ワールドカップが多い時期が続く。感動を与えるプレイに暑くなる人も多いだろう。
実際にWBCを見ても凄いな!という思いはこの私にもある。そういう私も中学では軟式テニスをやっていたが、競技は素晴らしいが、あまりにも部員が先輩も含めクズだったので途中で止めた。
中学、高校時代が昭和50、60年代(1980年代)の私にとってスポーツ部の印象はまったく良くない!
当時と言えば、部活は内申書を良く見せるため、やっている先生も時間的制約もあり見切れていない、その中で狭いグランドをメインで使えるのは優秀な選手だけ、先輩後輩の格が圧倒的で後輩はゴミ扱い、特に出来ない人はクズ以下。
文化部よりも体育部の方が格上と思っているスモールな人間性を持っている者も多かった。
だからクラスメイトなのに彼らなりの暗黙の認識、つまり「お前はスポーツをするホネのないクズ、アタマも良くないしオレよりも格下だよな」的な対応をしてくる奴もいた。
そんな環境下でスポーツが素晴らしいと思えるだろうか?
つまりはスポーツの出来ない奴は人生がすでに終わっている。生きている資格がない適菜態度を取る人間が本当に多かった。文化部は肩身の狭い思いをずっとしていた。
今はそうでもないのかも知れないが、でも部活が原因で自殺する人もいるからすべてが解決されているわけではない。
特に言いたいが、ちょっと出来るからと言って私のように出来ない人に偉そうに連中だ。今は彼らも50代になっているだろうが、その後の人生はどうか?ということだ。
当時、インターハイやら県大会で頑張るんだ!的になことで燃えていたやつら。
自分が自分で自分のことに精進するのはまったく問題ない。しかし、他人を巻き込むなという話だ。特に野球やサッカーだとチームプレイだから休むことが許されない。
休みたいなら辞めたらという空気もある。しかし、補欠の補欠などは居ても居なくても関係ないのに出席を強要される。で、そういう大会で出て結果が初戦で敗退。点差はコールド並なのだ!偉そうに言っているクセに県大会レベルでソレ。
言ってみれば「オレの方が優秀なんだ」と思っている奴らも出来ない私と大して変わらないわけだ。滑稽でならない。仕舞には呆れる、哀れとも思えてくる。
それなのに自意識は高いからドングリの背比べの状況にある自分が分かっていない。
そもそも高いところでし烈な戦いをする選手はそんな精神的なレベルの低いやつはいない。自分よりもレベルの低い奴らに対して高圧的で見下している奴に限って自分もそれほど大したことはない。でも、9割以上は日本屈指レベルでもないわけだから大したことは無いと言える。
そんな9割は大したことないのにその9割が精神年齢が低いわけだからそんなところで部活が出来るか!というのが結論になる。今はどうか知らないが。
そんな精神的にレベルの低い奴らが今や指導者の立場になっている人が多いだろうが、指導者に成れる人もほとんどいない。もともとそういう精神構造で人を指導する立場にはなれない。もしなっていたとしてもそこで活動する子供たちは可哀そうだ。
だから学生の自殺も無くならない。自殺の一旦は本人たちが言わないケースもあるからそういう低い精神構造の持ち主が今も一定程度居て、片棒を担いでいる場合もあるだろう。しかし、本人は気が付いていないという愚かしい事態もあるだろう。
いろいろ書いたが、そういうこともあって私にはスポーツに対する肯定的な認識はない。
だからやらないし、見ているだけで十分だ。エラーしたら怒鳴られ、大会でミスしたら袋叩きにされ、もうオマエなんか要らないと言うから辞めたら、裏切り者と罵られる。
昭和の部活の実態はソレだから。
いや、減ったかも知れないが今もそうかもしれない。
だがそうやって偉そうな態度を取る連中も「出来ない9割」の一部だし、優秀な選手のヤラレ役でもある。だから勘違いしている奴らが多いわけよ。
世界のトップアスリートにそんなレベルの低い奴はいない。
あ、私?良いのよ私はこんなこと書いても。どうせ、レベルが低いのだから。
少なくとも自分にレベルが低いという認識があるだけマシだと思っているから。
だからスポーツはこれから先もやらない。どうせ、精神年齢はそのままに年を重ねた奴らがいるだろうからそういう奴らとプレイすれば気が滅入るようなことを言われるに違いないから。
つまらない文章だが是非!スポーツ振興に関わっている人は読んで欲しい。
9割のつまらない、自意識だけ高い連中の精神を駆逐しなければ、裾野の広がりは幻想に終わるだろう。少子化で危機的状況にあるにもかかわらず一定程度そういう環境があるのだから希望を持ってスポーツ界に飛び込んだ人々もそのほとんどが心に傷を負って去って行くだろう。そういうことに思いを巡らしたことがあれば幸いだが。
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