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2024年05月20日17:27

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五月の仲間たちの投稿の一部です。

初台 太郎
通貨の価値を「決める」ものは本来いったい何か?
アベノミクスはゼロ金利政策で、長期間「円安誘導」を強行してきた。「円が300円時代に戻ればあっという間に日本経済は回復する」という、単純な発想だった。いや、いまも継続中だ。
しかし、経済は高度成長期時代と同じく、その屋台骨、市民自体がてらい無く活性化されなければ元気は出ない。力強く伸びられない。
出産(「人口増加」)も同じだ。「民主主義」に(話をもって)行くならば火花の発想による投票行動に真剣には結びつかない。
要するに、「生命体」本来の(実をもった)元気・やる気は出てこない。
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円安の「単純な発想」が残したものは、アベノ自作マスクと同様、形だけの容れ物と、危機をあおるコケ威しの戦争意識のようにみえる。最大労働組合までも(見事去勢し)右へ向かせた。他領域は、推して知るべし。
私から見れば、それは階級意識のエゴイズム、格差といじめに見える。同じくそれはまったくの憲法いじめだ。
それら蔓延は、マスコミ慣例のお気に入り、あのメジャー球団の活性化程度の経済効果にやる気、円安からきた経済面でのわずかな効果、おこぼれのインバウンド需要、見せかけの高層ビルの増加ら、だろう。
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市場心理、金利水準、経済指標、政治的要因、国際関係、地政学的リスクなど、中央銀行が本来為替を決めていくのは多岐で、国民的発想の自由が特質としてなければならない。
中小企業と働く労働者の支援、社会保障制度の強化、労働市場の健全化、労働条件改善、その働く環境の盛り上げ、人間意識の質と働く喜びの、そこを注視する改善と、その実質的な効果だ。
.ところが、形だけ体裁をそろえて、(いわば魂まで無くし)錯誤による悪循環を作ることに懸命だった。いや、いまも継続中である。
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憲法の社会権自体を歪ませて、社会的弱者対策が非正規・パート就労者保護へ行かずして、どこが労働組合か。
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中央銀行は通貨を発行し、通貨供給量や金融政策を調整する。
経済政策を支援し通貨政策と調和し本当の円の実力、国民と国家のアイデンテティ―を示すことだろう。過去の政権政党と一体となって円安誘導し続けることに、その使命と役割はない。
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「アベノミクス・異次元金融緩和が何をもたらしたかを、これほどはっきりと示すものはない!」

https://diamond.jp/articles/-/330607?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR0Y0qMi7ojI0wWALNt1BbRM2zS7zCaw510GUOewIRk7eGHMsof7dtKU4Lw_aem_Af9Dal9noZxLINB-spbfwCmROqkLbFtJ3_pOc6X_KQZE7nZxqKizm7xTZ_u3Kq38IS8c_H8LCZp8UvX20TLM9k40
日本のGDPは世界13位から27位に転落、「先進国のグループから転落しかねない」 / AERAdot.
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https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E6%97%A5%E9%8A%80%E3%81%8C%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%BE%E3%81%A7%E5%86%86%E5%AE%89%E3%82%92-%E7%84%A1%E8%A6%96-%E3%81%99%E3%82%8B3%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E7%82%BA%E6%9B%BF%E3%81%AF%E7%AE%A1%E8%BD%84%E5%A4%96-%E3%81%A7%E3%81%AF-%E7%B5%90%E5%B1%80%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84/ar-AA1o77T5?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR0ldlng86SYe7rJxEtT73SX4VK8LYnfylJTh58MTk3SDyGQh-hUXnts4EI_aem_Af9aj7TP_RVvzHglBogvUTi7goFL46CTJcQJWv--GPNXQNlfgA73-S9_IEfraAcXIT6P5Ml2P871tsyuv0XHSu2Q
日銀がこれほどまで円安を「無視」する3つの理由 「為替は管轄外」では、結局うまくいかない? / 小幡 績 / 東洋経済オンライン
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https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00882/
実質実効為替レートで読み解く本当の「円の実力」/ nippon.com 伊藤元重 東京大学名誉教授 / バナー写真:1ドル=150円台まで下落した円相場を示すモニター(2022年10月21日午後、東京都港区の外為どっとコム)時事
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山崎 順子
◎ AIに、訊いてみましたのじゃ。かいつまんでまとめてみると。
・ ◆ 円安対策として、米国債を売ることの是非?また安全保障上の影響はいかん?
◇ 売却量、タイミング、市場の状況など考慮し、適切なら是。◇ 大量に売却された場合、相手国の経済状況が悪化し、安全保障上のリスクともみられる。ただ、一般的には間接的な影響にとどまる。金利の影響、米国債市場への影響、軍事的要因、外交政策、経済力等総合的に考慮する必要もある。
・ ◆ 米国は国債を乱発しているが、ドルは破綻はないのか?
◇ 破綻はない。ドルの国際的需要と世界最大の経済大国という点、多くの国との貿易や投資が行われていること、米国経済が安定している点から。
・ ◆ 制限なく米国は、国債発行ができるのか?
◇ 基本的に自由だが、議会が定める債務上限、市場からの需要と投資家の信認度という制約、市場への影響や将来的な債務負担の増加への懸念、国債の発行時の利率やインフレーションの影響という制約はかかる。
・ ◆ 日本銀行(中央銀行)がすべてを引き受けて国債発行した場合の、懸念点?
◇ インフレーションリスクや通貨価値の低下は生じる。国際的な信認度や市場への影響の懸念はある。中央銀行に財政負担が移行して、資産構成や運営方針に影響が及ぶ可能性はある。市場や投資家の反応、経済格差や不平等な分配の社会的懸念と抗議は(財政状況の信頼と安定見地から)払拭は難しい。
・ ◆ 長期間のゼロ金利またはマイナス金利政策が経済成長に結びつくことが無かったことの立脚点とその脱出路は?
◇ 需要を喚起し消費行動や投資を起こすという目的と効果面の健全な支えと、財政政策との連携が必要となります。労働者環境の改善、意欲増進のための全体の意識改革も必要です。
など
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意識 つくろう
◇ 記憶と瞑想
非常に脆弱な記憶というものをどう扱うかが、AIと比べたときの勝負のしどころにみえる。
1GBほどの記憶容量をどう生かしていくかは、本当は非常に切羽詰まった現代的状況のなかでの、進化の闘いである。
あまりにも日常的で(騙されて)甲乙をつける、自覚自体が飛んでいるのではないか!場合によってはあまりに悲惨だ!
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その1GBのメモリーは一方で、「忘れられない」ことまでをももっている。それは治療の対象となるレベルで、しかも「事実でないこと」までも含んでおり、頭の使い方としては重大なポイント事項になる。
強いて言えば、AIと比べて、大切なことは「バカ」は「バカ」なりに、原点に戻って主体的な人間らしさの振り分けをしろとの教えでなかろうか?
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それは「雑」の巧妙でもあって、「『忘れる』ことを前提に、大事なことや本質的だと思うことのみを記憶し、想起」することとの大切な連関といえる。
「瞑想」の「抽出」ということー 人間の魂意識の中心ステーションに脳の位置を置けよとの教えとなる。
現代人は1GBしかないのに、頭は余分なことをやり過ぎて、そのため肝心なものが見えなくなっているという教えである!
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https://www.msn.com/ja-jp/health/other/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6%E5%AE%B9%E9%87%8F%E3%81%AF1gb%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%9C%AC%E6%9D%A5-%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%8C%E5%A4%A7%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%92%E8%A6%9A%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E9%A9%9A%E3%81%8D%E3%81%AE%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF/ar-BB1mt6Vo?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=2cdd83495e0b403e8d0562d79bfa8a6e&ei=7&fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR1loAy97OKJDzM9S_s7fOgbLPfC_cdCBLt7BLj2un4Cyv0YHHKBOZt51zo_aem_Af-Eg-1cft0TFzCRfcrDCaluKUihfNq56ZqoiiHA6nrZ2AuOGU-Dbk9ss9fHU-UxM2ouuRNxicRPMgO-7cc3iVvR
脳の記憶容量は1GBしかない…本来「記憶に向いていない」人間!「何回説明しても伝わらない」が、なぜ起こるか? / 今井 むつみ 慶應大教授 プレジデントオンライン
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佐藤 かぐや
けっきょく「瞑想」(最広義)の問題なのだと思います。「以心伝心」がないから伝わらない。ただ伝わればよいというものでもない。
「瞑想」(最広義)過程の「抽出」「集中」はそのためにあり、「観照」(サマーディ)は「魂」の領域で魂が知り見て理解するものを、肉体脳に伝達しようとする。
それが主体的に為されることが「雑」たる現象界がある意味と思います。
だから、1GBで足りる、AIに勝つことができる。
ちなみに、「瞑想」は「ヨーガ」「座禅」に置き換えることができなければならない。
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中村 高徳
プーチンやバイデンも習近平とトランプも、大きな視点と精妙さからみれば、「人類当事者」としては、まさに「善と悪との両面」をもつ。それが(進化途上の、伸びしろある)偏見が全くない見方になるのではないか。
その点では、次の歴史的霊的書には、考慮するに値する深い含みを持つ「真実」を感じる。
ー 善とは一つの原理に関するものであり、すべての形態に宿るリアリティー、魂を通して明らかになる人間の霊、子を通して顕現する父に関するものであると言うことができる。
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これに対して悪は形態、器、物質。そして子とその顕現体との関係に関するものである。
もし(宇宙的もしくは人間としての)神の子が形態に限定され閉じ込められ盲目にされているならば、それは彼に対する悪の力である。
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一方、形態に束縛されない自己に気づいており、物質の束縛から自由であるならば、それは善の力である。
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物質からの完全な自由は至福つまり快楽ー実現の喜びーを引き起こす。
一方、悪は苦痛を引き起こす。
というのは、内なる支配者が顕現体によって限定されている限り、彼は苦しみを味わうからである ー
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つまり、私たち一人ひとりが、(進化の)いまを、苦しみと喜びを招く、いずれかの「種子」を蒔きながら、「人類当事者」として生きている…。
それを、自らへの深い洞察(観察)により(その魂と霊的生命のレベルで)知ることでないか!? 各自が…、
「汝自身を知れ」というのは。
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木霊 禅
◇ 歴史から学ぶ人間組織の拡大に関する一考察
イスラム帝国やモンゴル帝国は歴史上自由な思考を赦す「寛容さ」、先端技術と多様文化と最新情報を利用、駆使できる「包括性」と、価値観の「柔軟性」で共通したものがありました。イスラム勢力は当時の地中海から北アフリカ、インド、ユーラシアを臨む広大な版図を全盛期に席巻しています。モンゴルのジンギス・ハンのシルクロードを辿る権力制覇に関してはご存じの通りです。
分断と原理主義の末路は、実はイスラム教の歴史自体がこれを教えてくれているといえます。
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組織に人間たちが集まるためには、「柔軟性」と「包括性」、「寛容さ」が必要になるということ。
現在のイスラム教は、それと真反対の原理主義の分断と排他主義の道へ進もうとしています。組織の拡大と縮小からいうと、上記とは真逆なのです。
寛容性の無さ、内部の分離と対立、他への包容力の否定。それはイスラム教自体がもつエネルギーを打ち消していくはずです。
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この点からは、例えば現代のたぶんヒンドゥー教徒モディ首相は、「柔軟性」と「包括性」「寛容さ」を政治に塗り込めれば、イスラム教徒(目下15%)の穏やかな統率が可能になるかもしれない。統一のため、かつてガンジーが苦労したことがらです。
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「分断と原理主義、と排他性」の攻勢局面は、たしかに、一時的には非常に強力なものです。
しかし、歴史が示しているのは、支持者を失なっていく兆候の点。
持続的拡大の兆しでは、少なくても無いようなのです。
あえて極論的推論を重ねるなら… 家庭でも、教育でも、政党でも、一般の組織でも… 長期的に眺めるなら同様のことが言えるのではないでしょうか。
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柔軟性と包括性、寛容さは、「矛盾」という「分断や排他性からの批判」がある、つきものです。
それに委縮することなく、むしろ、その「矛盾」という現象界的苦闘のなかで、現在見えていない多くの価値を人間たちは見出していくべきです、果敢に。
論理的な整合性を友だちにしてです。「柔軟性」と「包括性」と、「寛容さ」を武器にです。
その「矛盾」は(別視点からは)宇宙の両極のミクロ・超マクロのダイナミズムの観点から、人間の(今の)「認識」自体か隙間だらけ穴だらけを示しているに過ぎないからです。
(批判に)萎む必要はありません。
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山崎 順子
立憲民主党は、民衆を包摂できる、長期的な国家転換のヴィジョン、柔軟な国民政党となる大衆目線まで無くしてしまった。
全体を見据えた、野党がどうあるべきかという視点がない。
奉仕と犠牲の(共産・民社やれいわを呑みこむ)寛容的視点がないから、他野党の粉骨砕身まで比例の勝ち目などの自党の権勢欲が生まれるだけで、鼻でせせら笑うだけとなっている。
自公の対立軸として立つ、大きな国民の底力を上げる犠牲的精神と内需喚起の国民の底力を上げる、自公維とは異なる、本来野党がどうあるべきかの、全体を見据えての、矛盾をも包摂できる、最も大きな振り分けができない。大衆の中にいないから、汗や泥や汚水を被って大衆を活性化できない。あるべき人気を逃すどころか嫉妬にその本来合わせるべき合同力を逃そうとするかのようだ。
だから、政策神経症のようになって、悪のごり押しのような自民党にすら勝てない。(必死の)人気が沸き出ない!
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初台 太郎
AI導入から十分な熟慮期間がないまま、いま人類はいわば自殺行為同然のAIの開発・利用の落し穴に嵌まってしまったかのようだ。
倫理観を持たないAIによる軍事兵器の行使、特に核行使の点。データとプログラムによって動くだけで、生命体特有の欲望も感情も持ち合わせていないAIの核行使のことだ。
何らかの価値観の発露の自然な源、根底に何らかの良心、道徳、宗教などが無いままに、ましてや人類による統御が欠けたAIによる自律的投下がなされれば、人類史上この上ない不幸だ。
一方、人間の開発した自律的能力増大装置で、最大の害悪核兵器が、何層倍ものブーメラン的害悪を人類にもたらす状況が生まれようとしている。
自律型兵器システムやドローン、AI監視システムなどがすでに利用され始めている。
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だが、AI自体は欲望も感情も持っていない。AIのあらゆる活動と結果につき責任があるのは、その点から人間だけだ。
それは、人間自体に改めて、手放してはいけない規範意識と枠組み、あるべき長期的な視野、倫理的リテラシーというものを、その原点から私たちに突きつけている。
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間に合うかどうかのギリギリのとこに、人間たちは置かれているのだ。
最悪のシナリオに対する対策には切迫感がある。…倫理的ガイドラインと規範の設定、権力とその開発の透明性と説明責任、独立した企業と権力の監視と、違反に対する厳しい罰則、グローバルな倫理基準の確立、国際条約の推進、フェイクニュースの阻止と、プロパガンダに対抗する良心的なメディアの育成と成長と市民参加、AIの逸脱・乱用を阻止するフェイルセーフメカニズム、公共的キャンペーン、大衆の意識教育に善導、並び教育システムの改革など、ざっと挙げられる。
たしかな視点を、人類は目先の落し穴に嵌まるのではなく、強い意志で長期的な進化の弧に見出していかねばならない。すべての因果は人間にある。
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木霊 禅
◇「唯物論」と「唯幻論」、「唯心論」と、「存在」のエネルギー
これらすべてのエネルギー的交流よって現象界は生まれてくる。
マルクスと神、プーチンとネタニヤフ、『ヨーガ・スートラ』と『般若心経』が、(少なくても)すべてを意識化し対象化し相対化する。プーチンとネタニヤフによって、マルクスと神は地へ堕とされた。
飛び切りのこれら難問を解くため、心をも修復する夢と同様に… 混沌、非継続的で不規則で偶発的。別の次元に立たなけばハッキリとは見えない、夢の真夜中に自分自身を知る旅へ出るという釣り合い。
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『唯幻論』と『ヨーガ・スートラ』と『般若心経』は、「救い」を「原点」へ戻す絶大なパワーと秘めたる霊的技をもつ。超ミクロの粒子的舞いの… 衝突、融合的接触、統和、破壊、消滅という調整が、質量(超ミクロのマインド・スタッフ)の微粒子が引き起こす微粒子的調整がある。
サムスカーラ(「種子」)が対象から根(「サムカーラ」)、茎と葉と花へ成長させていく。固有の物質的現象の教えは、緻密で深く精緻で、意識がまたぎ心の奥で神を感じさせる。
チッタによる双方への振動と統御、ニローダなどの自己再生的な想念の働き、個の魂が霊的な生命を見分ける「過程」で自分自身を知ることになる。
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プーチンとネタニヤフは、一般の私たちと同じように、きっとまだ自分自身を知らないに違いがない。
物質的現象にある『般若心経』の「罣礙」。「覆い」(とイリュージョン)の先には、「種子」すらない世界の「真実」があると、「心無罣礙(けいげ)無罣礙故 無有恐怖遠離 一切顛倒夢想」が、そう教えている。
「共同幻想論」で吉本隆明が一生懸命になっていたことは、数多くの人間界の欺瞞と結果的に霊的視角だろう。
ただ、衣食住が欠けるだけで、一般大衆は不自由で深くまともな人間的思考が奪われる。そのことをプーチンやネタニヤフがあっさりと示した。
事象界ではハッキリ見えない「存在」という次元において、宇宙のエネルギーのダイナミズムから、さらに私たちは「存在」の光のため、決して臆することなくより精妙な「調整」のありかを求めていく必要がある。
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佐藤 かぐや
瞑想は無為、完全な無為だ。
瞑想は難しいものではない。
瞑想は、目を閉じて座り、
呼吸法を実践し、
意識を抑制したり、引っ張ったり、
あちこちに持って行ったり、
あれこれに集中することではない。
これらすべては瞑想ではない、
それは訓練であり、
瞑想とは何の関わりもない。
訓練を求めているなら、
それは別の話だ。
その類いの瞑想は訓練だ。
私の見解では、
瞑想は休息であり、
完全なくつろぎだ
Osho
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◆「私の見解では、瞑想は休息であり、完全なくつろぎだ」(OSHO)
完璧にそれはそれでよいと感じられます。
「瞑想は難しいものではない。」ー だから、座禅やヨガや呼吸法などの要素にある「訓練」とは異なっているものです。
とはいえ、座禅やヨガや呼吸法などは、瞑想へサマーディーに至る、人間たちの立派な「下地」にはなっているはずです。
ただ、過分となり権威づけられ、現象界の「日ごろ」から遠避けている。いわば、専門家集団の壁が作られ、難しくなり、奇矯にサイキックな自我の強化へ歪められたものも多くあります。自然でありません。
あげくに、支配の用具になったらそれは最悪です。
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◆「瞑想は無為、完全な無為だ」(OSHO)
完璧にそう思います。だから本来日常的でそれ自体は簡単である必要はある。
ところが、現在「休息」や「くつろぎ」から遠いものになっています。
専門家集団的肉体脳が重厚な形式や、解釈の蓋を設けて、「休息」や「くつろぎ」から遠いものにしてしまっている。
本来は「無為」も、「統御」も「抽出」や「集中」も、同時に「日常のなか」で「すっと」やってくるものです。もちろん、「基礎」になるもの、「下地」もあるでしょうが、本来(座禅、ヨガ、呼吸法などによる)「訓練」の名での制約は不要なものです。「下地」・「基礎」がなくてよいという意味ではありませんけれど。
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「無為」は、上記の一連の流れに、現象界のいっさいの不干渉、無制約、非接触ということを示すものです。
実際上瞑想は現象界自体で役に立つ。
たとえば、「意識の選択」ー 人の「全過去・全記憶・全体験」のなかの心と意識の「選択」において、自分の中に、自分で自分を救う心の奥底に神聖な宝物が眠ったままでいる。それを見つけ出し、感ずる神性により選り分け、拾い出していく…その作業が現象界での今の救いとなる。
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小宇宙の、本質的な高位我の火とパーソナリティーの隠れた火が融合し、一つとなって聖なる炎と溶け合う…一つの火としてこの太陽系で人間は燃え上がる。
現在の肉体・物質を霊に適したものとして、いっさいの「無為」のなかで、進化の次の経路へと人間たちと人類を「解放」していく。
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意識と心は、そのための棲(す)み分けをしようとしている。日常のなかでも。
単なる時空と空無のはざまで、唯一無二の、歪みをとる。
いわば、心と意識の切り替えの作業です。
AIと物質脳に困難な、「休息」と「くつろぎ」のなかの「識別」の技がある。
瞑想という「無為」で、私たちの現象界の「有為」は成り立つ。
その「選択」は随時心は平素為されていくことを、完璧な喜びとして今も多大な期待をもっている。
下地をもって、休息と安どのはざまの、完全なくつろぎの日常のなかでも、それは不意に現れるものです。
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