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2022年10月21日07:16

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クルマ0346 初の女流F1レーサー(マリア・テレーザ・デ・フィリィップス)

フォーミュラ・ワンに性別による出場制限はありませんが、女性のF1レーサーはとても少なく、1950年の創設以来、2012〜15年にウィリアムズ・チームに所属していたイギリスのSuzanne Wolff(スザンヌ・ウォルフ、↓好み!)まで6人しかおりません。

https://images.app.goo.gl/vnBa9Qyy7ALoF2dW9

先陣を切ったのはイタリアのMaria Teresa de Filippis(マリア・テレーザ・デ・フィリッピス)で、1958年5月18日のモナコGPに出場したのが最初です。
ゼッケン44のマセラティ250Fで予選を22位で通過した彼女ですが、決勝では失格したと記録されています。

https://images.app.goo.gl/DmFLyWo79LDs4Uyn6

https://images.app.goo.gl/BzCSskNATfiSejEb9

そして1年後の1959年5月10日のモナコGP(ポルシェでエントリーしましたが失格に)まで合計5レースにエントリーしましたがスタートできたのは3レースに過ぎず、短いF1参戦期間中にチャンピオンシップ・ポイントは獲得できませんでした。

1926年11月11日にイタリア南部の港町ナポリの近郊マリリアーノで、イタリア貴族の父とスペイン人母の5人の子供の末っ子として生まれたマリアは、テニスと乗馬に夢中の活発な女の子でした。
21歳の時(1948年)にフィアット500でモータースポーツに開眼した彼女はメキメキ頭角を現しました。そして1954年にイタリアのスポーツカー・チャンピオンシップで総合2位になると、マセラティにワークス・ドライバーとして招き入れられました。

https://images.app.goo.gl/xnRsp7DJQYN8NR5Z6

ヒルクライムや耐久レースで結果を残した彼女は、1956年のナポリGPの前座レースでマセラティ200Sを駆って2位になると、前述のように1958年5月18日のモナコGPへの出場機会が与えられました。史上初の女流F1レーサーです。
なお、この時に彼女が乗ったマセラティ250Fは傑作の誉高いレーシングカーでした。5回(1951, 54〜57年)ワールド・チャンピオンになったJuan Manuel Fangio(ファン・マニュエル・ファンジオ)が1957年(46歳)の時に乗ったのがこのマシンです。

その後マリアは、34歳の時にオーストラリア人のTheodor Huschek(テオドール・ハシェック)と結婚し、モータースポーツとは距離を置きました。

https://images.app.goo.gl/qLcCLBu6SL5hVtnF6

1997年に国際F1ドライバーズ・クラブの副会長に選任されてからは、サーキットを闊歩する姿を見かけるようになったとのことです。

彼女は2016年1月8日に89歳で亡くなりましたが、その3ヶ月前にマセラティF250を駈る様子が撮影されています。88歳11ヶ月のお婆ちゃんがF1マシンを!

https://youtu.be/XWkBAE56C_s

https://images.app.goo.gl/rwLhZxv6nZhUDcPYA

https://images.app.goo.gl/KF29G4xnb8RFjxxf6

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