〜一度、篠山紀信宅を訪問して、、〜
元旦から波乱の幕開けになった2024年だが、遅ればせながら、
昨年末から今年の1月に亡くなった三方の思い出を綴ってみたい。(以下、敬称略)
坂田利夫、なんだかもう亡くなっていたと勘違いしていた。
相方の前田五郎と混同していたのかな?
72年に「アホの坂田」のレコードが発売され、全国の坂田という子が
「アホ呼ばわり」されたというが、私の周りに坂田姓の子がいなかったせいも
あるがほとんど聞いたことがない。関東では、それほど知られていなかった。
80年頃、漫才ブームと合わせて知ったくらいだ。
八代亜紀、1973年、オーディション番組の「全日本歌謡選手権」で
10週勝ち抜いて、新たにレコードデビューした時を覚えている。
ちょっと水商売っぽいけれど、綺麗なお姉さんだと思ったよ。
80年レコード大賞を受賞した「雨の慕情」より、その前年の「舟唄」
の方が彼女の代表曲を曲として挙げる人が多い。
私も舟唄の方が良いな。というより「雨の慕情」はちょっとチープというか、、
私は20歳くらいの時、ある熟年夫婦の家に下宿していた。
他にも下宿人がいて、部屋は個室だったが、トイレ、風呂場、そして食事つき、
ダイニングルームで大きなテーブルを挟み、常時4,5人で食事するといった形
いや、その下宿生活のことを書きたいのではなく、そこの奥さんが
演歌、特に八代亜紀のファンでLPを良くかけていた。
そこで自然と耳に入ったのが「雨のカフェテラス」
https://www.youtube.com/watch?v=CUZO_gt40yA
これは再デビュー曲「なみだ恋」のB面というより
当初、A面候補だったという
なみだ恋の舞台が新宿の裏通りなら、こっちは高級感のある赤坂で、
カフェテラスという73年当時は、洒落たフレーズがある。
あと「みなとえれじい」も、そのLPに収録されて印象に残っていた
https://www.youtube.com/watch?v=lYmW4xyVkuc
この曲はアルバム曲なんだろうね。歌詞を憶えていて、
後年ネットをやるようになった時、歌詞で検索して行きついたんだ。
意外だけれど彼女、オリコン1位がないんだね
篠山紀信は、いつその名を知ったのかな?
1972年1月、雑誌「プレイボーイ」で、
彼が撮った栗田ひろみのグラビア「放課後」
が掲載された時は、もう名前を知っていたような気がする。
72年くらいからアイドルブームに乗ってブレイク。
なんといっても、風貌からし、あの髪型は
目立った、井上陽水と並んで2大天然パーマ
シンシアのレコードジャケットも72年の5月、「純潔」から担当した。
それまで写真家、それも女性を撮る人は秋山庄太郎、立木 義浩だったが。
立木義浩が撮ったシンシアのジャケットも良いと思うんだが。
この「ともだち」の髪の舞い上がり状態とか。
篠山紀信が撮ったシンシアのジャケットで良いと思ったのは
↓
赤塚不二夫の「天才バカボン」でカメラ小僧が名前を聞かれ
「篠山紀信」と名乗ったのもこのころだね
シンシアと1979年に結婚したんだが、私は彼女の歌のファンだから
あまり感じることはなかった。まぁ女性関係で悪い人でなないから、
いいんじゃない?というレベル。
、、というか、、私は篠山紀信の家に行ったことがあるんだな!
20年ほど前、友人3人と、彼らは紀信の家を既に知っていたので
付いて行った。紀信ではなく、彼の奥さん、つまりシンシアの誕生日に
花束を渡しに行ったのだ。公表で49回目の誕生日に「50本」のバラを
持って行って、彼女も快く受け取ってくれた(^^:
もう、彼の家が、どこにあったのか思い出せない。
あと、エスパー伊東とか
電撃ネットワークの南部虎禅、
まぁああいう芸をしていたら長生できないだろうね
松本人志は、もう芸能界に戻って来れないだろうね。
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