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2024年03月28日01:51

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源明子とスズ子、引退。バトンを水城アユミに

大河関係で昨日、安和の変について書いた、藤原道長のもう一人の妻、源明子を書くためだ

源明子は(康保2年(975年)頃に産まれ永承4年7月22日(1049年8月23日)に没している。左大臣源高明の娘で母は藤原師輔女の愛宮で異母兄に源俊賢、同母弟に源経房がいる。

安和の変による父である源高明の失脚後、叔父である盛明親王の養女となり親王の没後は東三条院(藤原詮子)の庇護を受け、従兄妹同士である藤原道長と結婚し高松殿と呼ばれは四男二女で頼宗、顕信、能信、寛子(小一条院女御)、尊子(源師房室)、長家になる。

源倫子が嫡妻とみなされ、源明子は「妾妻」とみなされていた(小右記より)

藤原道長が失脚を計った東宮敦明親王(小一条院)を娘の寛子の婿として迎え、共に桟敷見物をするなど、両者の緩衝としての役割を果たした人になる。

尊子(源師房室)の孫娘である藤原賢子は白河天皇の寵妃として堀河天皇の国母となり頼宗の孫娘である藤原全子が藤原頼通の孫である藤原師通(尊子の孫でもある)に嫁いで
嫡男である藤原忠実を生み源明子の血筋は皇族、および五摂家に繋がっていく、源明子は今上天皇の直系祖先でもある。

倫子の子どもたちは、源雅信の影響もあり嫡子扱いを受け明子の子どもたちの出世の範囲は限られており、高い地位に就くことができなかったのに歴史は不思議な流れを生む。

今朝もブギウギを

ター坊が手配をし司会して、スズ子の引退記者記者会見が開かれた。鮫島とのやり取りがメインとなったが脚本家が描きやすかったんだろうと思う。

水城アユミに勝てないことより、水城が騒がれて自分が忘れ去られることは悔しいけど身体が言うことを効かなくなった、最高のパフォーマンスをみせられなくなったと

実際、淡谷先生は1980〜1990年代に批判していたが、この当時は口パクがなかったか、笠置シズ子が嫌っていてしなかったのだろう。実際、パフォーマンス組と歌組のグループでない以上、激しいパフォーマンスでの歌は限界があるらしい。

鮫島の羽鳥先生はどう思っているかの質問にも、これからも素晴らしい曲を作るだろう、福来スズ子の大部分を作ってくれたのは先生、心から感謝をしている、それ以上のことは何もないと答えるスズ子。

鮫島はスズ子に寂しい、最後に一曲歌って欲しいというが一曲じゃあ止まらなくなってしまいますわと自分らしく答えるスズ子、鮫島って嫌味にスズ子を追いかけ回したんでなくファン代表だったのかもしれない。

OSKの秋山がスズ子に会いに来て歌手引退を受けて大阪から飛んできて最高の先輩だったと、自分は現役で後輩を指導すると

そこに股野と水城アユミが来て辞めないで欲しい、目標に頑張りたいというもアユミが力をくれて、あのステージが出来た。でも何時もアユミが前で歌ってくれるわけにもいかないアユミにバトンを渡したと、本当はここで大和礼子の名を出しても良かったけど脚本家が忘れたかあえてかはしらない。

日記はもうとじよう
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