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2025年08月29日04:00

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人類史上初!ホーキンズ博士の『空/無』の体験談

ホーキンズ博士の『空/無』の解釈に関する論述をご紹介しましょう。

悟りは、手にいれられる状態ではありません。偉大なる自己が、すでに人類の真理であり、単に確実に神に身を委ねることで、その状態はあります。それは、偉大なる自己/真我/アートマンであり、スピリチュアルの情報に属し引き付けられるもののひとつです。

前の意識レベル(700)において、価値、象徴といった‘意味’を重ねて表示されていたように、知覚の幻影は放棄されました。感情に左右され、同一視による喪失や、メンタルの作用の形態である線形の性質について、興味に対する労力の投入を取り消しへと導きます。それは身体とこの世界の現象を含め、一時的で儚いものです。

最終的に、目撃者/観察者/監視人の幻影でさえ、気づき/意識そのものへの中に溶け込みます。それは、非個人的なものであり、自立的であると発見されています。もはや‘因’と‘果’や、‘変化’に関する限界は存在しません。‘時間’に関する幻影も、神の調和の十全性の中へ溶け込みます。何故かといえば、明白なものは概念としての意識によって、認識される結果であるように見えるため、すべての存在でさえ、引き付けられるものや、避けるべきもののどちらも存在しません。

すべては、神に委ねられました。その時、小さな自己の本当に最後の残余は、有罪と宣告されると共に、エゴそのものの核、−命の根源に見えるものとして残ります。それは人類のまさに生命と、存在の原初的根源であり、そして権威です。この状態が生じた時、それは『さらに、なおそれ』は、神に譲り渡さねばならない知識です。この最後の障害は、その最後に残っている恐怖について、突然、破裂による信号があり、それはとても強く、激しいもので、−基本的に死への強い恐怖感です。その時、叡智は浮かび上がります。スピルチュアルのオーラによる原初のもので、‘すべての恐怖は幻影’であり、そして‘死を経験することは不可能’です。従って信頼と献身の結果として、最後の幻影は放棄されます。次に実際、文学的な死の恐怖についての感覚、−この瞬間、とても強烈に痛みます。しかし肉体的死とは異なり、今まで決して直面したことのないものです。これは、唯一最後の可能な‘死’です。死の苦しみが去ったとき、神性の永遠の恩寵について、明らかにされる経験があります。このエゴ/マインドの最後の残余は、実在の静寂の中に消え去ります。神性としての『創造主の十全性』に、あっけにとられ、その完璧さと美しさは、その姿を現して輝き、すべてはすでに経験を超越し、『神よ、いと高きところにて栄光あれ』は『その状態そのもの』です。

注釈:黄檗禅師の『禅の教え』は、否定の道の記述に問題があり、最終的な仏性の状態(計測値1,000)とする『空』(計測値850)の状態を誤って言及しています。『空』についての彼の古典的な説教の後に、彼自身は晩年960の意識レベルに最終的には到達し、その限界を超越しました。ゆえに否定の道は、単に線形(予測可能、ニュートン物理学的、微分方程式で解決可能、直線的因果律的)で、非線形の『愛の真実性』を否定するものではありません。否定の道は、ただ制限された感情の状態により、独自の個人的な執着に限定されたものです。神聖な愛は、全てを含むコンテクスト/情況の輝きとして、本質的な非線形(決定論的、微分方程式で解決不可能、任意的、確率論的、予測不可能、不安定性、カオス的、因果律を超越)のコンテクスト/背景/情況/前後関係であり、普遍的な属性です。
(『Transcending the Levels of Consciousness: The Stairway to Enlightenment』 pp 307-308)

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