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2023年03月22日05:12

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加藤の乱の顛末

読売新聞主筆の渡邉恒雄が主宰する政治評論家らの集まりに山里会という会があります。ホテルオークラ東京の日本料理屋「山里」で開いていたため、店の名前で呼ばれていました。政治家をゲストにオフレコで話を聞く会です。

そこに2000年11月9日夜、加藤紘一元幹事長が招かれました。加藤先生は1月に想定されていた内閣改造について 「森首相の手ではやらせない」と発言しました。そのころ開いていた臨時国会が閉幕し、内閣改造・自民党役員人事が想定されていたが、不人気だった森首相に内閣改造をさせないというのは、首相に退陣を促す発言と受け止められた。

野党が提出を予定していた森内閣不信任決議案の採決で、加藤先生が率いる派閥と盟友の山崎拓氏の派閥のメンバーがそろって衆院本会議を欠席すれば、不信任案は成立、首相は内閣総辞職か衆院解散に追い込まれる事態に発展するからでした。

オフレコ発言ほどあっという間に政界を走る情報はない。党内に激震が走りました。加藤先生は翌10日「内閣不信任案の採決に欠席することもあり得る」と一歩進めて倒閣宣言しました。それを自らのホームページ上に掲載、 メッセージを発し続けたのです。

ホームページへのアクセスが急増、応援メールも殺到し、数回サーバーがダウンしました。ネットの声が加藤先生の背中を押しました。ネットが政治を動かした最初の例だったのです。しかし加藤先生が相手にしなければならなかったのはネットとは別の世界です。

国会議員という永田町の人間たちです。衆院本会議での内閣不信任案の採決とは、衆院議員の頭数の計算です。そこが現実政治の空間でした。野中広務幹事長らの強烈な工作で、加藤派の面々の多くが、加藤先生とたもとを分かち、20日の不信任案の採決で党の方針通り反対に回りました。

涙ながらに「あなたは大将なんだから」と加藤先生の単独行動を押しとどめた谷垣禎一氏、そして涙ぐみ歯を食いしばりながら立ちつくす加藤先生。その姿はテレビで全国に放映されました。 不人気だった森氏に反旗を翻そうとした加藤先生の行動に期待が集まっただけに、その反動も大きかった。

あとに残ったのは政治不信であり、政党離れでした。加藤の乱が不発におわってしまったのです。石原莞爾に縁が深く、石原莞爾平和思想研究会では講演して頂いていたので「加藤の乱」はとても残念の結果となったのでした。

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