mixiユーザー(id:1368265)

2023年09月09日17:12

12 view

貴族・武家の邸宅のジオラマ

Twitter("X"だなんて呼んでやるものか!)で見つけた、プロのジオラマ作家の手による作品。
室町期武家屋敷
https://twitter.com/sousyuusai_ar/status/1699007842710327775
平安期貴族邸宅
https://twitter.com/sousyuusai_ar/status/1700092395910737993

 思ったのですが、江戸時代の大名屋敷には、敷地内に家臣が居住する平長屋があったはずです。(だからこそ、殿様が「出会え、出会え」と号令をかければ侍たちがわらわらと押っ取り刀で駆けつけることができるワケですし、赤穂浪士の討ち入りの時には、まずは平長屋の各戸の扉にかすがいを打ち込んだと聞いています。)
 しかし、上記ジオラマには、家臣や下男の執務室はあっても居住区は無いように思えます。当時は、そういう人達は当直以外は通いだったのでしょうか。(当直すらいなかったのか?)
 京都と江戸では町の成り立ちと人口密度が違ったでしょうから、それでもOKだったのかもしれません。おそらく、江戸の大名屋敷の周り(少なくとも歩いてすぐに行ける範囲内)は、夜になったら何もない状態だったでしょうし。足軽や中間は大抵国元からの単身赴任だったはずですから、平長屋は今で言う社員寮、と言うところだったのでしょう。
 しかし、こんなだだっ広い邸宅で夜を過ごすなんて、(欧米人の言うところの)「ウサギ小屋」育ちの私からすれば、落ち着かないことこの上ないような気がします。
 第一、この広さでは侵入されても住人は気がつかないのではないかと思うのですが、保安面では大丈夫だったのでしょうか。門番が終夜体制で警護していたのかもしれませんが、塀を乗り越える、という手もあったでしょうし。

 ちょっと興味が湧きました。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年09月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

最近の日記