mixiユーザー(id:9783394)

2022年10月07日07:20

467 view

クルマ0344 売れ残り(ASTON MARTIN Type C)

アストンマーティンの2リットル・エンジンは、キャブレターによる自然吸気(Natural Aspiration=NA)で90〜100馬力程度の出力だったと言われています。このエンジンを搭載していた車種は、David Brown(デビッド・ブラウン)が1947年2月に同社を買収後、最初に作られたDB1(15台のみ生産。"DB"はDavid Brownの頭文字)がまず思い浮かびます。
しかし、この2リットル・エンジンはその10年も前に開発されたユニットでした。戦後、新しいエンジンを開発する時間的・金銭的余裕が無いためにDB1用に引っ張り出されたのです。
なお、デビッド・ブラウンは祖父が興した工作機械の製造会社を継いでいた実業家で、アストンマーティンを買収した時は弱冠42歳でした。買収額は20500ポンドに過ぎません(30000ポンドだったのを値切ったようです)。
デビット・ブラウンのこと(戦後)は、今回のタイプC(戦前)とは関係がないのでこれ以上書くのは止めておきます。戦後のDBアストンを摂り上げた本稿0181や0287でデビット・ブラウンのことに触れなかったので、ほんの少々調べたまでです。

さて、本稿0002でアストンマーティン・インターナショナルについて記した際に、同社は1924・26・32年に倒産したと書きました。1932年に三度目の倒産をした際にその窮地を救ったのが実業家のArthur Sutherland(アーサー・サザーランド)でした。
会社の経営はAugustus Cesare Bertelli(A.C.ベリテリ)が担っていた所謂ベリテリ・アストン時代で、1.5リットルエンジンを擁するクルマを生産していました。

すこぶる高価なため販売に苦戦していた1.5リットル・モデル、状況打開には何らかのテコ入れが必要なのは明らかでした。そこで、価格はあまり変えずにエンジン排気量を大きくして割安感を出すべく、オーナーのアーサー・サザーランドは、1936年初頭に10万ポンドを差し出して2リットル・エンジンの開発を命じます。
それに応えたのが、入社した1927年以来設計士として辣腕を振るっていたClaude Hill(クラウド・ヒル)です。従来の水冷直列4気筒OHC1492ccエンジンは1949ccに拡大されました。

2リットル・モデルは「15/98」というモデル名で、ホイールベース2515と2946mmの2種類が市販されました。
15/98というのは、RAC(The Royal Automobile Club=イギリス王立自動車クラブ、日本のJAFのような存在で自動車に関する重要なことを取り仕切っています)の課税馬力が15で実馬力が98という意味です。ただし、実馬力はメーカー申告値がそのまま用いられたので、あまり信用できません。

そんなノーマル・モデルのエンジンを高度にチューニングしたスピード・モデルが計画されました。よりリフト量が大きいカムシャフト、大径キャブレター、ドライサンプ潤滑などが盛り込まれていました。

https://images.app.goo.gl/eUy1sfCPeDtf3FvBA

https://images.app.goo.gl/VXtLeKd5qM8EJHh87

スピード・モデルのモディファイされたエンジンは110馬力にまで高められ、4速ギヤボックスを介した最高速度は175km/h以上と言われました。ロッキード製の油圧式ブレーキが採用されてストッピング・パワーも充分。コンペティションでの活躍が期待されました。
そこで1936年6月14〜15日開催のル・マン24時間耐久レースに参戦する予定でホイールベースを2591mmにした2台が準備されたのですが、諸般の事情でエントリーは叶わず。

その後、スピード・モデルは23台作られました(合計25台)。ル・マンには不参戦でしたが、1ヶ月後の7月12日のスパ・フランコルシャン24時間耐久レース(ベルギー)や9月5日のRACツーリスト・トロフィー・レース(アイルランド・ベルファスト市)に参戦した後、10月15〜24日のロンドン自動車ショーで展示されました。

最終的にスピード・モデルは8台売れ残ってしまいます。何とかしたいアストンマーチンは、ボートテール(ポインテッドテール)のボディで着飾ったタイプCとして生まれ変わらせました。

https://images.app.goo.gl/FnEye8F3Tcq1hhd97

https://images.app.goo.gl/HnL4ZLbMGi3zNud8A

https://images.app.goo.gl/tv9WnysmtYH1c15j6

https://images.app.goo.gl/Byz6DK7yXHtCHqQS7

https://images.app.goo.gl/tmYpQDo2rACe9usB6

1号車が1938年10月13〜22日のロンドン自動車ショーで展示されましたが、8台完売するのには苦労したようで1940年終盤までかかりました。第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)中に最後の1台がデリバリーされているのです。

なお、Cタイプはアルミニウム製のボディにスチール製のウイング(米語:フェンダー)を付けていました。この組み合わせは、跳石でウイングがボコボコになるのを防ぐための一般的な構成です。

25台のスピード・モデルのうち、通常の2/4座ボディはタイプA(15台)、コーチビルダーのAbbey(アビー)が架装したボディをタイプB(2台)と言い、残り8台がタイプCです。
このモデルはわずか8台しか製作されなかったのにしばしばオークションに出品されます。あまり人気が無いのか落札に至らないこともありますが、2015年8月にアメリカ・モンレリーで行われたオークションで$1,155,000で落札された例もあります。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年10月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031