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2022年11月12日20:51

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お子ちゃま思想

清濁併せ持つ、という言葉がある。
世の中にはいろんな立場の人がいて、それぞれが自分の立場のなかで義務を果たそうとすると、どうしても矛盾が出てきてしまう。不条理や理不尽は、そういうところから生まれてくるのだが、そういうものをひっくるめて飲み込んでいる人は、「清濁併せ持った」人といえるだろう。
若い頃というのは、これがなかなか難しい。社会経験が未熟だと、どうしても自分の身の回りしかみえてこず、自分と違う分野・考えの人をとかく否定しがちだ。
自分は清いと思い、それに反する勢力は濁った存在である、と思い勝ちだ。
しかし、年齢を重ねて社会経験を積んでくると、だんだんに世の中の仕組みがわかってきて、若い頃は濁っていると思っていた人たちにも、様々な事情があることを理解する。そうなってくると、自分の信条は一旦棚上げし、他の人たちのの分もひっくるめて妥協する道はないか、考えそして行動する。
年配者に求められる人生スキルである。

さて、何故こんなことを書いたのかというと、いい年齢になってもそういう考え、感性をもてない「お子ちゃま思想」の奴らが増えているんじゃないかという実感があるからである。
僕の身近にもいる。いい年齢になっているのに、常に「自分は正しい、相手が間違っている」を言い続ける。あたかも、常に自分は正論を言っているという全くの思い上がりで生きているのだ。
彼の口癖は、「本来であれば〜」。「本来であればこうあるべきなんだが、上が出す指示は全然違う。よって上の指示が間違っているから、俺も言うことを聞く必要がない」とまあこんな発想をするわけである。
その「本来であれば」の内容というのも、誰にとっての本来なのか?全く根拠もなければ、自分のご都合に合わせた「本来」でしかない。そういうのは「本来」とは言わないのだが。
いい年齢になって、恥ずかしげもなくこういう発言をするのは、みっともない限りなのだが、当然のように彼は、独身であり、付き合った女性もいないのである。つまりモテない。
そのくせ、節々の発言から、「自分はモテるし、いろんな人からリスペクトされている」という、これまた何を持ってそう思うのか根拠不明の自信を持っている。
まあこのままそれで一生いってしまえばある意味幸せな人生なんだろうが、ブレない自分、大人に迎合しない自分を掲げて、勝ち誇った気分になっているのが浅ましい。都合が悪くなるとすぐに人の後ろに隠れるくせに。それもまた「本来であれば」尻拭いするのは、他の人の仕事だ、というこれまた自分勝手な本来論を言い出したりする。
とまあ、こんな「お子ちゃま思想」の人を、今僕は、具体的な特定の人をイメージして書いたのだが、いい年齢でみっともない人って増えたよなあ、、と思う。
増えたのか、もともとこの程度いたのだが自分が気づくようになったのかは、不明だが、しばしば目にする。
自分のこだわりとか正義感に固執するのは結構だが、それが行き過ぎると、めんどくさい奴でしかない。もっといくと、単なるウザい奴。挙句に、自分ルールを決めていますなどと傲慢に言い切るのもウザい。
そういうのは、自分の心にとどめておけばよい話であって、人にわざわざ宣言するあたりが痛々しいことに気づいていないのだ。自分ルールなんてしらねえよ、アホかお前は!と言いたくなる。
他人からの批判の声は一切無視し、社交辞令の褒め言葉を金科玉条のごとく自慢したりとか、社会の中の自分、という感覚が一切抜けている人なんか、痛々しすぎて激痛が走る。
一体、こういう人って、他人からみた自分が「単なる馬の骨」でしかないという自覚はあるのだろうか?自分からみた自分なんて、スーパーヒーローに決まっている。世界に2人といない唯一無二の存在であるのは、自分からみた自分でしかなく、他人からみればどこかの馬の骨なのである。
その馬の骨が、他人は皆、自分をリスペクトしていて、自分の考えが正しくそれに合致しない人は全て誤った人たちであり、その他大勢の人は自分の完全なる賛同者である、なんて思うのは愚の骨頂である。そのことにいつまでも気づかないのは、経験が浅く辛酸を舐めたことがなく、およそ恥ずかしい人生だということを言ってくれる人が誰もおらず、実に悲しい人生だからじゃないかと思う。

そうは言っても、自分は自分を超えられないのも事実。自分の能力などたかが知れているから、万人に理解される完璧な人間になんてなれるはずがない。
であるから、なおのこと、他人がいて自分がいる、という謙虚な考えを持つ必要があるだろう。自分ではここまでしかできないから、自分ができない部分は他の人に任せる、というギブ&テイクをしていかなければ、「本来であれば」生きていくことはできないのだ。
例えば、個人事業を経営していたという自称元経営者がいた。そいつは、結局経営に失敗し、今、何やってるんだかわからないのだが、毎日のようにパチスロをしているらしいので、ロクな人生じゃないだろう。
失敗したことに関しては能力であったり運もあったりするから仕方ないのだが、そいつは、宮仕えのサラリーマンなどをひどくバカにする。
世の中では経営者が一番偉く、苦労もしている。サラリーマンなんか、単に会社の言うことを聞いているだけでサラリーもらっているだけだろう、と。
僕は、経営をしたことがないから、経営者の苦労はもちろん知らないが、そういう独善に陥るような浅はかな人生観しか持ち合わせない「お子ちゃま思想」だから、こいつは経営者として失敗したんだろうなと思う。
経営するものが、宮仕えのサラリーマンをバカにするというのは、自分のところの従業員をも見下しているということだろう。一体誰がそんな経営者についてこようか。
従業員あっての経営者、経営者あっての従業員、というバランスが取れていて事業というのは初めて成り立つのだが、「私偉い、お前らバカ」というお山の大将など、とっとと見切りをつけるわ。普通は。
何をどういっても、そういう人間は、そこに気づかないし認めようとしないのだ。
世の中がそうなってしまったからなのかはわからないが、とかく自己評価の高い人間が多すぎる。もちろん自己評価が低すぎるのもメンタル病んで自殺でもしかねないので問題はあるが、自己評価が高すぎる人間が増えてしまうと、社会は立ち行かなくなるだろう。
もっともそれなりに経験を踏んで人並みの苦労をしてくれば、謙虚さが加わってくるのは当然だし、ほとんどの人がそうだと思うが。

とにかく、「自分の足元をしっかりと見る」、そして「誰かの助けがなければ自分はたいしたことができない」というのをしっかり認識しよう。
蛇口をひねれば自然と水が出るのではない、様々な人がそこに携わって協力し合い、はじめて蛇口をひねれば、生活に必要な水が使えるようになる、ということなのだ。
それともうひとつ、「努力は自分、評価は他人」であること。自分の努力を自分で評価するな。やるべきことをやり、それ評価するのは他人に任せておけばよい。
とまあ、いくらこんなことをいっても「お子ちゃま」には届かないのだろうが。

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