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2022年12月19日19:51

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【M-1】優勝はウエストランド 大舞台で毒舌漫才がさえわたる「初めて主役になれた気がした」

【M-1】優勝はウエストランド 大舞台で毒舌漫才がさえわたる「初めて主役になれた気がした」
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漫才日本一決定戦『M-1グランプリ2022』決勝が18日夜、ABCテレビ・テレビ朝日系で生中継され、コンビのウエストランドが史上最多7261組の頂点に立ち、第18代M-1王者を戴冠した。

【動画】ウエストランド、M-1優勝直後の心境&涙の理由を明かす!?毒舌絶好調で爆笑会見に

 ウエストランドは、河本太(38)と井口浩之(39)が2008年に結成し、今年14年目。2020年以来、二度目の決勝進出で王者となった。爆笑問題の事務所・タイタンに所属。ツッコミの井口が毒舌で畳みかけ、ボケの河本と応酬するしゃべくりネタが人気。

 この日、ファーストラウンドはトリの10組目で登場し、大舞台で毒舌漫才がさえわたった。『M-1』の感動劇をイジってみせ、爆笑を誘った。ファイナルラウンドでも勢いそのままで、大阪吉本勢のさや香、ロングコートダディに勝る支持を集めた。

 優勝が決まると、河本は号泣。一方、井口の毒舌は止まらず「こんなにセリフ少なくてネタも飛ばしたやつが大号泣してるんで、腹たちますね」と、ならではの言い回しでコンビ愛をにじませた。河本は「相方ばかりの稼働が増えてすごく暇だった」と吐露し「どこでも頑張ります」と感激しきり。井口も「コンビで頑張ります」と重ねた。また、井口は「自分の人生なんですけど、初めて主役になれた気がした」と喜びを語った。

 ファイナルには、ウエストランドのほか、ダイヤモンド、男性ブランコ、カベポスター、ロングコートダディ、さや香、真空ジェシカ、キュウ、ヨネダ2000、敗者復活戦を勝ち上がったオズワルドの全10組が出場した。

 決勝の司会は、昨年同様に今田耕司(16回目)と上戸彩(11回目)。審査員は、ダウンタウン・松本人志(16回目)、中川家・礼二(8回目)、サンドウィッチマン・富澤たけし(6回目)、立川志らく(5回目)、ナイツ・塙宣之(5回目)、博多華丸・大吉の博多大吉(3回目)、山田邦子(初)の7人が務めた(※回数順、同数の場合は50音順)。
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前日の細かすぎて伝わらないモノマネでは、キンタローの破壊力に十分な満足を得て、ラパルフェ都留のお笑い向上委員会では知らなかった面白さを知り、驚いた日であった。

そしてM1である。もしウエストランドが決勝に進出できていなかったらきっと見なかった筈である。2020のM-1以降、ビデオに残っているお笑いはゴッドタンを除けばウエストランドくらいしかない。

だから、ウエストランドが、まさか?が第一印象である。来年の出演が増えるなら、二位でもいいと思っていた。

しかし、優勝したからと言って、来年のウエストランドが売れるかは別の話になる。M1優勝者がNo2より低迷した例は幾らでもある。ましてコンビの片方だけが辛うじて残っている人も大勢である。

最初にあるなしクイズをやった時には10番目という事もあって、静かな立ち上がりに「にちようチャップリン」でもう見たよ、このネタという感情もあって、もしかしたら勝負を捨てたのかもと思った。が、同じではなかった。既に聞いた事のある内容にも係わらず、勢いの瞬間風速が最大を記録したと感じた。

漫才として見れば、さや香の方が完成度は高かったろう。総合力では圧倒的に上だったとも思う。そういう意味では今後のバラエティで使いやすいのは圧倒的にさや香の方だとさえ思った。所が、さや香の漫才はこれは台本どまりなのかな、それとも実生活までそうなのかなという仕事とプライバシーの境界線みたいなのが見えない部分がある。井口はあれは完全に全部本音という感じがする。この場合、真実はどうでもいいのである。どう受け取れるかの問題だから。

もちろん芸がプライバシーの切り売りである必要はない。優れた芸にはそういうものは不要。もっと言えば、全てを芸に捧げているなら仕事とプライバシーの境界は極めてグレーである。数学では朝起きてから数学を考えるようでは不十分である。寝ている時から考えるくらいでないとものにならないと言う。プログラマなら寝ている時にバグ修正の夢を見るまでは半人前とも言われる。うそつけ何人の子供がいるんだよという話である。

どのような人間にもプライバシーは必要である。それはあらゆる警戒を解除するという意味でもそうである。それがなければ脳は休めない。まして自分の全てを人前でさらけ出す事は物理的に不可能だ。時間単位で刻々変わる自分を一瞬の中に全てを凝縮して表現するなど次元をひとつ上げなければ不可能なはずである。

そういう意味でもさや香は圧倒的なプロの仕事だったと思う。その完成度の高さが評価されていいように思える。一方のウエストランドはそれらを全て熱量で圧倒したように見えた。ライブという舞台だから成立したとも言える。

M1のような形式ではトップバッターは基準値になるため、相当なスタートダッシュをかけない限り、後続を抜き去るのは難しい。それに続く演者は一つ前の残り香の影響を断ち切りながら自分の舞台を作ってゆく。特に爆笑を掻っさらったり異次元空間に転生したような時にそれを元に戻すだけでも相当な力量が要求される。

くじ運が影響する要因であるが、ウエストランドはそれらを見事にやってのけたように思える。言葉の連打で前の舞台の空気を全て燃やし尽くた。この切り返しする技能はどの芸人でも持っている筈である。ある意味では全ての芸人は消火器を持っているのである。

所がウエストランドはそれを放火する事でやってのけた。前の空気を燃やし尽くす事で薙ぎ払ったように思う。それが特に顕著だったのが決勝であって、前と同じネタで勝負するのかと思えばM1批判、大阪批判を繰り広げたのは圧巻だったように思える。

タブー破りというのはいつの時代も人の心をつかむ。オードリーはM1勝者ではないが、春日がゆっくりと歩いてきただけで、何かを掴み取った。普通は小走りで来るものである。時間が惜しい、数秒の中に入れたひとつの笑いが雌雄を決すかも知れないのある。

所が軽く5秒以上を無駄に使い切った。ひとつの笑いも起きない。ピンクのベストを着た男が単にゆっくりと歩くだけである。だが、この5秒の間が決定的だった。NON STYLEの事は忘れてもオードリーの事は忘れられない。トーナメントには負けたが勝負には勝ったのである。もちろん、その後の状況を見ればNON STYLEもナイツも勝負には勝ったのである。

恐らくトーナメントとは関係なく印象に残る人というのが出現する。そしてその最大のピークがどこであるかはこれまた別の問題になるのである。

ウエストランドはぶちラジを聞いていればいい奴だがそう面白い訳でもない。舞台でもそうであったが、彼らはA10攻撃機であって、F35,F15,F4のようなマルチロール機ではない。今回は舞台だったからうまくはまり評価もされたが、テレビのスタジオで同様の笑いが起きるかは別の問題だ。

井口の悪口、人を傷つけるというワードが審査員のせいもあって今後の注目のされ方は危う。ウエストランドの笑いを悪口と思った事はない。毒舌とも違うと思う。あれを文章にしても絶対に面白くないはずである。あれは一種のラップと同じで、まくしたて方が面白いのだと思う。次々とくるワードの関係性が面白いのだと思う。その横に炎上し過ぎないように河本が立っていて、ちょろちょろと水をかけている。もし、あれを井口が一人だったら単に頭のおかしな人だ。

漫才というフォーマットだから成り立つ。爆笑問題の漫才が社会批評でも面白いのは、太田光が漫才以外で語る社会批評とは全く別ものである。ウーマンラッシュアワーが漫才で中川パラダイスが横にいるから芸が成立する。もし居なければどうなるか。それは芸人の社会運動になる。ナイツの突出した風刺も笑いが成立するのは横に土屋が立っているからだ。

漫才という形式には言動に対して常に中和が存在する。リセットして次に繋げる、その繰り返しな部分がある。ツッコミと呼ばれる側の多くが観客の感情の基準を支配している。

相方が引いていないならこれは笑ってもいい状況である、そういうテレビのワイプと同じ効果を発揮する。ワイプに抜かれるタレントや俳優たちが表情で観客たちの感情を誘導する。つまり無意識に教えてもらった感情を発揮するように作られている。

ここは笑う所ですよ、ここでは泣いてもいいですよ、さあ怒ってもいいですよ、そういうガイド役がいる所で、安心して感情を託す事ができる。

この構造は映画であれ漫才であれコントであれ同様だと思う。何を見せられているんだ、という感想は、そのガイド役を取り除いたともいえるもので、この構造を逆手にとっても伝わるはずであるという演者たちの信念が全てだ。

華丸大吉の漫才は突っ込みではなく華丸をなだめるを理想とするという。彼らの漫才のリズムや間の面白さには、それぞれの素の人柄と感じられる瞬間がある。この人柄が観客にとっては最も重要で、そこでそっぽを向かれたら笑いは起きない。

芸とプライバシーの垣根が消えてしまう瞬間がある。これは本心であるな、という唯一の部分が、全体を覆う瞬間がある。この有り無しは、舞台では重要である。本心でなければ、メッセージにも意味はないからだ。政治家の言葉にそれは顕著に感じられる。

華丸の奔放さは、大衆が持っている常識の強靭さそのものを体現しており、そこに大吉が翻弄される構図が面白い。いわば古典落語を漫才にしているような所がある。

笑いの根底にあるものは信頼である。それを獲得するために、全くの赤の他人の前で芸人は舞台に立つ。その過程を通して、印象に残る、何かを伝えたい、その先にしか笑いはない。ル・ボンの群宗論でさえこの構図は崩しえない。ただ群衆の場合は群衆を動かすためのガイド役を潜めやすい。人は一端、こうだと決めると、そこに安住する脳の癖がある。一度笑ってもいいと決まると、簡単にいじめになり、暴力になり、死亡へ至る道がある。

芸能は優れてそうならない安全装置を何十にも持っている。特に最近のお笑いは多くに人が優れて試行錯誤を繰り返し高度なテクニックが編み出されている。社会の風刺であろうと、批判であろうと、それを笑いという形で瞬間の風速でだけで終わらせる仕組みがある。

つまり優れた笑いは舞台が終わった瞬間に笑った記憶だけで内容など消えてしまうくらいで調度いい。印象だけが残って、それが何か良いものだったと感じるのがいい。それをテレビの中で発揮する。来年のウエストランドには不安半分、楽しみ半分といった所だ。

ねたみ/そねみ/ひがみを満たされた者が持っても共感は得られない。M1優勝はある意味では営業妨害だろう。すると何を活力に芸の方向性を磨くのか、偏屈をつらぬくのか。爆笑問題といういいサンプルがある。だからこれからがもっと面白いと思う。

もちろん、これはお笑いの分析などでは断じてないのである。ウエストランドが選ばれた事への期待と不安、ファンにありである。

M1に優勝したからといってポンコツが高級車に生まれ変わるはずもない。河本の二代目森泉が漫才になればなと思う。

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