自由のために、侵略者たちに打ち勝つというウクライナの人々の覚悟は揺るぎないものがある。しかし、現在のゼレンスキー政権には複雑な思いがあるようだ。ウクライナ人の妻を持つ日本人ジャーナリストの古川英治氏がその実態をルポする。
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『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』(KADOKAWA)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
戦前から汚職はウクライナの最大の課題だった
私はロシアの侵攻から1年となる2023年2月24日をママ(義母)と迎えることを決めていた。妻は仕事でまだ国外にいた。
前日23日の夕方、花束を買って、左岸のママのアパートを訪れた。ママはいつものようにジャガイモ料理と手作りのケーキなどで歓待してくれた。
テレビはこの1年の戦いを振り返る番組をやっていた。このアパートで過ごした侵攻から最初の10日間の緊張を思い出した。
ママに1年前の話を振ると、「あなたがとにかく避難しようと言っていたのを覚えているわ」と答えた。
「ぼくはウクライナを信じていなかった……」
私がそう話すと、「あなたはよくやっているわ」と言って、抱擁してくれた。
ゼレンスキーと側近たちが2月25日に大統領府の前で自撮りのビデオを発信した場面がテレビで流れた時、ママにゼレンスキーのことをどう思っているのかを聞いてみた。
「75%信用している」との答えだった。
「戦争になってから、指導者としてよくやっていると思う。でも、汚職への対応とか、100%は信用できないの。側近にも悪い奴がいる」
1月には政権内からスキャンダルが噴き出していた。職権乱用や横領の疑惑を背景に大統領府副長官を含む10人以上の政府高官が辞任したり更迭されたりした。特に前線の兵士への食料の調達や設備調達の契約価格の水増し疑惑は欧米の支援にも響きかねず、ゼレンスキーは対応を迫られた。
戦前から汚職はウクライナの最大の課題だった。
兵士たちが自らを犠牲にして戦っている最中でも、汚職体質は変わっていないのかと、私は暗たんたる気持ちになった。ママは流石によく見ていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc364b7c335cbb0ef44f5fceee9819cd66debe7f
2月24日17時、ゼレンスキーが100人超の記者を集めて記者会見を開いた。この規模の記者会見は、私がさえない質問をした2022年4月以来初めてのことだ。今回は地下鉄の駅ではなく、ホテルの地下階のコンファレンスルームが会場だった。
ゼレンスキーは10か月前と同じように、3時間近く、各国のメディアの質問に応え、支援を訴えた。日本メディアは今回、NHKが早々と当てられ、G7の議長国である日本への期待について質問している。
私が特に関心を持ったのは、次の3つの質問への答えだった。
――この1年で一番恐ろしかったのは?
「(少し考えてから)……ブチャだ……あそこで目にしたもの……占領から解放した直後のことだ……本当にひどい有様だった」
――NATOが再三警告していたにもかかわらず、あなたは全面侵攻の可能性を否定し、市民に準備を促すことを怠ったのではないか。
「私は2月24日、どこにも逃げず、ここにとどまった。我々は国を失わなかった。それはウクライナの人々、そしてウクライナ軍のおかげであり、それに私も少しは貢献したはずだ。私は英雄ではないが、何かを成し遂げている。キーウ州を占領から解放した。私は国民を裏切る(ドンバス地方を巡ってポロシェンコ前政権が15年に結んだ)ミンスク合意のような停戦合意には署名していない。我々は勝つ。前大統領なら我々は勝てない……」
そして、会見の最後の質問。
――この1年はあなたの家族にどんな影響を与えましたか。家族との関係は変わりましたか。
「私は妻を愛している、子供たちは私にとって一番大切な人たちだ。いまは頻繁に会えなくなってしまったが……両親にも会う機会がない……国のためにも家族のためにもすべきことをしている妻を誇りに思う……この質問が一番答えるのがつらい……私にとって一番大切なことは妻と子をがっかりさせないことだ。子供たちには私のことを誇りに思ってほしい……」
私が22年4月に聞きそびれた、首都に留まるという個人的な決断について、回答を得たように感じた。明確な答えではないが、やはり首都侵攻を予期しておらず、家族への思いを抱えながら「逃げない」と覚悟を決めたことがうかがえた。
「良いロシア兵もいた」とは書けなかった…
ブチャと家族について話した時、ゼレンスキーは目を潤ませていた。記者仲間の間では「役者だから、演技がうまい」という声もあったが、私には素の姿だったように見えた。
会見後に知り合って、一緒に食事をした、ウクライナに初めて来たある中国人記者は「紳士な姿勢に少し感動した」と感想をもらした。
しかし、私は2つ目の質問への答えと世論の反応に危うさを感じ取った。
質問した記者は19年の大統領選を争った前大統領ポロシェンコが大株主のテレビ局の記者だった。ゼレンスキーは質問に答えずに、政敵を批判し返したのだ。
質問した記者はネット上で炎上した。
「大統領を批判する者はウクライナの敵だ」
「(質問することで)カネをもらい、昇進したんだろう」
「魂を売った記者だ」
この記者はソーシャルメディアで反論している。
「数十人の見知らぬ人々から直接メールが届き、本来記者がすべき、厳しい質問を唯一したことを感謝された」
会見で汚職問題を含めて批判的な質問がほとんどなかったことは事実だ。国内テレビ局の戦時統制を懸念する声もある。侵略者に利する恐れがあるため、外国人記者を含めて自主規制が働いている面もあるはずだ。
私自身も記事を書くのをためらったことがある。4月、ロシア軍の占領から解放された北部チェルニーヒウの村を取材した時のことだ。
ロシア兵が住民に一切、手を出さず、火事になった家から子供を助けたり、食料を分けてくれたりしたと話してくれたある女性の証言を記事にしなかった。
数時間の滞在で住民の話を十分聞けたわけではなく、ブチャでの市民虐殺が明らかになった直後でもあった。「良いロシア兵もいた」とは書けなかった。
国民の間では戦時下で政府を批判することに慎重な声がある。国防省の横領スキャンダルにより、国防相オレクシー・レズニコウの更迭論が持ち上がった時、市民からこんな意見を聞いた。
「みんな汚職は無くなっていないと分かっているが、いまは追及する時ではない。政権に打撃を与えて、敵に塩を送るような報道は控えるべきだ」
「レズニコウの更迭には反対だ。彼は欧米の武器支援で重要な役割を担っている」
しかし、食糧調達の水増し疑惑の報道をきっかけに汚職に対する国民の目は次第に厳しくなり、市民社会が起動し始める。2023年7月の世論調査によると、6割超の国民が「国防省の汚職がロシアを打ち負かす障害になっている」と答えた。
そして、8月、兵士の制服の調達を巡る新たな横領疑惑が報道され、ゼレンスキーはレズニコウの解任に踏み切る。侵略者との戦いと同時に、ゼレンスキーは「内なる戦い」も迫られている。
文/古川英治 写真/shutterstock
■多重債務者や移民に「勧誘のわな」 ロシア、弱者狙い侵攻の兵士集め
(朝日新聞デジタル - 11月08日 10:38)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7627761
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