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2023年08月30日03:38

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夏は葬儀の季節とか

神奈川県民の皆様、また慶應義塾の卒業生の皆様、高校野球での優勝おめでとうございま
す。神奈川県大会準決勝で東海大相撲に勝ち、決勝戦で横浜高校に勝ったので、「慶応強いなぁ」とは思っていましたよ。でもねぇ、まさか107年ぶりに優勝とは。

慶應義塾の卒業生組織「三田会」の結束は相変わらず素晴らしいようで、三塁側アルプススタンドだけではなく、バックネット裏から、レフト側外野スタンドからスコアボード左側まで、早慶戦の神宮球場が甲子園球場に移転したかのようなものすごい数の三田会員でした。

仙台育英の須江監督は、こうなることを見越して「応援はどうせ慶応に圧倒されるだろうから、慶応の応援歌を自分たちへの応援だと思って口ずさんでいろ」と指示したそうですが、まぁ宮城県から来た子たちにそれは無理です。

早稲田大学の附属校である早稲田高等学院の生徒なら『若き血』のサビ「慶応ぉ、慶応ぉ、陸の王者ゃ〜慶応ぉぉぉ」を「低能ぉ〜低能ぉ〜、三田のぉ色魔ぁ低能ぉ〜〜〜っ」と替え歌にするくらいは、悪い先輩から受け継いでいますから簡単ですけれど、西東京大会準決勝で負けてしまったのでは、その資格もありません。

早稲田は東京六大学野球でダメ、関東大学ラグビー対抗戦でダメ、箱根駅伝でダメ、附属高校の野球でもダメのダメダメづくし。20日に菅平で行われた帝京とのラグビー練習試合では、7−60という春の交流戦をも遙かに上回る点差で惨敗してしまいました。これでは卒業生からの寄付金もロクに集まらず、また負けるの悪循環です。 学問上の研究成果はどうだか知りませんが、スポーツで負けてばかりでは、卒業生の士気は上がりません。

慶應はいいですね。うらやましいです。

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さて、表題のことです。石川家ではまた葬式をやりました。

先月末(27日)に兄嫁が死にました。享年60歳(昭和38年7月22日生)。死因は、子宮癌肉腫の肺転移。

8月1日が通夜、2日が告別式でした。幸い私の出勤先が両日ともに駿台柏校で、講義時間は13:40〜16:30だったので、松戸の葬儀場で行われる18時からの通夜にも、10:00〜11:40の告別式にも出席した上で、講義にも穴を開けなくて済みました。火葬場での骨揚げには行けませんでしたが。

二日間ともあわただしい動きにはなりましたが、葬儀ばかりはあらかじめ予定しておくことはできないので、仕方がありません。

通夜と告別式を終えて、いくらか落ち着きました。いままでに、父方の祖父、父、父方の祖母、母という順で、四人の親族を看取り見送ってきました。死人の顔というのは何度見ても慣れることはありません。

3年前の母の葬儀の時とは違って、義姉は近所のおばさんたちにフラワーアレンジメント(西洋生け花)を教えていたり、豊島区社会福祉協議会に勤めていて在籍のまま死んだので、100人以上の参列者があり、私も兄も限りない回数頭を下げて、知らない人とたくさん話したので、かなり疲れました。

8月3日から17日までは駿台の夏期講習も入っていませんでしたが、出かけようという気にもなれず、クーラーをつけた部屋で日々グダググダとして、高校野球など見ていました。兄は自宅に置く小さな仏壇や位牌を注文したり、義姉の預金の処理をしたり、寺で四十九日法要や納骨の打ち合わせをしたりして中々忙しいようです。手伝おうかとも思いましたが、忙しくしている方がいいだろうと思って忙しいままにさせていました。

今年も8月8日が来ました。私の死亡記念日です。平成25(2013)年に大動脈乖離を発症して、一度死んだのに閻魔大王に追い返されて生き返ってしまったのでした。あそこで死んでいたらやはり真夏の葬式でしたが、その方が良かったなぁと思うこともあり、また、生きていればこそ日本ラグビーが南アフリカを破る奇蹟を見られたのだなぁと思うこともあり、死に急ぐこともなく、生き急ぐこともなく、死ぬまで生きようと今では思っています。

四十九日法要と納骨は、9月9日を予定していましたが、寺の都合で9月3日に早まりました。兄からちっとも案内状が送られてこないのでどうしたかと尋ねると、「法事の案内状をどう書いてよいやらまとまらないので、まだ一字も書いていない」とのこと。

兄嫁の実家(井上家)の人々も呼ばなければなりませんから、あわてて私が文案と返信用葉書を作り、忌中払いの料理屋を仮押さえして、兄宅に文案を持って行き、その場でそのとおり兄にパソコンで文を作ってもらい、兄の自筆の署名を入れて、すぐに投函したのが二十日のことです。石川家の親戚たちからはきっと怒られますが、しかたがありません。そういえば、母の四十九日と一周忌法要の案内状も私が作ったのでした。

「兄様、しっかりしてくださいよ。私が死んだら兄様がぜんぶちゃんとやるんですよ。できますか」

「安心しろ。おまへよりは俺が先に死ぬ。おまへはさう簡単には死なぬことになってゐる」

愚弟は愚弟で、「あんちゃんたちよぉ、「墓じまい」ってどうやるんだようぅ。健ちゃんは知らねぇぞぅ」

弟の健司(けんじ)はもう53歳にもなったというのに、いまだに我々の前では自分を「健ちゃん」と呼ぶ絶望的な男です。末っ子ゆえに甘やかされた影響がついに無くなることはありませんでした。

まともな家族をお持ちの大多数の皆様

残暑お見舞い申し上げます。
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