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2023年04月07日23:47

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演歌の貴公子

演歌歌手の山内惠介にハマってしまい抜けられない。
2001年に、「ぼくはエンカな高校生」でデビューした時、新星堂に等身大パネルがあって、僕と字が同じ歌手がデビューしたよ、と妙に気になったのだが、演歌を好んで聴かなかった(演歌は昔から好きだがCD買って聴き込むほどではない)ため、その後、特にCDを買ったりしたわけではない。
そのまま殆ど名前を聞かなくなったので、フェードアウトしていったかなーと思ったが、紅白に出場した2015年あたりからまたちょこちょこ見かけるようになり、あ、頑張っていたんだ、と感動した。
それから、歌謡番組などでたまに見かけると、つい見入っていた。
歌は上手いし、ベタな演歌歌手のノリが妙に気になる存在ではあるが、どうも氷川きよしの亜流じゃないか、という感じがしていた。
そうこうしているうちに、名前の字が同じ誼もあって、テレビに登場するたびに気になってはいたのだが、「恋する街角」という歌で、ニッコリ笑って「♪惚れたねほの字だね ほっほ〜」と歌っているのがこれまた妙に気に入ってしまい、その歌聴きたさに、ゲオでベストアルバムをレンタルし、ダビングして聴いてみた。
それから、すっかりハマってしまったのだ。
まず、歌が上手い。とても上手い。上手い上に独特の個性を放っている。聴けば聴くほど惚れ込んで行った。
山内惠介、愛嬌と尊敬を込めて惠ちゃんと呼ぶが、惠ちゃんの略歴をウィキペディアから引用する。

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母親が美空ひばりの大ファンだったため、胎教のような形でひばりの歌を聴いていたという。生まれた後も毎年福岡市民会館や福岡サンパレスホテル&ホールで行われたコンサートを母の膝の上で観た。
1999年10月13日、福岡県立筑前高等学校一年生の16歳当時、初めて出場した福岡県下のカラオケ大会で、作曲家・水森英夫の目に留まりスカウトされる。これを期に約1年間、月に一回程度上京してレッスンを重ねた。
2000年7月、ビクターのプロデューサー(朝倉隆)に呼ばれテスト。「越後獅子の唄」「悲しい酒」「柔」など憧れのひばりの曲を歌いデビューが決定。2001年4月、「霧情」でデビュー。2007年4月、三井エージェンシーに移籍。
『NHK歌謡コンサート』で北川大介、竹島宏と結成したイケメン演歌歌手トリオ「イケメン3」の一人としても活動している。
2009年9月に発売した「風蓮湖」がオリコンで50週にわたってランクインするロングヒットを記録。2010年5月、歌の舞台となった風蓮湖がある北海道根室市の「味覚観光大使」に任命された[2]。
2010年7月に「糸島ふるさと大使」に就任[3]。2013年5月「釧路空港」の発売を機に、「釧路空港宣伝特使」に任命された。
2014年1月公開の『山内惠介・THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!』で映画初主演。
2014年3月に「恋の手本」がオリコン9位を獲得し、デビュー13年目で初のTOP10入りを果たした。
2015年、第57回日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞。第66回NHK紅白歌合戦初出場。2020年11月には日本武道館で20周年コンサートを開催した。
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こうしてみると、すごいのが本当に高校生でデビューしてずっと演歌を歌い続けていること。泣かず飛ばずの時代を得て、2009年に「風蓮湖」でようやく売れ出すも、全国区の歌手になるには、そこから紅白出場の2015年までさらに年月を要している・
そして、その間に地道に仕事を続けていたのがわかる。
平成の若手歌手でありながら、演歌にこだわり演歌の道を究めていくその姿勢も素晴らしいが、本人の情報をメディアやネットなどで調べると、さらに男惚れしてしまう。
惠ちゃんは色白で華奢な優男。肌の手入れもしていて、長髪。舞台衣装も派手な色でコーティングされたタキシードに蝶ネクタイなどで、まさに昭和30年くらいからタイムスリップしてきたようないでたちが、惠ちゃんのスタイルだ。
そのため、60歳以上の女性、老女たちに大人気で、ファンの大半が60歳以上の女性だという。
そこまでは、氷川きよしとどこかかぶる。
しかしそのカッコよさは、いわゆるジャニーズ系の少年美ではなく、京都呉服屋の若旦那のようなちょっと粋な感じであり、また苦労してもめげることなく邁進し続ける根性もあり、見かけと違って物凄い男気を感じる。本人は、自分が九州男児であるという矜持があるそうな。
ある意味時代に逆行したカッコよさで勝負し、またその仕事に対する努力の姿勢が、歌やステージなどからみえてくるところが魅力なのだ。
歌を聴けばわかるんだが、あの歌は決して慢心して怠惰な生活を送っていたら歌えない。もともとの才能もあるんだが、それに加えてたゆまぬ努力が彼を演歌界の大物に成長させていっている。
氷川きよしは、別に嫌いではないが、努力というより、才能の人っていう感じがする。すでに備わったキャラクターと才能で、下積み時代をほとんど経験することなく出世していった。
たいして惠ちゃんは、努力の人。泣かずとばずの売れない時代が長くあり、歌手辞めて帰郷することさえ考えたことがある。売れない芸能人ゆえ、屈辱的な仕事もさせられたけど、そういうのを断りもせず一生懸命取り組んできた。
その結果が、磐石な演歌歌手の土台が出来上がり、いまやそれをベースに、実に様々な歌手としての可能性を追求していくにいたった。
いろんなことにチャレンジしても、演歌という磐石のベースがある以上、惠ちゃんは今後とも演歌・歌謡界の安定した地位にい続けられるだろう。
また、北海道のラジオパーソナリティの仕事をした関係で、北海道に随分とお世話になり、自らを「北海道は第二の故郷」といい、北海道根室市の「味覚観光大使」になるなど、北海道への恩返しを続けている。北海道ツアーを毎年敢行し、北海道ゆかりの歌を多くレパートリーとするなど、受けた恩に全力で報いているところなど、男気がある。ちょっと売れてしまうと、なかなかできるものではないのではないか?

もうひとつ僕が惠ちゃんを気に入っているのは、そのトーク力。実に洒脱なのである。
嫌味なく周りを愉快にさせるユーモアのセンスがすごい。演歌歌手の特性上、客いじりなどもうまくできるのも求められるのだろうが、惠ちゃんのトークはそれを超えている。
爆笑問題やダウンタウンと対談しても全くヒケを取らないくらいなのだ。
しかも、「笑わせるよ笑わせるよ」といったわざとらしさがなく、自然体でかつ懸命に話をするから、こっちもつい懸命に聞き入ってしまう。自然体ということで惠ちゃんは「天然」という人もいるが、いわゆる天然とも違う。もっと計算というか場の空気を考えてしゃべっているのがわかり、頭も良い人なんだと思わせる。
今の時代には流行らない演歌を生業とし、そして一昔前の演歌歌手の衣装スタイルを踏襲し、なお時代に沿ったエンターテイメント性がある。
惠ちゃんこそが、日本の古き良き歌謡文化を継承しつつも、次世代へとその文化を継いで行くキーマンであろう。
J−POPを超えて、老若男女世代を超えて、国民的スターに育って行く日が必ずやってくるだろう。
その日が楽しみである。

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