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2024年01月06日14:39

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初詣2024

新年一発目。
例年通り何となく年が明けて、もう6日である。どうも年末超えるとあっという間だね。
正月はそこそこ無難に過ごした。今年もまた初詣に行ったのだが、うちは毎年、どこの神社ということを決めておらず、何となく気が向いたところへ行く。
前は、大晦日から新年に変わる瞬間に近所の神社へ行ったのだが、去年あたりから息子がめんどくさがるし、寒くて嫌なので行かなくなった。昼頃そこの神社へ行くのも良いのだが、それも芸がない気がするので、少し遠出する。
しかしこれだけあちこちの神社へいくって、それぞれ祀っている神が違うのだから、御利益あるのか?と不思議に思う。正しくは、氏神様のいるところなのだろうが、全くこだわっていない。まあ、そこら辺の煩雑さが日本の宗教行事の良いところでもあるんだろうが、どの神でも初詣をするという行為自体が大事なんだろうと思う。結局、自分の気持ちが満足すれば問題ない。
というわけで、どこへ行こうか考えた結果、蔵前神社へ行くことにした。
蔵前神社って、そこそこ有名だと思うんだが、例年、全然人がいなくて良い。そもそも有名な割には住宅街にポツンとあり、油断すると見逃してしまうようなところ。僕は、行列を待つというのが人一倍ダメな性格なので、そのくらいすいていないと逆にイライラしてよろしくない。
あえて明治神宮だの靖国神社だの有名どころへ行くと、参詣するのに1時間くらい待ってしまい、耐えられない。途中で帰ってしまうこともある。正月というめでたい日に精神衛生上よくないことをしては1年が台無しになりそうだ。

というわけで、蔵前神社。蔵前という土地柄、相撲のメッカでもあり、境内には相撲の錦絵が飾られているため、僕はてっきり昔の横綱が神として祭られているのかと思っていた。大の好角家なので、相撲の神にご利益をもらうなんて、素晴らしいぞ!と思っていたのだが、それは実は勝手な思い込みではないか?と思い、帰ってから蔵前神社について調べてみた。そもそも境内の石碑などに刻まれている由緒を読めばよいんだが・・
で結果、勝手な思い込みでした・・
元禄の頃、徳川五代将軍綱吉公が勧進したのが始まりだそうで、御祭神は、以下のようにある。

應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
姫大神(ひめのおおかみ)
倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)

うーん、パッとわかるのは天神様こと道真公と神功皇后くらいか。その他は「古事記」などを読み返さないとわからない。相撲の神などどこにもおらず、通常の神話の神々を祭っているわけだね。
道真公は都内どこにもいる。うちの近所はどこも道真公で、まあ猫も杓子も受験するこの時代、学問の神がたくさんいればありがたがられるってことか?
境内には、他の多くの神社と同じように末社があり、福徳稲荷神社という。神社HPによれば、
「昭和22年9月、隣接の稲荷神社と相殿・北野天満 宮とを合併合祀し、同26年3月、社号を『藏前神社』と改称」
とあるので、それまでは町の小さな祠のようなところだったのだろう。しかし稲荷神社ってあちこちに見かけるが、気になりつつもスルーしてきたな。今は本題じゃないので触れないが、後日調べてみよう。なんで狐が祭られているのかとかね。案外知らないものである。
あと面白いのが、神社関係者も知らずにびっくりしたらしいのだが、赤穂浪士が討ち入り成功祈願に来たということが最近の研究でわかったそうな。
神社HPの記事。
「元禄15年12月14日に吉良邸に討ち入りする直前に、堀部安兵衛らの名代で佐藤條衛門(さとうじょうえもん=堀部安兵衛の従弟)が当社に「討ち入り成功祈願」に来られていたとの事です。」
堀部安兵衛か、大物だなと思ったらその従弟だってよ。佐藤條衛門って知らん・・けどまあ、まさに討ち入り直前に成功祈願に来ていたって、妙にロマンがある。

そして、とても気になる相撲との関連。なんで錦絵が展示されているのか?
文化文政期に、素人の力持を称える文化があり、蔵前神社でも力持の技芸を披露する神事が奉納されたということ。
その関係でかはわからないが、ここは勧進大相撲の発祥の地だということで、回向院・深川八幡と共に勧進大相撲興行が打たれた3大拠点の一つだったそうだ。その流れで蔵前国技館が出来たんだなー。世界ふしぎ発見である。
天保2年二月場所では、63連勝の谷風梶之助が小野川喜三郎に敗れた一番は江戸中が大騒ぎになったそうなんだが、63連勝といえば白鵬と同じ記録である。大相撲の公式記録では双葉山の69連勝の次が白鵬になっているのだが、谷風の名前は見たことがなく、江戸時代の記録はさすがに参照されないということか。
神社HPには、蔵前神社で開催された勧進大相撲の優勝力士が載っているんだが、文献でしかみたことのない力士ばかりでこれも面白い。
先ほどの谷風、小野川の他に、柏戸とか、雷電為五郎まで載っている。雷電は伝説の大関である。柏戸は、昭和の柏鵬時代をけん引した横綱ではない。初代柏戸であろう。
面白いのが、地位(番付)欄に横綱がいないこと。最高位が大関で、あとは前頭、小結、関脇がバランスよくいる。当時の横綱というのは、別格の存在(神)であって、土俵入りの専門で実際には相撲を取らなかったと聞いたことがある。江戸相撲と近代相撲の違いがこういうところにあるのが面白い。
なお、神社に展示の相撲錦絵の画像を載せておくが、この作者が、文政時代の浮世絵師・歌川國安だそうで、歌川派の人気絵師に描かせたのだろう。江戸時代の娯楽が、ここ蔵前に集中していたことを思わせる。
今でこそ隅田川沿いの閑静な住宅街になってしまっているが、当時は活気にあふれていたんだろうなあ、と当時を偲んでみる。
余談だが、江戸時代娯楽が集中していた場所ということでいうと、神社には「古典落語発祥の地」と書かれていてそれも興味あったんだが、HPによると、なんのことはない、神社を舞台とした演目がいくつかある、ということだった。といいつつ、落語に登場するということは、江戸っ子たちに相当なじみのある場所ではあったんだろう。

そんなこんなで、古式ゆかしさで言えば、比較的「新しい」神社ではあるものの、江戸庶民にとって思い入れの強い神社であったことがわかった。ちょっとしたロマンである。
そういう神社が閑古鳥というのもちょっと寂しい気がするが、そんな場所で悠々と参拝できることが嬉しい。
いろんな神が合祀されているので、一体僕は何の神に祈ったのかさっぱりわからない。
末社の福徳稲荷神社にも参拝したので、ここの神は倉稲魂命1柱であるから、そこだけは確実なんだが。
まあ今年1年も無事過ごせるようたのみまっせ、といったところですな。
しかし神々を祭る聖域であると同時に、人々が娯楽を堪能する場所でもある神社。こういう日本独特の聖俗入り混じった宗教観が好きである。

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