ちょっとした一言が、自分の「自信」を引き出してくれることがある。
「自信」って大切で、それによる裏付けのおかげで、そのあとの行動の質が全然変わってくるし、これを失うと、やることすべて「拗ねた」ものになる。
僕にとって一番大きなその一言の経験は、遡ってちょうど10年前☞2013年の9月。
会計学の論文を書いて、指導教授の先生に読み合わせをさせていただいていたとき。
その日まで、僕は文章を書くことに苦手意識が強くて、まったく筆は進まないし、先生に叱られてばっかりで、何と書いてよいのかわからなくて、迷ってばかりいた。
迷って、怖くて、辛くて、迷って……。
でも、いま考えるとなぜなのかわからないけど、その一文だけは、いま風に言うと「ゾーンに入っていた」。控えめにいうと、「自分に酔っていた」文章だった。
「これ、絶対、調子に乗るなって叱られるよ」って思いながら、でも、ほかのいい回しも思いつかないと思い、そのまま持って行って、先生に読んでいただきながら、朗読をした。
先生はその文章を読んだとき「これはあなたが考えた文章ですか」と聞かれた。
僕は、しまった!やっぱり叱られる!と思いながら、でも僕が考えた文章に違いはないため「はい。自分が考えました」と恐る恐る答えた。
「うまいなあ……」
先生がつぶやかれた。
それからは、僕はその言葉が自信になった。
なるほど、自分は「ゾーン」に入ったら、あの厳しい先生に感心してもらえる、ほめてもらえる文章が書けるんだ!という「自信」を得て、僕はそれからは全力で論文に取り組むことができた。
今回、また、僕の自信を引き出してくださる言葉をいただいた。
この度、携わせていただくことになったお客様なのだけど、経理担当者さんはじめ、総務事務全体を巻き込んで、けっこう大変な問題を抱えておられる。
僕も、やるからには頭から突っ込んで、振り向かない戦いに挑まないといけない。
正直、逃げたいようなスケジュールなのだけど、やってやれないものではない。
負けるわけにいかない。
「やってやろう!やってやる!」と熱くなってきた。
お客さんには「すみません。頭は悪いので、そっちは期待しないでください。でも、絶対引きません!やり遂げます!」という気持ちで、お話をさせていただいた。
僕が弱気になったら、お客さんも不安になる。
絶対引いてたまるか!
すると、帰りがけに、統括部長が「edgeさんが来てくださると、みんな元気になります」とボソッと言ってくださった。
実はここ何年か、ずっと仕事に対するモチベーションが下がっていた。
どれだけ人と会っても、作業をこなしても、勉強しても、、、報われない気持ち。
認めてもらえない気持ち。
走っても走ってもゴールが見えない。
でも、この言葉をきっかけに、僕のほうが元気が出た。
自信が戻った。
「お人に会って、僕はその方の元気を吸い取ってるわけではないんだ」
「迷惑をかけてるんじゃないんだ。」
「役に立てているんだ」
それから、僕の中の攻撃性が消えた。
この言葉がすべての人に効くものではない。
あのときの僕が、一番欲しかった言葉。
でも、あのときの僕にとって、そしてこれからの僕にとって一番の宝物となる言葉。
きっと、僕の道を開いてくださった言葉。
僕のリアルな苗字は、太陽を連想させるもの。
暗闇をやみくもに走っていたときに、思っていた「その名のとおり、みんなを照らす太陽のような人間になりたい」という願い。
それを自分がなれるんじゃないか、できるんじゃないかという期待がすこしリアリティを帯びた。
いろいろなところで議論されることだけど、takerという「自分がなにかをもらう/やってもらうことを求める人」、giverという「自分がなにかを与えたい/してあげたいと求める人」
どっちで生きるかは、人それぞれ立場があったり、置かれた環境、人間関係で醸成されると思う。
僕は、自分の志に素直に、お日様のようなgiverでありたい。
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