mixiユーザー(id:4597260)

2024年02月02日20:46

92 view

追悼〜アホの坂田、八代亜紀、篠山紀信〜波乱の芸能界

〜一度、篠山紀信宅を訪問して、、〜

元旦から波乱の幕開けになった2024年だが、遅ればせながら、
昨年末から今年の1月に亡くなった三方の思い出を綴ってみたい。(以下、敬称略)

がく〜(落胆した顔)坂田利夫、なんだかもう亡くなっていたと勘違いしていた。
相方の前田五郎と混同していたのかな?
72年に「アホの坂田」のレコードが発売され、全国の坂田という子が
「アホ呼ばわり」されたというが、私の周りに坂田姓の子がいなかったせいも
あるがほとんど聞いたことがない。関東では、それほど知られていなかった。
80年頃、漫才ブームと合わせて知ったくらいだ。


がく〜(落胆した顔)八代亜紀、1973年、オーディション番組の「全日本歌謡選手権」で
フォト
10週勝ち抜いて、新たにレコードデビューした時を覚えている。
ちょっと水商売っぽいけれど、綺麗なお姉さんだと思ったよ。
80年レコード大賞を受賞した「雨の慕情」より、その前年の「舟唄」
の方が彼女の代表曲を曲として挙げる人が多い。
私も舟唄の方が良いな。というより「雨の慕情」はちょっとチープというか、、

私は20歳くらいの時、ある熟年夫婦の家に下宿していた。
他にも下宿人がいて、部屋は個室だったが、トイレ、風呂場、そして食事つき、
ダイニングルームで大きなテーブルを挟み、常時4,5人で食事するといった形

いや、その下宿生活のことを書きたいのではなく、そこの奥さんが
演歌、特に八代亜紀のファンでLPを良くかけていた。
そこで自然と耳に入ったのが「雨のカフェテラス」
https://www.youtube.com/watch?v=CUZO_gt40yA

これは再デビュー曲「なみだ恋」のB面というより
当初、A面候補だったという
なみだ恋の舞台が新宿の裏通りなら、こっちは高級感のある赤坂で、
カフェテラスという73年当時は、洒落たフレーズがある。

あと「みなとえれじい」も、そのLPに収録されて印象に残っていた
https://www.youtube.com/watch?v=lYmW4xyVkuc


この曲はアルバム曲なんだろうね。歌詞を憶えていて、
後年ネットをやるようになった時、歌詞で検索して行きついたんだ。
意外だけれど彼女、オリコン1位がないんだね

がく〜(落胆した顔)篠山紀信は、いつその名を知ったのかな?
1972年1月、雑誌「プレイボーイ」で、
彼が撮った栗田ひろみのグラビア「放課後」
フォト
が掲載された時は、もう名前を知っていたような気がする。

72年くらいからアイドルブームに乗ってブレイク。
フォト
なんといっても、風貌からし、あの髪型は
目立った、井上陽水と並んで2大天然パーマ

シンシアのレコードジャケットも72年の5月、「純潔」から担当した。
それまで写真家、それも女性を撮る人は秋山庄太郎、立木 義浩だったが。
立木義浩が撮ったシンシアのジャケットも良いと思うんだが。
フォト
この「ともだち」の髪の舞い上がり状態とか。
篠山紀信が撮ったシンシアのジャケットで良いと思ったのは

フォト
赤塚不二夫の「天才バカボン」でカメラ小僧が名前を聞かれ
フォト
「篠山紀信」と名乗ったのもこのころだね


シンシアと1979年に結婚したんだが、私は彼女の歌のファンだから
あまり感じることはなかった。まぁ女性関係で悪い人でなないから、
いいんじゃない?というレベル。

、、というか、、私は篠山紀信の家に行ったことがあるんだな!
20年ほど前、友人3人と、彼らは紀信の家を既に知っていたので
付いて行った。紀信ではなく、彼の奥さん、つまりシンシアの誕生日に
花束を渡しに行ったのだ。公表で49回目の誕生日に「50本」のバラを
持って行って、彼女も快く受け取ってくれた(^^:

もう、彼の家が、どこにあったのか思い出せない。

がく〜(落胆した顔)あと、エスパー伊東とか
フォト
電撃ネットワークの南部虎禅、
フォト
まぁああいう芸をしていたら長生できないだろうね

松本人志は、もう芸能界に戻って来れないだろうね。

14 30

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年02月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
2526272829