mixiユーザー(id:12302305)

2023年11月23日10:23

27 view

音楽制作上での「ん?」voi 2

ボカロ楽曲というのはもう10年前くらいからというか出た当初からジャンル分けが必要なくらい異質なものになっていると思う。
私からすると高速歌わせというのはベタ打ちが目立たないようにするための細工だと思っているが、それがボカロ楽曲の有り様のようになっている。有り様になっているならそれでいいと思うが少なくとも自分のアンテナには掛からない。
それとテンポを上げるとノリがいい曲のような錯覚を覚えるが実際はそうではない。
高速の楽曲を130くらいまで落とすと判明する。

ここからは持論。
私が英語の曲しか書かないのもそういう理由がある。日本語の特性上、洋楽のような走るドラムにはならない。それは速度を落としても変わらない構成で、英語を前提にしたメロディ構成上にて成立する。自分の曲でもアップテンポな曲はあるがそれは日本語では歌わせていない。聞こえが悪いから早くしているのではなく、そういうコンセプトで作った曲だからという理由だ。

ロック自体、欧米からの輸入品だからそれを日本風に加工しようとする試みは理解できる。でも、日本語と英語では構成が違うので相容れない。
それが証拠に短歌や俳句は日本語上で威力を発揮する。たった数十文字しか使わないのに広大な風景を描きだすことが出来る。それは日本語でしかできない文化で英語や他の国の言葉で書いてしまうとその無限性は制約されただの文章になってしまう。

日本語は単語一つにしても無限の含みを持つよう文化的な背景をもっているから短歌や俳句が可能になる。英語は単語で意味を為すよう作られているが、日本語は文字一つ一つで区切っても表現できる特性を持っている。英語でそれをしようとしても例えば「心」という単語一つとっても「こころ」、「ココロ」、「心」、「気持ち(こころ)当て字」と文字を変えるだけでとらえ方が変わるし、その奥に広がる世界は無限性を感じるが、英語では「heart」、あるいは「mind」でしかない。これはh e a r tとかm i n dではあり得ない。が、日本語では短歌や俳句のように「こ こ ろ」とか制限を加えても無限の世界を広げることが可能だ。

逆に日本語はそういうことがロックでは限界を感じる。
ドラムが走る=ノリの良い曲ではなく、ドラムが走る=英語表現メロディ構成なのである。

しかし、これも普段から日本語の曲を聴いていたのではなかなか無理なところがあって私は中学の頃から洋楽しか聞かない人なのでむしろ日本語で曲を書けと言われる方が難しい。頭の中がそういうふうに出来ていないのでメロディを構成する時に思考されてくるものはすべて英語に乗った時を想定したものが出てくるので、まず日本語を入れることが難しい。かといって英語が出来るわけではないのでグーグル翻訳が頼りだ。そこはアドバンテージがある。

話がそれたが、ボーカロイドが開発されたときはプラグインツールの一部として歌声もということで出てきたのだろうが初音ミクの登場でそれが本来の趣旨とは違う方向性を持ってしまった。ゆえにというわけではないが、人間が歌っているようにという目的のはずが人間が歌えない、演奏出来ないような早口、アップテンポということが有り様の一部として広がった。これが良いか悪いかということではない。
それが良いなら聞けばいいだけのことだ。
しかし、それは自分のアンテナには掛からないものであることには間違いない。



0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年11月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

最近の日記