電子図書を読む機会が増える中で、同人作品にふれる機会が増えた。
漫画家が同人として参加したり、販売をしたりしているからだ。
見ているうちに不思議な感じがした。
最近は同人からはじめて、そこで人気が出ると出版社に認められ連載漫画家になったりするようだ。
コミケなどの同人は、もともと愛好家というか、高校や大学の漫画研究会やCGクリエイター、小説の同人などがあり、彼らに発表する機会を与え新しい才能を発掘する。
昔の小説の同人は文化祭で販売したりするくらいだったから、市場やチャンスが広がった感じだった。
面白いと思いましたよ。
ところが最近、編集プロダクションの雰囲気がありありと感じられるようになった。
個人でやったりプロになった人が原点を忘れずという感じでやっていることも多いようだが、これだけの作品を職業を持っていて愛好家だけでやるというのは難しく、編集プロダクションが副業でやっているのではないか?と思うようになっている。
私もコミケとか行かないけど、編集プロダクションも片方で普通の本の編集や執筆をし、片方で同人にも参加してビジネスをしている。
しかしそうなると、愛好家ではないのではないか?
アニメやゲームにおいては、二次作品を寛大に見ることで、逆にファンを増やしビジネスを広げることができるというのがある。
同人は無視できない人たちだ。
しかし編集プロダクションがビジネスですれば、それは同人ではないのではないか?
同じ作品を同人で発表し、一方で出版社から発行すれば、いったいどっちが本当の顔なんだと思ってしまう。
他にコアなファンを集め、ファン限定作品をしているところもあるそうだ。
最近電子図書のおかげで、出版業は復活しつつあり、同人も商売にできるほどの人は少ないようだが、大量生産で商売にしている同人も多い。
出版社が同人の世界に参加することはけじめとしてできないと思うが、この人たちは編集プロダクションであって同人ではないのではないか?と思うことが多い。
それとも今や同人とは、編集プロダクションの別名ということなのだろうか?
ゲームにしても、「これ普通にゲーム会社が作っているんじゃ?」というのが増えている。
簡単なゲームで「これ楽しんで作ったな」という同人らしいのもありますけど。
同人のイメージが変わってしまい、よくわからなくなった。
昔、高校で小説を発表したり、好きなアニメの絵を描いて文化祭で発表している人達がいたが、同人というのは変わってしまったのだろうか?
小説の白樺派がもともとは学習院の同人であったことは知られている、一部の同人は編集プロダクションやゲーム会社と見て間違いないのだろうか?
最近わからなくなってきている。
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