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2022年11月06日19:01

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ありし日のオチヤイさん

スポーツ雑誌Number10月号は、野村克也と落合博満の比較特集だった。
こりゃー面白そうだ、と思い、即買ってしまった。選手として監督としてすぐれた実績を残した2人だが、そのやり方にそれぞれ違いがある、個々の技術者集団を組織として纏め上げるやり方に違いがある。共通しているのは、どちらも選手時代のそのすぐれた実績から、自らもすぐれた技術者であったということ。
自らが苦労して到達した領域を、今度は指導者として活用する。こういう人っていそうでなかなかいないのである。

ノムさんは、個人は組織のためにあるべきだという考え方で、ある程度個人には犠牲を強いる。極端な言い方だが、滅私奉公の精神が磐石な組織を作り上げて行くという考え方ではないだろうか。
たいして落合は、個人の技術が向上すれば、組織は自動的に強くなるという考え方。その技術をうまく活用するのが監督の仕事である、と。
これは、落合が現役の時からの信条で、プロ野球の世界は、個人の技術を組織に買ってもらう、という強い発想がある。だから、そのチームへの帰属意識などどうでもよく、技術を買ってくれたチームに対して契約通りの仕事をする、という考え方で4球団を渡り歩いた。あくまでもプロ野球選手は個人事業主である、という徹底した職業意識である。
これを歴史上の人物に例えるなら、性格の違いはあるものの、ノムさん=徳川家康、落合=織田信長、といったところか。
結果的に、歴史が示すように家康的なほうが日本では最終勝者になるのだが、革命的に価値観をひっくり返し世の中を進歩させるのは信長である。
なるほど、落合の代名詞である「オレ流」は、野球界に今までにない価値観をひっくり返すような強烈なインパクトはあるが、その後継者は育たず、一代限りで実績を作って消えて行ってしまう運命にある。
ノムさんは、亡くなったあとの今現在でも、「野村チルドレン」を多数球界に残し、野村的価値観は、現在の球界にかなり浸透していると思われる。
僕自身は、どちらが良いかということはわからないが、圧倒的に面白いのが落合流である。何せ、中学の時からのファンで、その一挙手一投足をみてきたから。

落合が3度目の三冠王に輝いた86年、僕は中学3年生だった。
当時は巨人ファンだったのだが、今と違って全く人気のないパ・リーグでさらに不人気球団のロッテで、客もまばらな老朽化した頽廃的な川崎球場でいぶし銀のごとき光を放っていた三冠王・落合に底知れぬ魅力を感じていた。
当時全国区の人気を誇り、売れっ子タレントさながらの巨人の選手たちは、インタビューなどで予定調和的な優等生発言をしていた。しかしロッテの落合は、そのインタビューで、度肝を抜く本音発言をしていた。
例えば、シーズン途中に三冠王を獲れそうか?というインタビューには、「99%大丈夫でしょう。残り1%はケガや事故が怖いですね」と言い放ったり、記録に対する重圧にどう対処しているのか?という質問には「酒飲んで寝ちゃうだけですよ。考えたって仕方ないもん」と言い放ったり、なんとも驚かされる発言ばかりだった。
そして、3度目の三冠王を獲ったその年のオフに、「なんて言われようとオレ流さ」という本まで出版。この本は早速購入した(残念ながらどこかのタイミングで古本屋に売ってしまったらしい・・今読みたいのだが絶版でプレミア価格になっている)。
この本を読んで、落合博満の人となりがわかったのだが、これがまた、「こんなプロ野球選手がいたのか!」と思われるくらいすごい内容で度肝を抜かれた。まあ、今となれば特に当時のプロ野球界はヤクザな世界で、プロ野球選手は皆こんな感じだろうと思えるが、当時はなんていうのか、プロ野球選手は子供たちの模範、みたいな偽善的建前があったので、あまり私生活の裏側までは語らなかった。
思い出すままにインパクトに残った内容を列挙してみる。
まず、「はじめに」のところで、銀座がどっかのクラブに言った時の話からしている。そこのホステスに、「入店して間もないのでうまく給仕できないかもしれませんがよろしくお願いします」と言われたことに対して、「冗談でしょう!仮にもプロなんだから、入店して間もないとか関係なく、お金を貰っている以上は出来て当然じゃないの!」と言い放つ。
僕は、当時からプロ野球の大ファンなので、プロ野球選手が書いた本は随分読んだ。王さんが書いた本などは、本当に真面目で青少年に努力して目標を達成する素晴らしさが啓蒙されていたのだが、まあ王さんとまではいかなくとも、「これだけ練習してこうなった」というような内容に貫かれていた。
それが、いきなりクラブのホステスである。しかも、努力して云々ではなく、お金を貰っている以上はプロなんだから出来て当たり前、という何とも現実的かつ大人の世界の内容であった。
それから、信子夫人との赤裸々なセックスの話とか、若い頃の性欲解消には専ら「お風呂」だったとか。お風呂だとお金で解決するしめんどくさくなくていい、とか。ついでの童貞喪失は20歳でオクテだったとか。
秋田工業高校の野球部では、先輩の理不尽なシゴキが嫌で入退部を8回繰り返し、それでも野球の実力は群を抜いているから試合があると呼び戻されるとか。野球部の練習に出なくなって、ついでに学校も行かなくなり、不登校で映画館に出入りしていたとか。
ちなみに落合の映画好きは半端なく、映画評論だけで1冊の本まで書いている。しかもなかなか面白い。
落合の映画の見方は、同じ映画を何度か観て、観る時にそれぞれテーマを決めるらしい。結果、その映画を隅々まで覚えてしまうのだが、その観察眼こそが、プロ野球の選手、監督としてあそこまですぐれた実績を残せた要因ではないかと思う。
落合は、高校卒業後、東洋大学に入学するも1年またずに中退。それから2年間プラプラしてプロボウラーを目指すなどもした挙句、高校時代の恩師のツテで東芝府中に入社する。
その間に、一応、草野球で早朝野球に参加していたりなどしている。そこら辺がかわいらしい。
その後は、弱小野球部の東芝府中で、臨時工として社業をこなしつつ、野球の練習。その弱小社会人チームで大活躍し、落合博満という存在は、一気にプロ野球スカウトの目にとまるようになる。
東芝府中での社会人生活5年を経て、これまた当時実力・人気ともに球界最下位クラスのロッテに入団。そこからの快進撃は、説明不要であろう。

なんかこうしてみていると、東北から出稼ぎできたしがない工員ていう感じだ。
安月給サラリーマンが、一気にプロ野球界という華々しい世界へ入り、そこで名をあげて駆け上がっていくサクセスストーリーにも見える。
なので、現役時代から、物凄く生活臭がする人だった。工場労働で稼ぎ、煙草を吸い、酒を飲み、パチンコをやり、ソープに行き、昭和の典型的サラリーマンていう感じだ。
プロ野球界に入っても、プロ野球選手は個人事業主という立場に徹底していて、年棒にはそうとうのこだわりがあった。現役時代の落合が契約更改でもめるのはもはやストーブリーグ風物詩になっていた。
プロ野球選手なんてのは、子供の頃から野球をやっていて、能力が高かったのでそのまま高校で甲子園にでて、そのままプロの世界に入って、という世間ズレしていない連中ばかりと思われるが、こういうまさに野球の底辺から、ある時期を境に才能と運がはまってしまって、プロになる選手もいるのだ。
そういう意味だと、ノムさんも、南海ホークスへテスト入団している。最初は、ブルペンキャッチャーかなんかの裏方要員だったそうで、そこから成り上がっていくのだから、底辺スタートといえなくもない。
そのためか、落合には、まず生活費を稼ぐために自分の技術を球団に買ってもらう、という職業意識が前提にある。その技術をより高く買ってもらう球団と契約するのは当然であると。
この発想が、組織に従属を求める終身雇用型が大好きな日本人には受け入れがたく、落合を嫌いな人はとても多いのだが、落合自身が監督になって、選手を指揮する立場になってもそのスタンスは変わらずであった。
選手は、自分の生活のために1本でも多くヒットを打つ、1つでも多くアウトを取る。それを組み合わせて勝利に結びつけるのは監督の仕事、と役割分担を徹底している。
そのため、選手に人間性も求めなければ、マルチな才能も求めない。バントができる選手であれば指示があった時に確実にバントを決めてくれればよい、それがプロの仕事だという徹底した割り切りである。
全てが生活に根付いた発想なのである。まあ逆に、技術がなければ容赦なくクビ切られるのだから、徹底した厳しさもまた同居しているのだが。
プロ野球というのは、人気商売であることは誰もが認めることであろう。そのため、ついエンターテイメント性が重視されがちだが、落合のように、人気商売は棚上げし、「技術者集団」と捉えそれを徹底して全面に出したのは、彼以外にいないのではないか?
その選手に人気があろうがなかろうが、給料はその年の成績で決まるものだ、というある意味徹底した数値化とも呼べるだろう。
そして、そのことが、落合監督時代には中日ドラゴンズは無敵のチームだったということもまた事実。

ふと思ったのだが、落合のやり方、考え方である、球団への帰属意識ではなく、選手が球団へ技術を売っているんだ、という発想。これは多くの日本人に反発された。
だが、現在の業務の形態をみると、我々の業界は、あるプロジェクトをどこかの大企業が立ち上げると、今度は、様々な会社から人員を1箇所にかき集め、1つのチームを形成する。
各人員は、自分の持っている技術をそこに売るわけだ。決して会社が持っている技術ではなく、個人が持っている技術をである。所属する会社は、ただ人員を派遣してお金を貰い、社員にはそこから給料を支払う存在でしかない。
そのため、今は所属会社への帰属意識ではなく、いかに自分の技術を買ってもらうか、が重要になっている。なかなかドラスティックかもしれないが、僕にはあっている環境かもしれない、と思うことは多々ある。
落合のやり方、考え方に、時代が追いついてきたのかもしれない。だから今なお、落合博満が見直されたりするのだろう。

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