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2023年03月12日19:38

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藤井五冠が王将初防衛=羽生九段「タイトル100期」ならず―将棋

■藤井五冠が王将初防衛=羽生九段「タイトル100期」ならず―将棋
(時事通信社 - 03月12日 16:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7333806

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将棋の藤井聡太王将(20)=竜王、王位、叡王、棋聖と合わせ五冠=が11、12日、佐賀県上峰町で指された第72期王将戦7番勝負の第6局で挑戦者の羽生善治九段(52)を後手番88手で破り、4勝2敗として初防衛を決めた。羽生九段の通算タイトル100期の達成はならなかった。

 藤井五冠はこれで今年度保持するタイトル五つを全て防衛。進行中の棋王戦では、渡辺明棋王(38)=名人と合わせ二冠=に2勝1敗として奪取に王手をかけ、20歳8カ月の史上最年少「六冠」を射程に入れている。 

王将戦の感想戦で対局を振り返る羽生善治九段=12日、佐賀県上峰町(代表撮影)
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羽生を撃たないで…、私は心であなたにそう叫んでいたの…という気持ちの王将戦も終わってしまった。

えこひいきは仕方ないと諦めてもらうしかない。それでも勝敗は正しく決したのだろうと思う。時代を象徴する出来事だと思う。本当の意味での雌雄が決した。残る問題は全盛期の羽生と藤井のどちらが強いかという空想だけであろう。

しかし全盛期があるという事に不思議はないとしてもなぜ人の全盛期はなくなるのだろうか。かつては囲碁には20代の名人はありえないという言葉があった。読みの力だけで勝負に勝てるようなものではない。そこにはそれなりの経験が必要であるという当時の常識があった。そこには全盛期はどの年代で訪れるのかという感覚がある。そこには、いつかは落ちてゆくという事も含んでいた。

所が囲碁の世界ではあっけなく20代の名人が生まれしまった。常識を刷新するために若い人がいたのである。新しい時代の人が古い人を押しのけてその先に進む。蕾は常に表皮を破って出てくる。

スポーツがそうであるようにピークの若年化が激しい。質量と筋力のバランスで考えれば、成年より成長前の方が適しているスポーツがあるのは自明である。また筋力が発達した方が適しているスポーツもある。競技を正しくパラメータ化してしまえば、最適解は見つかるだろう。

逆に言えば、それに適応した者だけがその環境で生き残るという適者生存を太古のギリシャ時代から楽しんでいた事になる。

コンピュータの登場とAIによる探索によって、かつての10年の実戦を遥かに凌駕する経験を今の若い人たちは数年で手に入れる。それを浴びて育てば現在の最高のプレイヤーが登場するのに不思議はない。将棋も囲碁もAI世代が圧倒的に今を凌駕している。という事はその次の世代にも何かがあると予想される。

10年、20年単位で見れば、それは常に起きていた新陳代謝である。その時代を代表する人に勝利し新しい時代が幕あけする。そして次は追われる側になる。羽生でさえ無冠となる日がくるなんてどうして想像したであろう。そういう日が来るとは知っていても知りたくはない。だちょうの頭である。

しかし、これだけの人となると挑戦者として再び帰ってきた。それだけでファンの高まりは最高潮であろう。それだけで素晴らしい。どんな勝負が展開されようと、間違いなく天才と天才の激突である。どうして期待せずにいられよう。

勝負か芸か将棋も囲碁も江戸時代にひとつの美学が極まった。美学をもって探求するという世界に突入する。では勝負の美学と芸の美学は同じものか、違うものか。その背景にあるのは常に分からないに対する人間の行動である。

人間は既にAIには勝てない(一部の不具合は除く)。あらゆるデータ分析で人間を凌駕している。少なくとも平均をとれば完敗である。だからといってAIが全て知っている訳でない。つまりAIは神ではない。

しかし神ではないが、人間よりは強い。そういう点では天使みたいなものである。やつらは知たり顔で次の手を指し示す。確かに戦えば勝てない。ヤコブではあるまいし相手が手を抜かない限り勝利はない。

しかし、そんな事は太古の人々でさえ知っていた。AIに全部やらせておけばいいじゃないか。それが正解に近いのだ。どうせ勝てないのだ。数学も科学も人間が研究するよりAIに探索させた方が早く正確な結果を得られる日が来る。そんな気持ちにさせない為に神は人間に話しかけなかったのではないか。

AIより弱いプレイヤーを見て我々は何を楽しむのだろう。しかし世界の全ての人がプレミアムリーグしか見ない訳でないだろう。J2だろうがJFLだろうが応戦する人はそれなりに楽しんでいる。そこで人間が戦っているからその姿に共感する。強い弱いではない。レベルの問題でさえない。戦う姿に共感するのである。

もし人間がAIを埋め込みだれもがスーパーな能力を得たとしたら、我々の活動はどう変わってゆくのだろうか。確かに宇宙に進出するにはそれくらいの手助けはある方が良さそうだ。そういう時に我々は将棋や囲碁を打って楽しむだろうか。

そのような日にはプロの競技者とは単にAIの手を当てるだけの存在になるのだろうか。AIを超える手に驚くとは、いつかそういう日が来る事を前提としている。そうなった時に将棋や囲碁はどういう生き残りをするのだろうか。

eスポーツも当然だが人間同士だから成立する。どちらかがAIなら人間に勝ち目がない。クロック数の3桁は違う。人間が勝ち目があるのは、80年近く部品の取り換えなしで活動できる点くらいである。

人間同士の戦いに共感しファンとして楽しむ、それは面白い事だし別に不満もない。だがAIが本当の答えを知っていると思ったらそこで覚めたりしないか。

しかしよく考えればどうせ人間はおしゃか様の手のひらで遊んでいる存在である。あの孫悟空でさえ手のひらから出る事は叶わなかった。どれだけ科学が進んだとしても人間には叶わない事がある、という事は古い神話にも書かれている。

ならば今更AIが出現した所で何も躊躇する必要はない。神とも羽根のついた天使でもない。今度の新しい天使とはなんとコミュケーション可能なのである。

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