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2023年03月28日05:05

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もう一人の祖父の源流はここに


人間の性格というのは、なんとも不思議なものです。生まれ育った環境のなかで形づくられるのだろうが、祖父母や両親、子や孫をみていると、どうもそれだけでは説明がつかないところがあります。 一緒に生活していないのに言動や立ちふるまいが、なぜか似ていることがあるからです。

安倍晋三元首相の思想と行動はどうだろうか。たしかに思想は身近な存在だった母方の祖父である岸信介元首相の影が見てとれる。だが行動は、つかみどころがなく「両岸」といわれた岸と違い、かなり筋っぽいところがあります。それがどこから来ているのか。

晋三首相の源流を探ろうと、父晋太郎・元外相の父親で、もう一人の祖父である寛・元衆院議員の軌跡を追ってみると。安倍寛は明治27年(1894年)、日本海側の山口県大津郡日置村(現長門市)に生まれました。萩中学、四高をへて、東京帝大法学部を卒業し、ほどなく故郷にもどり政治家をこころざします。

昭和3年(1928年)38歳のとき、普通選挙法が成立してはじめての衆院選に山口1区から立候補しました。日立製作所の生みの親で政友会の大立者だった久原房之助 (萩出身)らに果敢にいどんだのです。しかし、落選の憂き目にあいます。

昭和8年、38歳のとき日置村長になり、それから亡くなる21年1月まで村長をつとめました。当時は兼職が認められており、100年には山口県議に当選。そして1年の衆院選に無所属で立候補し、初当選を果たします。

そのとき掲げた旗印が「新興政治勢力の結集」。政友会、民政党の既成政党を痛烈に批判しました。同期の当選者に三木武夫元首相、赤城宗徳・元農相がいました。寛にふれて、岸は「三木にしても赤城にしても彼の子分だよ」「若い代議士を集めてうごいていた親分的な男でした」「今松陰と称せられた気骨のある人」と述懐しています。

赤城は「病身だが気性が激しく、今高杉晋作と呼ばれていました。人に感謝し、人に祈る心がなくては人間はダメだと言っていたが、わたしは彼と一番親しく兄弟みたいにつき合っていた」と思い出を語っています。昭和の吉田松陰とも今高杉ともいわれたところをみても、寛は思うことを曲げずに突きすすむ径行の人だったのでしょう。

2年からつづく日中戦争をめぐり13年、近衛文麿首相が「国民政府を相手にせず」との声明を出したのを批判。当時の雑誌『東方公論』の14年1月号への寄稿でも「国民を総力戦に動員し指導するには、近衛内閣には、一段強固なる覚悟が必要となる」と時の内閣に距離を置く姿勢を示しました。

東条英機内閣のもとでの17年の翼賛選挙では、大政翼賛会に反対する非推薦で戦い、激しい選挙干渉をはねのけて再選しました。三木武夫とともに戦争終結をめざす研究会をつくり活動します。

「姿かたちがそれはすてきな人でしたよ。それ以上に、言動が本当に立派だと思いました。 いまのこの戦争は、日本人のとるべき戦争ではないのだと、もっと平和でなければならないのだということを、一生懸命説いていらした」と三木睦子夫人が回顧しています。

三木にとって寛は同志でした。4年6月、参院選遊説の途中、田中角栄内閣の副総理・環境庁長官だった三木はわざわざ山口県油谷町まで足をのばし、寛の墓参りをしました。同12月に発足した三木内閣で晋太郎を農相に起用したのも友情からとささやかれました。

寛はまちがいなく一本筋の通った反骨の政治家でした。晋太郎は父親を生涯誇りに思い、演説会などで「岸信介の女婿」と紹介されると「安倍寛の息子」と小さくつぶやいていました。しかし、2年、戦後第1回の衆院選への準備をすすめている最中、急死します。晋太郎は東大在学中でした。2年生まれの晋三首相はもちろん生前の寛を知りません。

地元の江原清・元日置町長(5年生まれ)に寛の話を聞いた。「それは能力があり、優秀な村長じゃった。 美男子で、すらっとした威厳のある人じゃった。祖母は、安倍寛が歩くと銀座の柳もなびく、というちょった。安倍寛を知っちょる年寄りたちは、晋三さんは寛に似ちょるという。筋を通すところがそうじゃ」

『岸信介証言録』などの著書がある原彬久・東京国際大名誉教授は、寛と岸を次のようにみています。「二人は、岸がサイパン陥落 (1年)で反東条に動き、東条内閣総辞職で帰郷したところで関係を深める。安倍寛は信念の人、清廉潔白、思ったらいちず。岸は執念の人、目的追求のためには機略縦横」

「岸が両岸といわれたのは、政治家として単調ではなかったからだ。一方の岸だけに顔を向けて、他方の岸を押さえつけるのではない。あらゆる選択肢を手中におさめておく。 それが妖怪といわれたゆえんだ」

「岸だったら安倍首相のように靖国参拝しなかったのではないだろうか」首相が岸の思想と寛の行動をついでいるというのは単純すぎる見方だろうか。 長期政権をねらうなら、見習うべきは岸の行動のような気がしてならないというのでした。

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