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2023年01月20日19:56

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キハ55・キハ26-400番台が揃いました

いつもの思い付きで勝手に輸送力増強計画をしちゃいました!w
ポチリにポチったところで到着した商品を並べてみます。
まずはキハ55+キハ26-400 急行色の2両セット。
こちらは2010年にプレミアムバンダイから限定発売された製品です。
(すでに13年前の商品ですw)
そしてこちらが2005年に発売されたパート11
(こちらはなんと18年前の商品ですww)
当時、準急色・旧急行色・急行色と首都圏色が発売されていたようです。
入手したのは旧急行色のキハ55・キハ26・キロ25(キハ26-400・600)です。
前面・側面・屋根も含めて同じ型を使っているようです。
限定版とパート11の急行色には両ワイパー付の更新後前面が付属していたようです。
旧急行色と急行色は塗装の塗分けラインが側面の乗務員室付近と前面で若干違っているみたいですね。
こちらが急行色の前面(更新前の片ワイパー)
こちらが旧急行色の前面
旧急行色と急行色の塗装が違うのでちょっと気になってググってみました。
キハ55登場時はクリーム2号に赤2号の帯を入れた準急塗装でした。
1959年に登場した151系特急電車と同様に窓廻りを朱色に塗り分ける塗装に変更されています。
さらに1960年代半ばからキハ58系と共通した急行気動車色(クリーム4号+赤11号)に移行しています。
どうやらこの移行時までの塗装が旧急行色だったようです。
このキハ55が旧型国電並みに面白い経歴の気動車なんで興味が沸いてしまったようです(自分比w)
登場は1956年で登場時はキハ44800形でしたが翌1957年の気動車称号改正でキハ55になっています。
キハ55系は1956年から1960年にかけて486両も製造され全国で活躍しました。
そもそもは日光への観光客輸送で1956年に東武鉄道が1700系日光特急を投入したことにはじまります。
ここで当時の国鉄は新たに開発した準急列車用気動車5両を試作投入します。
この試作車こそがキハ55なんですね。
キハ55形
1956年製造   DMH17B 1次車1〜5   (新潟鐵工所)客室小窓 (グローブ付白熱灯)
1957年上期製造 DMH17B 2次車6〜15  (新潟鐵工所)客室バス窓(蛍光灯)
1957年下期製造 DMH17B 3次車16〜46 (新潟鐵工所)客室バス窓(蛍光灯)
1958年製造   DMH17C 4次車101〜270(新潟鐵工所・帝國車輛工業・富士重工業)客室一段上昇窓(蛍光灯)
キハ26形
1958年製造   DMH17C 1次車1〜22(新潟鐵工所)客室バス窓(蛍光灯)
1959〜60年製造 DMH17C 2次車101〜272(新潟鐵工所・帝國車輛工業・富士重工業・日本車輛製造・東急車輛製造)
                     客室一段上昇窓(蛍光灯)
キロハ25形
1957年製造   DMH17B 1次車1〜5   (新潟鐵工所)客室二段窓(蛍光灯)
1959〜60年製造 DMH17C 2次車6〜15  (新潟鐵工所)客室一段上昇窓(蛍光灯)
※全車1967〜68年に格下げしキハ26-300番台へ
 さらに1973〜75年に13両がキユニ26、2両がキニ26へ改造されて型式消滅
キロ26形
1958〜60年製造 DMH17C 1〜61    (帝國車輛工業)客室一段上昇窓(蛍光灯)
※全車1967〜69年に格下げしキハ26-400番台へ
 さらに1976〜77年に21両がロングシート化されてキハ26-600番台
 さらに1976〜80年に7両がキユニ26
キユニ26形
1973〜80年にキハ26-0番台から2両、100番台から3両、300番台から13両、400番台から7両の合計25両が改造されました。
キニ26形
1973〜75年にキハ26-0番台から2両、300番台から2両の合計4両が改造されました。
キニ56形
1971〜78年にキハ55-0番台から1両、100番台から3両の合計4両が改造されました。
これだけ大所帯で全国で活躍した車両ですがいずれの型式も国鉄民営化前に全車が廃車解体され
国鉄と共に消えてしまいました。
まぁそのあたりがとても共感を覚える車両なんでしょうね。
のんびりじっくり作って在りし日に思いを巡らせようと思います。
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