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2023年11月29日03:25

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【映画日記】《ジャン・ユスターシュ映画祭》『豚 4Kデジタルリマスター』&『不愉快な話 1. 虚構 4Kデジタルリマスター』、『不愉快な話 2. ドキュメント 4Kデジタルリマスター』(併映短編)

 11月28日、火曜日。

 足が痛くて昼過ぎまでグロッキー。なんだか引き摺ってるなあ、痛風。9月末からだぞ……

 【ジャン・ユスターシュ映画祭】の『ナンバー・ゼロ』(長編)+『アリックスの写真』(併映短編)は断念。これはもう観られる日が無い。残念。でも、鬱に陥ったユスターシュに、友人で映画監督のジャン゠ミシェル・バルジョルが奮起を促して撮られた作品だと聞くから、「鬱状態で撮ったってのがなあ…… いまのタイミングで観るとキツいかなあ……」と思って取り止めた次第。

 火曜日は多くの映画館の週間タイムスケジュールが発表になるので、スケジューリング。「いついつにあそこでこれを観て、ほいでからこれをあちらで観て……」と振り分け。その最中、TOHOシネマズなんばで『右へいってしまった人』という邦画が12月1日(金)から公開されると知った。

 「知らんぞ、コレ…… チラシも見た事無いし……」と思って問い合わせたところ、「チラシは有るけど、納品が少なかったから展開して無いみょ〜ん♪ 来たら差し上げるずら〜♪」的な。いただきに行こう。木曜日までに行かねばならない。今日なら確実に行ける。行ける時に行っておくが確実!!(←同様に、TOHOシネマズ梅田の公開情報に『彼方の閃光』という邦画が有るけれども、これはまだチラシの納品が無いとか。尚、劇場HPでは12月8日(金)からの公開となっているが、それは日比谷のみで、梅田は22日(金)かららしい)

 外出。

 TOHOシネマズなんばで『右へいってしまった人』のチラシを無事に確保した他、数種類をGET。この後、急いでシネ・ヌーヴォへ向かった。ここでも新作映画チラシを数種類確保。


 さて、【ジャン・ユスターシュ映画祭】である。僕にとっては2プログラム目。ユスターシュのフィルモグラフィの中でも有名な&重要な長編である『ママと娼婦』と『ぼくの小さな恋人たち』を観逃してしまったため、彼についてしたり顔で語る事など当然に不可能である(←来月に京都の出町座で上映するらしいが、京都は遠い。来月はもう予定がパツパツだし……)

 でも、今回の個人的な目玉は、今日に観る3作品なのだ。最初から「コレ!!」と決めていたのだ。

 さて、おさらい。

 ジャン・ユスターシュ。1938年、フランスのジロンド県ペサックに生まれ、思春期をオード県ナルボンヌで過ごした後、1958年にパリに上京。フランス国鉄職員として勤務しつつ、1960年代初頭には映画批評執筆を開始。1962年に助監督として映画製作の現場に着き、同年に短編『La Soirée』(未完)で監督デビュー。1980年までに10作品余りの長編・中編・短編を発表し、1981年に拳銃自殺。享年42歳。

 <ヌーヴェルヴァーグ>という語句を初めて使用したのは、1957年10月3日付のフランスの週刊誌『レクスプレス』誌におけるフランソワーズ・ジルーだが、フランソワ・トリュフォーによると、その潮流は1954年頃から見られる。現在、<ヌーヴェルヴァーグの嚆矢>と目されている作品はクロード・シャブロル監督が1956年に発表した『王手飛車取り』であるから、1963年に発表した短編『わるい仲間』がゴダールらに絶賛されて、その潮流に合流したとされるユスターシュは<遅れて来たヌーヴェルヴァーグの旗手>とも呼ばれる、らしい。


●『豚 4Kデジタルリマスター』
(1970年、モノクロ、スタンダード、52分)

 中編のドキュメンタリー映画。マルセイユ出身のドキュメンタリー映画作家で友人でもあったジャン゠ミシェル・バルジョルとの共同監督作品となる。

 舞台はフランスのある⽥舎街。男たちが⼀匹の豚を引っ張ってきて屠殺・解体・加工・調理をしていく過程をつぶさに捉えた1作。この模様は幼少時のバルジョルがアルデシュ県で何度か⽬にした光景に由来するとか。ユスターシュとバルジョルの作業に明確な分担は無く、各自が撮りたい被写体を撮りたいように撮影し、編集したという。その結果、本作は⺠俗学・実験映画の双方の見地に於いて注目すべき記録映画に仕上がった。

 食肉加工(時として屠殺を含む)を描いたドキュメンタリー作品と言えば、巨匠フレデリック・ワイズマン監督による『肉』(1976年)が有名だが、本作はそれに先んずる作品である。その他、ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』(2005年)、纐纈あや監督の『ある精肉店のはなし』(2013年)が有名どころか。といって、屠場・屠殺はタブー視される傾向に有るので、それを描いた記録映画は多くない。特に日本の場合は、被差別部落の問題も有り、被写体が撮られる事を嫌がる事が多いし。

 僕は高校生の時に実際の屠場を特別に見学させてもらった経験が有る。精肉店でアルバイトをしていた時(←来る日も来る日も内臓を冷水で洗いに洗ったものだ)に「屠場の現場を見たいです! 食肉センターも見てみたいです!」と申し出たのだ。無論、精肉店内での屠殺は法律で禁止されているので、外部(屠場→食肉センター)に足を運んで見て周らせていただいた。その際、「興味本位やったらアカンぞ。やめとけ」と言われた事を覚えている。それでも「自分が食べている物がどうやってココ(=店舗)に並ぶか、ちゃんと知っておきたいんです」と答えたら、「そっか。わかった。ほならかまへん」という事で話を通していただいたのだ。そんな僕であるから、本作は大変に興味深く観る事が出来た。

 といっても、この『豚』で描かれる屠殺は、無論にオートメーション化以前の原初的なそれである。眉間に「がぼっ!!」っと空気圧で穴を開けて瞬殺するようなものではない。現在でも原初的な手順を踏んでいる屠場は在るが、それについては、先述した、大阪は貝塚市の屠場も営んでいる精肉店を捉えたドキュメンタリー映画『ある精肉店の話』や、書籍『ドキュメント 屠場』(岩波新書:刊、鎌田慧:著)や、『ホルモン奉行』(新潮文庫:刊、角岡伸彦:著)、『牛を屠る』(双葉文庫:刊、佐川光晴:著)等を御参考にされたし。

 本作『豚』では、首元にナイフを入れて掻き切り、大量の血液をバケツに入れ、血抜きをした後で解体していく。外気が冷たいのか、豚の血液や内臓が温かいのか、その心臓からは、しばらくもうもうと湯気が立ち上る。咥え煙草の男たちが数人がかりで、頭部を切断し、太ももを切り落とし、肉身を削ぎつつ部位毎に切り分け、余分な血液を更に汲み出し、心臓を取り出し、その他、臓物の処理をする。

 ある小屋の中では、これからハムを造るという事で、一人の男が肉身を切り分けている。また、ある小屋では、肉身を手動式の挽き肉機で挽き、それに調味料や卵を加えてまとめたものを、今度はまた手回しの機会を使って腸に詰めて行く。腸詰め(=ソーセージ)である。それを茹で、「まだ茹で方が甘い」だのどうだのと言い合っている中、パンや酒が運ばれて来る。

 そういった模様を淡々と描きつつ、本作は、日が明けてから暮れるまでの、ある村のある一日の光景として構成している。

 本作が描き出しているのは、屠殺・食肉加工を中心としての<人間の営み>だ。特にこれといって祝祭めいた光景が繰り広げられるわけではないが、何か特別な日なのであろう。ナイフで肉身を削いでいる男に向けて、その傍らに居る男が「手際が悪いぞ」と声を掛ける。その様から、この光景が連日に渡る恒常的なものでは無い事は明らかだ。が、何か胸が沸き立つような、そんな予兆めいたものが本作には滲み出ている。きっと、本作に収められている光景は、ある種、特別な一日のそれであるのだ。

 実に、実に興味深く観た。

 但し、本作は、あくまでジャン゠ミシェル・バルジョルとの共同作業に依って生み出された映画であり、ここにジャン・ユスターシュの本質・本領が全面的に披瀝されている訳で無い事は言うまでもない。



●『不愉快な話 1. 虚構 4Kデジタルリマスター』
(1977年、カラー、スタンダード、28分)
●『不愉快な話 2. ドキュメント 4Kデジタルリマスター』
(1977年、カラー、スタンダード、22分)


 第⼀部がフィクション、第⼆部がドキュメンタリーの形式を採った実験的な短編二部作である。初公開時には<⼥性が好まない映画>との警告文が添えられたらしく、批評家たちも不快感や否定の言葉を露わにしたという。

 ユスターシュの友⼈であるジャン゠ノエル・ピックの体験に基づく談話の実録が第2部。これをマイケル・ロンズデール、ジャン・ドゥーシェらを起用して再現したのが第1部である。

 ピック(=ロンズデール)の談話に数人の女性陣が聞き入っている。その談話は、猥褻で不愉快極まりない体験談。女性用トイレに忍び込んだピック(=ロンズデール)が、そこにあった覗き穴から窃視した卑猥なる光景。これらの談話の数々は、淫靡という言葉からは程遠い不潔さを伴ったものである。窃視(=覗き)の趣味が毛頭なく、排泄行為を含めたスカトロジー全般に生理的嫌悪感を禁じえない僕にとっては、本作で披露される談話の数々に、こればかしかの性的好奇心を喚起される事は無く、タイトル通りに<不愉快な話>ではあるのだが、然しながら、その語り口は一種の哲学めいた教養に裏打ちされてもおり、「さすがはマルキ・ド・サドを産んだ御国であるな……」と、妙なところで感心をしてしまった。ただ仲間内で馬鹿笑いするだけの阿呆な猥談に声高らかく興じた事は有るけれども、本作の場合「サドにとっての快楽はまず聴覚であり、その次に視覚である」なんていう高尚めいた語り口であるから、「ふむふむ、ほぉほぉ……」と拝聴するしか無かった僕である。

 といったところで、一言で要約すると、「なにゆーたはんの、この人? おもろいの、この話?」ってなところであるのだが、ユスターシュの目するところは、その不愉快で下劣な、それでいて幾ばくかの才気・知識も含んだ猥談そのものを開陳する事ではなく、その談話の実録=記録としての在り方と、更にそれを劇化して複製した上で順序を入れ替えて見せるという知的な実験である。この、「実験」という語句を「遊戯」に置換する事も可能であろう。ここに在るのは虚と実の相互作用の果ての相剋だ。

 これもまた興味深く鑑賞したものである。

 嗚呼、やはり『ママと娼婦』と『ぼくの小さな恋人たち』は無理を押しても観ておくべきであったなあ、と後悔している次第。


 鑑賞後、帰宅。

 さてと、遅くなったが夕食の準備だ。『ビーフストロガノフ』を拵えるために野菜を刻み、肉を仕込み、ソースを合わせて煮込んだ。時短でサクっと拵えたいのでタマネギは凍らせてから使用。シャキシャキとした歯ざわりを楽しみたい方には不向きだけれど。尚、キノコをどっさり。最後にサワークリームをドバっと。マッシュポテトを添えて白米は無しっ♪ 付け合わせは『ブロッコリーと海老とゆで卵のサラダ』。『モヤシとニンジンのナムル』、『顆粒を使っためっちゃ手抜きなコンソメスープ』。ま、一人で食べる分には上等じゃあないかしら?

 といったところで、以上である。
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