mixiユーザー(id:1397418)

2023年05月20日00:00

57 view

あなたがしてくれなくても

今、木曜日に「あなたがしてくれなくても」というドラマをやっていて、全部ではないけどチョコチョコとみている。
2組の夫婦が出てきて、どっちもセックスレスという切実な問題を抱えているんだが、セックスレスをどう解消していくかというテーマだと思っていた。
しかし、案の定というか、そうなるよな、というか。。結局、2組のうちの、それぞれ1組の男女は不倫関係になり、1組の夫は職場のバイトの人と不倫関係になる。
結局、不倫の物語かい!とツッコミを入れたくなるのはさておき、どんどんと心の闇に入り込んでいくというのが、現時点での流れ。
みていてだんだん腹立ってくるんだが、お互いの配偶者、またはお互いの不倫相手に対する依存心が強すぎる。そこまで思い詰めるか?というような感じになっている。それはそれでドラマとして成り立たせなきゃいけないんだが、僕は人間関係という側面から、ちょっとどうなんだろうなあ・・と思いながらみている。

最近、心理学のことをいろいろ調べていて、自己愛性パーソナリティ障害だの自他境界の曖昧さだの、カランドラ症候群だのダブルバインドだの、いろんな用語をみるのだが、これらはもちろん、常軌を逸しているから精神病理になるんだろう。だが、説明を聞いていると誰もが多かれ少なかれ抱えているものだというふうにまず感じる。
例えば、自己愛性パーソナリティ障害とは、いわゆる「かまってちゃん」で、私を構え、私に同調しろ、私はこういう人間だ、を他人に押し付ける精神状態であり行為であるとする。行き過ぎればもちろん煩わしいが、誰だって自分が正しいと思いたいし、人から賛同されたいし、自己主張はしたい。
そこをうまくコントロールできなくなると、病理にまでなってしまうのだが、ちょっとイケていない状況で落ち込んでいる時など、やはりこういった傾向が強くなってしまうのは誰にでもあると思う。
そういう人間に翻弄されがちな人は、心理学を学んで、他人の傾向を分析し、「彼(彼女)はああいうタイプに分類されるから要注意だ」なんて、常々他人に対する疑心暗鬼の中で生きている。
そうすると、一体だれがまともな人なんだ・・と思いたくもなる。究極、嫌いな人、合わない人は、精神病理があり自分を意識的無意識的に攻撃してくる人間だ!というレッテル貼りになってしまっている感じがする。
これって結局、自己愛性パーソナリティ障害と思われる人もそれの被害者だと言い張る人も、他人に依存しすぎなんじゃないだろうかね。自分の全てを理解してくれるか否か。すべてが自分の好みの人でいてくれる人か否か。
ハッキリ言ってそんな人はこの世にほとんど存在しない。家族や夫婦だって、どっかで心に一物を抱え、不満を抱えている部分がある。それが大きいか小さいかの差はあれど、100%自分の思い通りの人など存在しない。
件のドラマをみていると、お互いに100%自分を取り込んでくれることを望んでいたりする。夫婦間でのセックスがないのはおかしい、不倫相手のほうが自分を満たしてくれる、だが結婚しているから不倫相手を100%取り込むことはできない、ああどうしよう・・なのだ。
まあ一種の社会通念が足枷になっているということもあるが、別に夫婦でセックスレスならそれはそれで良いじゃないか。普段別の楽しみをみつければ。不倫相手には、その満たされないセックスの部分だけ求めていれば良くて、お互いの夫婦関係を壊してまで取り込む必要はないじゃないか、と思うのだ。
人間そう簡単に割り切れない、なんていう青臭いことを言い出すやつがいそうであるが、僕は人間関係は押しなべてそれで良いと思うし、またそうあらねばこの世の中生きられないんじゃないか?
それができるとしたら、双方が完全にお花畑で、相手に対して不満も何もいだく感情すらわかないような組み合わせしかありえないだろう。
生きてきた環境や持って生まれた性質が完全一致する人間などいないのだから、他者という時点で満足できない部分は必ず発生する。じゃあその満足できない部分だけを嘆き続けていたら、人生など完全に破綻してしまう。

ここで、構造主義の思想家たちが提唱する「関係性」という概念を持ち出してみたい。
私と他者は、適正な距離の関係を保ってバランスを取る。自他境界のところでも書いたが、自分が入り込み過ぎてもダメだし、他人から侵入され過ぎるのもダメ。かといって、違うからと完全に関係を断つのもダメ。バランスよく適度に距離をとって関係を保っていく。
例えば僕は、他人にオールマイティーな能力は期待しない。「友達だからなんでもわかりあおうぜ、わかりあえるよな?」というのは嘘だと思う。飲み友達がいたとしても、飲み友達と全然趣味が違えば趣味の共有はできないし、趣味友達が下戸で自分は酒好きだとしたら、その人とあえて一緒に飲みに行くことはしない。
夫婦や家族でも同じ。もちろんかなり重要なところで共有すべきところはである。お金の管理や、生活の役割分担や、問題があったときの協力やら、は当然発生する。そこに価値観が違うだのなんだのというものを持ち出す隙などない。だからといって、全てが全て共有する必要など全くない。向くべき方針や方向性はある程度合わせる必要があろうが、そこから逸脱しない限りにおいては個人の価値観で動いたって良いし、その価値観に同調できなければ自分はやらないと拒否したって良い。
仕事なんかだともっとシビアだ。
例えば、ある部課に配属されたらそこの首長の仕事の方針に従う必要がある。だが、逆に言えばそれだけでよいのだ。仕事上の方針に従うだけで良くて、お互いに全ての価値観を共有する必要はない。
たくさん雑談をしたり飲みに行ったりして親密に付き合いたい人もいるだろうし、仕事上だけの関係なので雑談などプライベートな部分には一切かかわりませんという人もいよう。それはその人の好きにすればよい。生理的に合わない、嫌だこの人と感じるのなら、仕事以外の付き合いは断てば良い。ただ仕事を一緒にやっていく上では、仕事上の共同作業はその人と合わなかろうが嫌いであろうがしなければならない。
そうなった場合、相手に対して何を求めるか?仕事をやっていく際に、この人は何をどのくらいできるのか?が1つのバロメーターである。その中で、期待できる部分があれば委ねれば良く、それ以上の、例えば人格者であるとかそういったことを求める必要はない。
こういうのが、ドライな割り切った関係で冷たい、という人もいるだろうが、僕は逆だと思う。その場所で誰と何をしなければならない、というお題があるんだから、そこだけを評価すれば良いのに、わざわざ自分と違う人格や価値観を殊更に持ち出して否定する必要があるのだろうか?それこそ、何事にも減点評価して、嫌な人間ではないだろうか?

件のドラマには、100%の相手への依存度がまずあって、それがかなわないことに毎回悩んでいる。もともとは、相手に何を求めていたのか?がブレてしまい、セックスの満足を得たい、だったのが、私を全て取り込んで!という心情になってきてしまっている。
昨日など、職場(飲食店)で働く夫がそこのバイトの女とやってしまったことを、罪悪感から妻にバラしてしまうが、「何てバカなんだ!この男は!」と呆れて果てた。当然のように、妻はショックで不倫相手の男のところに走って行ってしまう。
罪悪感を持つのはかまわないが、それで「かわいそうな僕ちゃん」になってしまって、その苦しい気持ちを妻に押し付ける行為である。とてもじゃないが、同情もできないし、心が綺麗な人間とも思えない。
まードラマの中のセリフでもあったが、「みんなに幸せになってもらいたいという思いが、結果的にみんなを不幸にした」とか言っていたけど、当たり前だよ。その思いが傲慢なの。
自分も他人も完全な人間ではないのに、自分にも他人にも完全を求めた結果、全員が瓦解する。
なんというか、胸糞悪い・・
だったらみるな!って?そりゃそうだ。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年05月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

最近の日記

もっと見る