もしもあなたが『ア・コース・イン・ミラクルス』の365レッスンを見事終了するなら、50%の確率で、540レベルに到達します。
その領域に到達すると、もう500未満の理性、言い換えると「頭で考えること」は陳腐にみえ、大した能力ではないと気づくものです。
ますます、あなたは先に進みたいと思うでしょうし、またこの情況を分かち合いたいと思うはずです。。
さらに意識を成長させ570付近に達すると、あなたはエクスタシー(ecstasy:三昧)や、こころの底からの喜び(joy)を日常的に経験することになります。
この時点で、人は「隠遁して、悟りを目指す」か、どうかの決断を迫られるかも知れません。
話を元に戻します。
私は、『ア・コース・イン・ミラクルス』に「人のぬくもり」を一切感じない無機質な文章を受け入れられなかったのです。
私は、幼い頃から神の存在を実感していました。
その神の実在は、明らかに私の意識の奥底深いところにおられ、私の機嫌のよい時、どこまでも優しく感じるものの、私が「いい子」を演じていたことにふと気づくと、不気味に感じていたものです。
この感覚は、まさに「意識マップ」の一番左側『神への視点』の通りであることに、あなたは気づかれることでしょう。すなわち「いい子」は200未満なのですね。
そのように様々な波動を的確に繊細に感じていた私は、大方の経典、聖書、聖典や、スピ系の邦訳の多くに不満を感じるのは、どの訳も神の途方もない深い愛のエネルギーを感じることが出来ないためです。
私は、『パワーか、フォースか』や『わたし:真実と主観性』と同様に『ア・コース・イン・ミラクルス』も、神の途方もない温かさを一切感じませんでした。付言すると、それらについて、私は、それらの邦訳について、スピリチュアルの真実性をより正確で、かつ温かみのある言葉にするためにも、英語原典を自分で訳すことになりました。
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