私のしごと館は全体としては高く評価され、その閉館についても多くの人に惜しまれた。
私は設立準備に関与しただけで、運営には関与していない。
冤罪があったので、ブログなどで弁明しただけです。
私のしごと館がなくなり、そして職業大の相模原がなくなり、それで私の評価が低くなったように思ったのですが、私がいなくなった後に失敗したのであり、私が失敗したわけではない。
そして一緒に仕事をした中で、別に仕事に移った人も大勢いるが、たいていは高く評価されている。
私もそれを見ながら疑問に感じていたんです。
たしかに大変な想いはしたし、危険なことにも何回も遭った。
しかし罪の意識とかそういうのは感じる必要はないのではないか?
私のしごと館を作った功績は永遠に変わらない。
その証拠にけいはんな学研都市は大きく発展しているではないか?
勇猛に前に進んだせいで、停滞していたけいはんな学研都市は大きく発展した。
それで十分ではないか?
批判者は「あんな原野に作ってどうするんだ」と言っていた。
たしかにバブル崩壊で行き詰まっていた。
京都の文書館でいろいろ調べて、今度の後退は完全失敗しか生み出さないことがわかった。
だから前に進んだ。
あの頃、関西経済復活の起爆剤として考えられていた、USJも見事にうまくいっている。
けいはんな学研都市がうまくいき、他の再開発などもうまくいきつつある。
何を後悔することがあるのだろうか?
長期イベントにより経済効果を目指したのなら、十分な効果があったのだ。
しごと体験や職業体験、インターンシップなども定着しつつある。
「後退」「時期尚早」「あきらめ」・・・すべてを排除し前に進んだ。
莫妄想でやったにすぎない。
まさか万博まで開けるようになるとは考えもしなかった。
あの時はもうじき愛・地球博がはじまる時だった。
あの万博も当初はバブル崩壊後で国にお金がなく、予算不足で失敗すると言われた。
しかし「市民参加」という新しいスタイルで成功した。
「地球村」などです。
愛・地球博がもうじき終わろうとしている時、NHKテレビニュースで「愛・地球博もいよいよあと数日で閉会です」というテレビ映像は、無数の来場者を映していた。
横浜港再建で忙しく、行くことができなかったので、多くの知り合いにすまないと感じていたが、「よかったな、よかったな、よかったな」と思った。
横浜港再建はすすみ、最終的に開国・開港Y150で結実した。
私は直接関わらなかったが、あれも批判をされながら、その市民参加を含めた画期的な手法に多くの専門家から賛辞をいただいた。
イベントに関与した研究者は「あれはすごい、あれはすごい」を繰り返していた。
イメージだけで作れるとは考えていなかった作品が、現実に目の前で作られて度肝を抜かれたらしいです。
そこに多くの市民や子どもたちが集まり楽しんでいた。
批判されながらもうまくいき、本当に一流の人達からは高く評価される。
その不思議さを感じながら生きています。
このまま老人になったら、この世の無常を感じながら念仏三昧ですごしましょうか。
私は人に媚びない、だからどうしても批判はされる、そういうことなのかもしれないと感じています。
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