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2022年06月27日00:37

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T・H・グリーンの宗教思想の時代的背景 その66 (再投稿)

T・H・グリーンの教義 その2 しかしキリスト教の伝播と共に、行動の理論や規則が要請されるようになって、それは特定の定式を生み出し、教会はそれを基礎として組織を固めました。こうしてキリスト教は、嘗ては現在的経験の所産であったものを過去の言動として過去の確立を見ました。その結果、「ニケヤ会議の正統派は父なる神と同質の子となる神を信じたが、もはやキリストの死において死に、キリストの新しい生命において生きることではなくなってしまった。また、人性が神の中に取り入れられたことを信ずるが、自身の中に神の国を意識することがないのである」。
 このようにして、教義は次の三つの性格を持っています。
 (1)「それは直接的な直観を前提としている」。すなわち、それは元来信仰者の経験に基づくものであったのが、権威づけられた宣言に媒介されて表現されることになりました。それは同時に、具体的対象を抽象的なものに引き下げることになり、当然そこには限界があります。
 (2)教義の第二の性格は宣言の形で表現された所にありますが、その権威は何ものによっても揺がせられないものとされました。しかし、その為に教義は個人の直接的経験に訴えることが出来なくなり、代わって、外的な、純粋に客観的な権威があるとされた教会に訴えることになりました。
 (3)第三に、教義の自明性について見ればその見ればその初期の段階においては体系的なものではありませんでした。それがやがて前後の文脈を整えて、客観的妥当性を得るために手が加えられて来ました。こうして、この第三の性格は第一の性格を消滅させることになりました。ここに、信ずるということと、合理的に理解するということとの矛盾があります。

この続きは別項で。
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