昭和29年7月29日西武柳沢駅南にある「しじゅから第二公園」の東側に爆弾1発が投下され、畑仕事をしていた女性3人が亡くなった。全国に投下された50発の模擬爆弾のひとつ「パンプキン爆弾」だった。
■「模擬原爆」、400人以上犠牲に=米軍訓練、18都府県に49発―続く伝承、進む実態調査・原爆忌
(時事通信社 - 08月07日 07:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8423701
このあたりは、中島飛行機などの軍事工場もあり、爆撃の目標に
なっていたようだ。
最近でも、田無小学校(児童数626人)の敷地の地中から、
小銃の一部や銃剣、銃弾などが大量に見つかった。
昨日の日記「硫黄島からの手紙」にも書いたが、ルーズベルトの
目に入らなくても、この手紙を読んだアメリカ人がいて、何かを
理解したのだろう、そしてそれは博物館に保管されているのも、
同じく感銘を受けた人がいたからだ。
ルーズベルトはドイツよりも先に原爆を完成させようとしたが
完成を待たずして死去。そしてトールマン大統領が引き継ぐ。
しかしパンプキン爆弾は、トールマンの指示ではなく、軍の計画として
実施されたもの。この頃は高射砲も届かず。やりたい放題であった。
戦後80年と言えども、まだまだ戦争遺構は残っている。
朽ち果てたトーチカが全国にあるし、東京湾にだって残っている。
不発弾や模擬爆弾、いったいどれくらい残っているのだろうか。
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