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2022年10月31日23:07

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語学バカ

仕事のパートナーが中国人なんだけど、何かというと意思疎通がズレていて困っている。
最初は、外国人との言葉の壁なのかなあ・・と思っていたんだが、どうも彼の持っている能力・感性に起因しているのではないか、と思った。
彼は日本語も英語もできるのだが、とある仕事でイギリスの会社へ問い合わせをすることになった。その際に英語ができる彼に問い合わせをお願いしたのだが、どうも質問の主旨が相手にうまく伝わらず、聞きたいこととズレた回答が来たのである。
日本語でも英語でも、そんな感じであるので、たしかに語学堪能なのかもしれないが、表現の仕方、感性、またコミュニケーションそのものの能力に不足がある。
使用する言語がどの国の言葉であっても、伝えようとする心、理解しようとする心に問題があるという結論に達した。

僕は、日本語以外の言語はしゃべれない。一応、大学受験の英語はマスターしたし、大学時代も第二外国語で中国語は履修したが、今はその知識もすっかり頭から抜けてしまっている。
その後、特に外国語を習得しようともしてこなかったため、他言語は一切ダメである。
なので、英語などの他国の言語を実践で使える人に対してはリスペクトするしかないのである。
しかしならが、件の中国人もそうだが、語学はできるものの、言葉として使いこなせているかというと?な人もしばしば見かける。
以前、うちの会社にいた女子社員(ギャル系)で、ハワイ留学経験があるというので、僕の後輩が英語のマニュアルかなんかの翻訳を頼んだ。仕上がった訳文を読んだら、翻訳はできたものの、日本語がメチャクチャだったそうだ。
後輩いわく、「英語ができるけど日本語に難がある」。
学生時代の後輩で、語学堪能で、フランス語やスペイン語をマスターして、スペインにずっと在住している人がいるのだが、彼もまた、海外在住はしているものの、向こうでフリーターレベルのことくらいしかできないくらい苦労している。
僕が彼をみて思うに、やはり日本語に難がある。海外で生活する行動力や度胸はたいしたもんだが、日本語での発言などをみると非常識で、いわゆる空気が読めない発言が目立つ。
思い出すのが、わが兄。身内だから殊更褒めるというわけではないが、兄は子供の頃から優秀で、今でも僕は頭があがらない。高い能力がありながら努力を怠らないため、どこへいっても優秀な成績を収めてしまう。
その兄は、日本で国家公務員をやっていたのだが、ある時突然公務員を辞職し、アメリカへ武者修行にいってしまった。
その最初の数年、兄は、英語でのコミュニケーションの壁に悩まされ、胃を壊すほどのストレスに晒された。
あれだけ優秀な人間でも、他言語圏で成果をあげるには、それだけの言葉の壁に苛まれるのである。
兄の偉いところは、途中で投げ出さず(同時期に渡米した人の大半は、1,2年くらいで耐え切れずに帰国してしまった)、10年もの歳月アメリカで頑張り、日本に帰国する頃は、その経歴を引っ提げ、さらに高いポストを得たことである。なかなかできることではない。

さて、僕などは完全なる内弁慶であって、そうやって海外で勝負する人に対してとやかく言えるほどのものはない。だが、外国語を習得して、そこで活躍するには、基本である母国語がしっかり出来ていなければダメなんだなーと思うのだ。
単に、言葉の表面的な意味だけ捉えるのであれば、表面的に語学を学べば良いが、そこの国へ行き、そこの人々とともに仕事をするとなると、そこの国の人の気質や文化、言葉の独特な言い回しなども覚える必要があるだろう。
そこまで理解するには、やはり自分に確固たる国語能力があって可能になるのではないだろうか。
つまり、日本人なら、日本語をしっかりわかっていること。言葉というのは、その国の文化や国民性を反映するものだ。それも含めての国語能力である。
例えば、日本語には謙遜という文化が根付いている。
「うちの息子がバカでしてねえ・・」
なんていうことを言ったら、そこには謙遜が含まれている。ここを言葉通りに受け取る人は、日本では「空気が読めないバカ」と思われるだろう。あ、貴方の息子はバカなんですね、なんて真に受けてしまうと終わりだ。
そのように、例えばビジネス上の依頼事項なんかでも、依頼した文言の裏の意味が含まれていたりして、そこまで読み取って依頼を受けるというのがビジネススキルとして求められていたりする。
相手は何を考え何を悩んで自分にこういうことを言って来たのか?というのを察する能力というか、想像する力である。それは、学校で学ぶ国語もそうだが、社会人になり、様々な報告や連絡、プレゼンなどを繰り返すことでより精度が高くなる。
つまり、感性や思考の根本となるものは、国語なのである。
その国語を蔑ろにして、グローバルだ英語の早期教育だ、なんてやっても、表面的な外国語のマスターはできるだろうが、感性や思考の基本的な訓練が疎かになるだけだろう。

件の中国人と接していても、恐らく若いうちから海外に目を向けた努力はしてきたんだろうが、根本的な感性や思考の部分で、とても抜け落ちているものを感じてならない。
なんというか、全てが薄っぺらくペラペラなのだ。盤石な背骨というか、ゆるぎない土台みたいのが感じられず、非常にフワフワした印象を受けている。
僕は逆に、何よりも国語を大事にしてきて、大学では国文学を学び、日本とは、日本人とは、日本語とは、を常に考えてきた。その結果かもしれないが、外国人と接する時に、外国語は話せないけど、ブレずに対等に接することができるという自負はある。
グローバルだなんだといって、国語を疎かにし、日本語もままならない幼少期から英語教育などをすると、土台がないペラペラな人間が出来上がってしまいそうな気がする。
それは、昨今のIT教育にも同じことが言えて、通常の読み書き計算を教えずに、これからの時代はPCなどの情報機器を使いこなせることが大事だ、とばかりに幼少期からそればかりをやっていると、いざという時に簡単な計算もできないような人間ができあがってしまう。
まずは、人間としての土台をしっかりと作ること。

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