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