mixiユーザー(id:2118534)

2022年06月27日20:13

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救いのためならどんな犠牲も厭わない?



人生の中で耐えられないほど苦しい事や辛いことを経験している人が世の中には沢山いる。解決方法が分からずに長く苦しんでいる人も多い。
そんな人達の「救われたい」という思いや念の強さは、時に想像を絶するレベルである。
時には救いを求める念が生存本能を上回って自ら死を選ぶ(=死を救いにする)ことさえある。
解決方法が分からず長く苦しむこと耐えかね、「これこそが唯一の救いだ」と信じる(自己暗示する)事で楽になりたいと無意識に思ってしまえば、それが出来てしまうのだ。例え救いと認識した方向や手段が筋違いであったとしても。一種の心理的ターミナルケアみたいなものだ。

人の持つ「救いを求める念の強さ」は、時に自分が救いと認識した方向に全生命力を傾けることが出来てしまう。それこそ、命がけで自らを救おうとするのだ。どんな犠牲も厭わずに。他の全てよりも優先できてしまう。理性や倫理観や生存本能を凌駕してしまうことさえある。
それは、人間がいかに強い生命力を持っているかの証だと思う。

そんな強い生命力に裏打ちされた救いを求める念の強さを悪用してしまえば、恐ろしい事が起きうるのも無理はない。
楽になりたくて救いと認識した(自己暗示した)信仰や信念のために自他の全財産を捧げ、職権を乱用し、情報漏洩し、地下鉄に猛毒をまいたり、ハイジャックして自爆することさえある。標的を、あるいはそこら辺の人々を無差別に殺す。中世の魔女狩りだって似たような理由だろう。己の信ずるものこそ理性となり、救いこそ正義になることがある。

ヒトは、耐えられなくなれば何をするか分からない生き物だ。本当の救いかどうか確認することよりも、本当の救いだと自己暗示することを意図せず無意識に優先することがある。その性質が「信仰(自己暗示)を辞めたくても辞められない」という事態さえ引き起こす。自分の苦しみを自覚し、本当の解決方法が実現し、無意識に自己暗示してきたことを自覚出来れば自己暗示は解除できる。

それほどまでに救いを求める念が強くなっているということは、それほどまでに追い詰められている、何か耐えられないほど苦しい事や辛い事や不安な事を抱えていて、解決できずにいるという事でもあるのだろうか。自覚の有無を問わず。
(幸せな生命力の使い道を見つけられずにいる苦しみもその一つかもしれない)

人類は、人々の苦しみを悪用して、救いを求める念を好都合な方向へ誘導し操りけしかける術を知ってしまった。人々を自己暗示へと仕向ける術を知ってしまった。
時には、人々の救いを求める念を悪用するために、予め人々を苦しめ追い詰めておくことさえある。「溺れる者は藁をもつかむ」とは、よく言ったものだ。用意した「藁」を掴ませるには、予め水に放り込んで岸にたどり着けぬよう棒で叩いておけばいい。大切なのは、溺れさせ役と藁を差し伸べる役が裏で組んでいると知られないようにすること。溺れる人々に藁を浮き輪だと自ら誤認(自己暗示)するよう仕向ける事。自己暗示なら結果がどうなろうと自己責任で済ませることが出来る。
今この瞬間も、世界中の人々がそんな思惑の標的になっているのかもしれない・・・

そんなふうに考えれば背筋が冷えて耐えがたい暑さもが和らぐ(救われる)と信じてみたが、別にそんなことはなかったのでエアコンを使った。
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