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2024年04月13日08:10

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能登半島地震ボランティア

 珠洲市のボランティアに一泊二日で行ってきた。朝、8時に金沢駅西口団体バス乗り場に行くと既に多くのボランティアがバスに乗っていた。最後部の真ん中の席に陣取り、以降帰りまで私の指定席となった。穴水のベースキャンプまで2時間、更に珠洲市のボランティアセンターまで1時間のバス旅であった。途中ブルーシートの屋根が見え、珠洲市に入るころにはつぶれた民家が数多く見えることとなった。一見無傷の家も多かったが、傾いた家も多く見た。軍艦島はなだらかになっていた。
 ボランティアセンターに着くとすぐに集められ説明、チーム分けや運転手、ナビの選定などが行われ、すぐに現地への派遣となった。ボランティアの中からリーダーが決められ、スマホに現地の持ち主や住所、地図などが登録され、我がチームは軽トラック4台、(作業道具も自ら選定し軽トラに積み込む)8名が出発した。最初の作業は外観はほぼ無傷の事務所から壊れた家財や倒れたげた箱などを運び出し震災ごみ仮置き場まで運ぶというもの。後から応援部隊も来たので時間内で終了。センターに戻る。これで本日は終わりかと思ったが直ぐにほかのグループと合同で次の現場に移る。ここは外のコンクリートごみを軽トラに積んで仮置き場に運ぶだけだった。仮置き場のシステムも出来上がっており、持ち込みできるものできないものが明示されており、ごみの種類により置き場所が決められ軽トラでスムーズに置きながらの移動が動線ができていた。
 ベースキャンプに戻ると弁当が配布され、食事室で食事ができた。宿泊は体育館の中にぎっしりテントが張ってあり2m四方でかなりゆったりできた。ここは廃校となった中学校(現在一部航空高校が使用)で能登空港の近くである。ここのシステムも良くできており感心した。
 翌日の現場は、家が傾き中の家財を取り出し仮置き場まで運んだあと解体するもの。床が抜けたり、天井が落ちたり、ふすまが固定され開かない、埃だらけの危険も伴う現場であった。私は初めてであったが他のメンバーは段取りを理解していた。正味約3時間の作業であったが埃だらけになりながらの体力も使う、それらしい経験となった。途中持ち主との会話や差し入れ(コーヒーやポカリスエット)の休憩をはさみ仮置き場までの搬送後ボランティアセンターに13時30分に戻った。センターには水分補給の飲み物も配布、珠洲応援の物品も販売していた。
 ベースキャンプ経由で金沢駅に17時30分に戻り、18時のかがやきで帰京した。
被災者は一様に感謝の意を示してくれていたが、私は石川の出身で他に用事も作れるが、他の多くのボランティアはこれのために交通費や前泊代を負担して複数回(多くが3回目と答えた)参加しており感謝だ。震災ボランティア活動は非日常の世界であり、この時間の流れの中に人生を考える価値があるのかもしれない。
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