mixiユーザー(id:1397418)

2024年01月25日00:27

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ヒステリックブサイク

どうもヒステリックな時代になったなあと感じる。
現実には若い者は、穏やかな人が多く、団塊ジュニアと呼ばれ昭和の末期が青春時代だった僕らの方がむしろ荒れていたと思い返すが、SNSなどのネット世界をみるとこれでもかってくらい荒れている。あの穏やかな若者たちも夜な夜なネットでは荒れ狂っているんだろうか・・と思うと、なんだか人間不信に陥りそうである。
まあそれも氷山の一角だとは思うんだがね。
前も書いた、マイミクになった人のページは、他人を糾弾し集団で寄ってたかっていじめることを主としている。ミクシーでちょっと頭のおかしい人間をあぶり出し、あぶり出てきたところを待ってましたとばかりに全員で叩くのだ。
SNSなどの世界は、どこも必ず頭のおかしい常軌を逸した人間はいて、そのためにそういう人間はブロックするという装置がある。匿名で好き勝手いえる状況は、常軌を逸した人間がその本性を晒しやすいのは、インターネットの性質上仕方のないことで、いくら公序良俗をうたったところで、そんなの聞く耳もつはずがない。そういうのは潰しても湧き出てくるもので、今の時代なんかは、ほとんどのユーザーがそれを織り込み済みでネット利用している。
ただここで注意しなければならないのは、その人が常軌を逸した人間なのか、ただ単に自分が気に喰わないだけなのか、の峻別だろう。
よくネットの議論でありがちなのが、ちょっとでも意見が食い違ったり自分にとって気に喰わない発言だと、その人の意見を殊更に悪く誇張して反論する。言われた方は不本意ゆえに、それに対する言い訳をしだす。段々にめんどくさい方向に流れていき、言われた方がどんどんドツボにはまっていき、言い訳すればするほどあたかも常軌を逸しているような印象になっていく。
よくよくみてみるとごく普通の人が、気が付いたら「頭おかしい人間」として晒されているなんてことが往々にしてある。
こういうのを見るにつけ、正義とか公序良俗を持ち出して、ただ自分が気に喰わないだけの人間を、モラルの欠如した精神疾患者にしたてあげる奴の方が常軌を逸しているなあ、と思ってしまう。
で、意図的にそういう獲物をあぶり出して、寄ってたかって頭のおかしい人間に仕立て上げ、大勢でその人をぶっ叩くことを生業とする上記マイミク界隈の連中は、僕から見ると、叩かれる奴よりよほど頭がおかしくみえてしまう。彼らは、おそらく正義の恍惚感に溢れているのだろう。日常のストレスを発散するのに、誰かをぶっ叩きたい。叩かれてもやむを得ない悪人を作り出し、そいつをぶっ叩けば、良心の呵責もなく正義の恍惚感も味わえる、という構造だ。
まあそういう網に引っかかる方も頭悪いんだけど、網に引っ掛ける方は品性の欠片もない悪趣味で、味噌も糞も一緒な世界にしかみえない。
なんだろうな。イメージでいうと、関東大震災の後にその鬱憤をはらすように「朝鮮人が井戸に毒を入れている」という流言が横行し、「正義の」自警団を形成して朝鮮人を虐待した事件みたいな感じか。あれも、「朝鮮人が毒を流している」ということを既成事実のように錯覚させることで、「悪の」朝鮮人を虐待しても良心は痛まないどころか、正義の恍惚感も味わえて、フラストレーションの発散にもなるという歪んだ心理メカニズムだろう。(この事件に関しての群衆の集団ヒステリーは非常に浅ましいとは思うが、かといって僕は朝鮮人は嫌いです。それとこれは別!)

さて、なんでこんなことを言ったのかというと、件のマイミクのつぶやきなどで、どうも自分のページのみならず、あぶり出した頭おかしい人間を糾弾するコミュまで作っているということがわかり、どんなものかとツラツラ読んでみたらそりゃーひでーわ、な内容だったから。
まあ、僕も見なきゃいいだろう、と我ながら思うのだが、好奇心で覗いてしまったんだね。そういう自分にも悪趣味なところはあって、そこは否定できないんだが、うーむ、ミクシーに20年近くいて、こんなひどいのがあったとはね・・ちょっとガッカリだったのもまた偽らざる気持ち。まだ、公序良俗的にこれどうなの?っていうようなエロコミュのほうがマシで、まあ僕もエロい人間だからなんだけど、むしろエロ爆発くらいのほうが健全じゃないんか、と思える。
登録しないとみれないコミュもあり、そんなとこに登録するのはまっぴらごめんだから、公開されているところだけみてみたが、まーひどいことひどいこと。むしろ言ってて恥ずかしくないの?ていう内容なんだが、例えば以下のようなコミュ。
https://mixi.jp/view_community.pl?id=6370188
これはなんだ、5ちゃんねるに書き込まれた犯人を特定するコミュなのか?
ウンザリするのが、ほとんどのメンバーが女で、しかも醜い悪罵の限りをついていること。さらに、文章はそこそこしっかりしていて、それなりのところに勤務し、学歴もほどほどありそうな感じもする。
女性の地位向上の時代でありそれについては素直に良いことだと思う。がしかし、それなりに優秀な女が、内面の醜い姿を晒し品格をこれでもかというくらい下げているところを目の当たりにすると、女性の地位向上って本当に良いことなのだろうか?と疑ってしまう。
たまにみるのが、相手を罵倒する手法(本人は正論を言っているつもりなのだろうが、論理的には正しいからといって本質は罵倒でしかない)に、箇条書きを用いていること。
これ、他のところで相手を糾弾するのに女子がこういう手法を使っているのをみたことがあり、支離滅裂になりがちな女子の文面をビジネス文書っぽくコントロールしていて、なかなか賢い人だなあ、と思ったんだが、こういう手法は割と一般的なのかもしれない。彼女も多分そういうのをお手本にしたんだろう。
通常仕事をするにあたって、報告書やプレゼンや、メール等による報告・連絡なども箇条書きが基本で、ビジネス文書の基本だと習う。
ダラダラと文章を書いていると相手に伝えたい本質がボヤけてしまうので、箇条書きで要点を抜き出すっていう作文方法は若い頃、耳にタコができるほど言われた。それはもっともなことだと僕は納得しているし、社会人のスキルとして必要だと思っている。
おそらく、この手法をネット上で相手を糾弾するときに利用しているのだろう。一見、実に賢く、論理的にみえる。
しかし、そのあたかも賢く論理的で、正論を言っているかのようにみえるそのやり方にゾワっとするものを感じるのだ。
おそらく、内面はドロドロの汚物に満ちているのだろう。女が多いというのも、女は生物的に内面にヒステリーを抱えていて、闇に取りつかれやすいというから、相手に悪罵の限りを尽くすようなこういう場所に集まりやすいのかもしれない。
そういうのって、僕はずっと脳味噌ちんぽな男の独壇場かと思っていたが、それは女に幻想を抱いていただけなのかもしれない。
そしてその内面のドロドロした汚物を、さもご立派な正論にみせかける術を、ちょっと優秀な女なら覚えてしまって、それを駆使して自分の気に喰わない相手を貶める。表面上は、ご立派な正論に見えるため、貶められて折れたほうが「悪」になるという錯覚を起こす。
その場から降りて、あまつさえアカウント削除なんかやった日には、もう勝ち誇ってドヤ顔し、胸をどんどん叩いて勝利宣言するメスゴリラである。
「私は正しいことを言っただけなのに、あいつは逃げた!非常に残念だ!自分が疚しいことを認めたのだ!しかももし正しい私に跪いて自分の非を認めれば、正義と寛容を誇る私は受け入れてあげる人徳者なのに、逃げたらしょうがない。寛容な私でも限界がある」とでも思っているんだろうなーと想像に難くない。
いやもうめんどくさいからお前みたいなキチガイと関わりたくないってだけなんだけどね、真実は。
まあこれみているとやるほうもやられるほうも、どっちもどっちだよなーとは思うけど。やられるほうも、自分の行為に言い訳を繰り返して相手に餌を与えているしな。
こういうネット上のバトルにありがちな、IPを抜き出して誰がなりすましているだとか、いわゆる証拠集めみたいなこともしているが、別に証拠があろうがなかろうがどうだっていいだろ。どっちにせよ、客観的にみれば目くそと鼻くそでしかない。
世の中の全ての優秀な女がそうであるとは思わないし、そうあってほしくないけど、優秀な女ほど陥りやすいドグマなのかもしれないね。

昨今、口尖らせて屁理屈こねれば通ってしまう風潮は多少なりとも感じる。
これはある程度、ネット文化が現実世界へ降りてきたということもあるだろう。若い者に限らず、40,50,60くらいになってもそういう人はいて、昔からいたのかもしれないが、屁理屈でも言ってしまえば何らかの要求が通ったり、相手を悪人に仕立て上げたりする、いわゆる言ったもん勝ちの状況をよく見る。
最近話題の松本人志の件もそうだろう。これは彼がやったことが事実か否か、ではなくて、彼が性加害をやったかのような印象を世間に与えたことが問題なのである。このての例は他にも非常にたくさんみるが、言葉を発すれば言霊となり、それが大きく人の心に影響する。
意識的か無意識的か知らないが、これを多用する人に僕は品のなさを感じてしまう。
言っていることが正しいか間違っているか以前の問題で、品格や品性の問題なんだよ。下品なんだ。ここが現代的な特徴ではないだろうか。
その言っている姿・態度そのものが醜くおよそ恥を知らぬ厚顔無恥というやつだ。そのブサイク面をよく人前にさらせるな・・と嫌悪してしまうのであるが、こういう感覚ってないのだろうか?
そういう意味でいうと、松本人志は見事に、その品のなさを世間に晒したと思う。これは性加害が事実かどうかではなく、あの報道が出回った後の言動・態度にある。まっちゃん信者もこれには違和感を感じたことだろう。ちなみにそれを晒した側の文春は、比較にならないほどの下品さだが、まあ文春というかマスゴミはそもそもが、下品で大勢が嫌悪しているから「ああまたか」くらいになってしまうが。
んで、話を戻すと、その低レベルにまで下がった品格をまき散らして、ミクシーのコミュで醜態をさらしている人々は、客観的に自分の姿を見ることはない。みっともないからやめなさい、と言われてもそれが響くことはない。「みっともない」ということが大した問題ではないという価値観なのか、そもそも「みっともない」と思っていないのか、はたまた「みっともない」という概念がないのかは知らないが、ネットで顔が見えないながらも実際にリアルでその言動をしている時の顔がとても想像できる。
それが女であると、殊更にえげつなく思える。男だからえげつない、というわけではなく、女はもともとが上品で愛嬌があるのが良いので(僕の好みは少なくともな。下品で野卑で汚らしい汚ギャルが好きな人はどうぞご自由に)、そのギャップというのか。また元来が内面にヒステリーを抱えているため、それが表に出た時の狂気じみた容姿なんかは、人間ではない化物のようだ。
上記のコミュのように、ある程度の知性・教養がありそうな女が化物化したときって、他人を貶めるために文字通り厚顔無恥にその知性・教養を利用するので、おバカな女子(失礼!)よりもたちが悪く見える。まあおバカはおバカで別の問題があるが、それはさておき。
人間は、油断するとどこまでも堕落し、下品極まりない化物になっていくのはわかる。性悪説でなくとも、生まれたまま一切の制約を受けてこなければそうなりそうだ、というのは想像はつくだろう。そのために教育があり、知性・教養というのは、油断すれば堕落していってしまう自分をコントロールするためのツールなのではないか。理性が、感情に支配されそうになった時、闇に落ちそうになった時に、体はついていかなくとも、少なくとも頭の中でそれをコントロールすることで、自分を保つ努力をする。
ところが、その知性・教養というツールを逆に、自分の闇を正当化し他人を貶めることに利用する。まさにキチガイに刃物である。
剣術家は、心をコントロールする鍛錬をするが、それは、人殺しを生業とし殺傷能力のある日本刀を携行しているからで、この心のコントロールができない剣術家なんて危なくてしょうがない。「今宵も虎徹が血を求めている」といって無差別に人を斬るのは、名刀が化物になるのではなく、それを使う側の人間の心の話だ。名刀と呼ばれる武器を手にしてその凄さに心酔してしまえば、使いたくなってしまうもので、そういう危険を回避するために、厳しい心の鍛錬が必要になってくる。
知性・教養というものも、この心の鍛錬ができていない人間が持ってしまうと、危険極まりない道具にすぎなくなるんじゃないか、なんて思ってしまった。

能楽に「安達原」という演目がある。
安達原の粗末な小屋に住む老媼が、実は殺人鬼で、その寝室には夜な夜な獲物にして殺した死体が積んである。一説には食人鬼とも解釈される。その本当の姿を、宿を求めた山伏に見られ、老媼は正体を現し、鬼婆となり(舞台では般若の面をつける)、山伏を殺そうとする。
これは、人間の二面性を描いていると言われ、男に縁もなく家族も持てず、一人寂しく年老いていった女は、その心が鬼婆化する、ということを表現しているそうだ。鬼婆化した女は夜な夜な男を漁り、自分の果たせなかった欲望を殺して食べてしまうことで晴らす。
実は、この老媼は元は都の高貴な女性だったという説もある。そこいらの女とは違い、知性と教養にあふれ周りからチヤホヤされた、過去の華やいだ時代。そこから一転下落すると、闇に取りつかれこちらに戻れなくなる。
能はかくも奥深いものであるが、案外自分の身近にも安達原の鬼婆は存在する。
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