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2022年06月26日17:19

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「アニメの作り方をゼロから見直すべき」 山本寛監督が語る「業界改革」 (弁護士ドットコム - 06月26日 09:51)

■「アニメの作り方をゼロから見直すべき」 山本寛監督が語る「業界改革」
(弁護士ドットコム - 06月26日 09:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=7010484

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鬼滅の刃』のヒットなど、アニメ市場は空前の好況にあるように見えているが、かねてより指摘されている労働環境、とくに業務委託の多い現場のアニメーターの負担が増えているとも言われている。

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『かんなぎ』『フラクタル』『薄暮』などを手がけたアニメ監督の山本寛さんはツイッターなどで、業界の問題点について積極的に発信している。山本さんは「アニメの作り方をゼロから見直すべき」と話す。山本さんに聞いた。

●アニメは「人手や時間がかかる仕事」だ
――アニメ業界は「ブラック」なのでしょうか?

もう何十年も前から「アニメ業界はブラックだ」と言われてきました。たしかに「動画」(※)の担当は、1枚あたり30分から1時間くらいの制作時間がかかり、報酬は200円少しです。

時給換算すると、とても低い数字となります。しかし、本業で食っていけないから「ブラック」と言うならば、アニメ以外のいろんな業種でも言えると思います。特に同じような「表現の仕事」です。

たとえば、お笑い芸人です。駆け出しのお笑い芸人は150円のギャラをコンビで分けたり、一つの興行のギャラが200円とか500円という話を聞きます。役者やミュージシャン、画家などもなかなか食べていけません。でもそれが「ブラックだ」と言われたりはしません。

もちろん、その環境がまったく良いとは思いませんが、アニメ業界も同じような「表現の仕事」と比較すべきだと思うんです。

――他の表現の仕事と比べても「特殊」なところはないのでしょうか?
そもそも絵を描く仕事なので、誰にでもできる仕事ではなく、才能が必要です。お笑い芸人もミュージシャンも才能がいるのは同じですが、アニメの場合さらに労働集約的で相当数の人手が必要になります。

お笑い芸人の場合、極端に言えば、漫才を披露するのは2人です。しかし、アニメの場合は1作品を作るのに200人くらい必要です。だから、売れないアニメーターであっても、数合わせとして必要になるのが、構造的な問題としてあります。

もう1つ、たとえばミュージシャンの場合、レコーディングの拘束時間は数時間ですが、アニメの場合は数週間の拘束です。だから、売れないミュージシャンはバイトで食いつなぐことができますが、売れないアニメーターはバイトをする時間すらありません。

アニメは、それくらい人手や時間がかかる仕事なんです。結局、ここに尽きるんですよ。

このように同じ「表現の仕事」でも、共通している部分とそうでないところを区別して考えない限り、「アニメ業界はブラックだ」と言われても「いや、そりゃそうですよ」「売れなきゃブラックで当たり前でしょ」で話が終わってしまいます。

だからこそ、単純に他の業種と比較せずに「ブラックだ」と言うのはやめてほしいのです。

●ビジネスとして「成立していない」
――アニメは「生産性が悪い」ということでしょうか?
そうです。言ってしまえば、ビジネスとして成立していないのです。ところが、あたかも成立しているかのように見せかけてきたのが、この数十年のアニメ業界です。

現在、30分のテレビアニメは1本1500万〜2000万円の予算で作られています。他のバラエティ番組やドラマと比べると実は高い。それでも末端のアニメーターにお金が行き渡らないというのは、ビジネスとして成立していないからです。

――劇場版『鬼滅の刃』(2020年10月公開)が興行収入400億円を突破するなど、アニメ業界は明るいニュースが多いようにも思います。

もちろん、他の業種と比べても、まったく遜色ないくらいに儲かっている会社や人がいますが、かならずしも業界全体が儲かっているわけではないです。でも、それを言い出したら、お笑い芸人もミュージシャンも同じでしょう。

アニメ業界だけ共産主義的に「富が集中している人から奪い取れ」みたいなことは言えない。一方で、「アニメ業界がブラックだ」と強調すればするほど、そのイメージを隠れ蓑にして、泡銭を稼いでいる人がいることも残念ながら事実です。

だから「アニメ業界がブラックだ」ではなくて、どこがブラックで、どこに悪人がいて、どこに構造的な問題があるというのを詳らかにしない限り、やはり「ブラックだ」と言ってほしくないんです。

――業界全体が「ブラック」とまでは言えないと。
アニメ制作会社の社長の中にも、できるだけ現場スタッフにお金を落とそうとして、自分自身は貧乏している人はたくさんいます。そういう人も含めて、徹底的に調査して、ピンポイントに問題点を捉えないと、何の解決も図れないでしょう。

東京五輪2020の場合、中抜きや使途不明金の問題が報じられて批判されています。同じことをアニメ業界にもしてほしいんです。たとえば、400億円のお金はどこにどう行ったのか、ということを徹底的に調べない限り、「なぜ現場に落ちないのか」は判明しないんです。

そこまで調べ尽くして、その結果、「ここにブラックがある」と指摘してもらわないと、あらぬ誤解を招いたり、先ほども述べたように「ブラック」というイメージを逆手にとって「お前らには金を渡さないよ」という人が出てくるということです。

その結果、末端のスタッフにしわ寄せがきてしまう。「アニメーターは食えない」「アニメ業界がブラックだ」という漠然としたイメージをどれだけ報じても、業界内外のほとんど誰も得しないということは強調しておきたいです。

●「もうこれ以上の本数を作らなくていい」
――それでも末端の人たちにお金が回るようにするにはどうしたらよいでしょうか?
たとえばお笑い芸人の場合、1仕事あたり数百円から数百万円くらい、ギャラの振れ幅(レンジ)があるかもしれませんが、アニメーターの場合、年収で言えば数十万円から1000万円くらいです。この振れ幅を大きくするということも手でしょう。

駆け出しのアニメーターは、動画1枚200円少しですが、もっと下げて、その代わり実力が上がれば上がるほど多くのお金を手に入れることができるシステムにする。そういう発想の転換は必要かもしれません。

逆に共産主義とまではいかなくとも、振れ幅を小さくする方法もあるかもしれません。もちろん、それは実力のある人とない人を一緒くたにするわけですから、反対する人もいるでしょう。

ちなみに私の古巣の京都アニメーションは、社員全員を正社員として雇用し、非常にクリーンな会社として知られています。私も正社員入社です。福利厚生も含めて、まともな給与体系でしっかり人材を育てるのはありだと思います。

私はまだ諦めていないんですが、京都アニメーションをモデルにした制作会社を地方で作りたいと思っています。純粋にアニメを作りたい若者を集めて、ゼロから社会人としての姿勢を叩き込む。そういったところから始めることが正攻法だと思います。

――現役のアニメーターたちは正社員化できないのでしょうか?
なかなか厳しいと思います。アニメーターは必死に机にかじりついているイメージがあるかもしれませんが、ほとんどはフリーランス気質です。気まぐれで、こだわりが強く、少し社会感覚がずれている人も少なくありません。

「あの作品やりたいから、あっちに行きたい」と言って、突然、逃げ出す。私もされた経験があります。だから、「アニメーターは渡世人だ」と言ってるんですけど。

――契約書は結ばないのでしょうか?
最近少しずつ増えていますが、基本的に契約書はなく、口約束が多いです。だから、「20カットお願い」と発注しても、「できませんでした」と全部まるまる返して来ることもありますよ。だから、まず信用のある取引ができない。

――フリーランスは、仕事を断ると仕事が来なくなることがあると思うのですが。
先ほども述べたように、他の業種に比べて人手が必要なんです。だから、気まぐれな人も、「おイタ」を散々している人も、いてもらわないと作品が作れない。そこにアニメ作りの根本的な問題があります。

人手が必要だ。人を囲わなきゃいけない。でもその中にはとんでもない奴がいる。単価上げても逃げられたらおしまい。契約書がない・・・。まずは、アニメーターのフリーランス気質をなくさなきゃダメでしょうね。

――フリーランス気質をなくすためにはどうすれば良いでしょうか?

アニメの場合、制作期間がないので、「動画10枚を描いてほしいです」「じゃあ契約書を交わしましょう」なんてやっている暇はないです。お互いに押印するみたいなことをしているうちにオンエアがやって来る。だから、口約束が慣習となっています。

それくらいアニメは、自転車操業だし、直前まで間に合わない作り方をしているんです。要するに過密スケジュールなのです。その悪循環を断ち切るためには、まず、きちんと契約書を交わすことだと思っています。

そのためには、アニメの作り方をゼロから見直す必要があるでしょう。ぶっちゃけ言ってしまえば、もうこれ以上の本数を作らなくていいと思います。むしろ3分の1の本数にして、1本あたりの予算を3倍にする。人手のことを気にせず、役に立たない人間にはどんどん出て行ってもらう。まともな人間だけが残ればいい。

それくらいのタマを打ち込まない限り、アニメ業界はずっとこのままです。
(了)

(※)動画・・・原画と原画の間をつなぐ絵。若手アニメーターが担当することが多く、平均年収も低いとされている。
(※)原画・・・アニメーションの元になる絵。画力のあるアニメーターが担当する。
(※)このインタビューは2021年6月におこないました。
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インボイス制度ではフリーランスが狙い撃ちされて、アニメーターをその対象となるだろうと言われている。その結果として国内のアニメータの大部分がフリーランスでは存在しえず、業界的に壊滅的な被害を受ける可能性がある。そういう懸念がされている。

弱小な業態は実質的に破壊されるであろう。この国の創造に係わる何人かの人は廃業に追い込まれるか趣味にシフトするしかない。

もちろん、インボイスに対する基本的な対策は企業化である。雇用される事である。それを望むかどうかは個人の自由の範疇。その結果が業界から去ってもそれが業界の大損失であっても、それは部外者が口を出す所ではない。その気になれば影武者を立てるなど幾らでもやり様はある。

インボイス制度では、小規模であるが故の匿名性、ペンネームなどは失われると言われている。事業である以上は実名が公開されるらしい。消費税という弱い者から取りやすい税制において、財務官僚たちからすれば、もっとも安易に選択できる制度であり、産業の育成など財務省の管轄ではないという主張である。

財務省は日本の官僚の中では最高峰であって、そのために東京大学があるといっても過言ではない。その彼らからしてこのお粗末な制度設計しかできなくなっている事は、日本の没落を象徴に見えなくもない。

もちろん、小さい規模だから消費税の優遇をするのは望ましいとは言えない。消費税に優遇はない方が望ましい。その点でインボイス的な制度は必要と思われる。

しかし数兆という売上を出すトヨタでさえ赤字だからと税金を払わなかった。それでも平気な顔して執行役には何億という給与を払ってきた日本の税制である。とてもではないが完璧とは思えない。税制の不公平感は革命の第一の理由である。

それでもフリーの大半は自民党に投票するであろうから、インボイスについてどうこういう必要はないのである。

アニメーションが産業として巨大であるし、日本に残された僅かな世界と伍する産業である事は間違いない。トヨタでさえ電化では負け組になるかもしれないと思えば、ほとんど結線兵器であると言っても良い。

そのアニメーション産業が殆ど若い人たちの野望と野心と夢だけに支えられている事を考えると、ほぼ絶望寸前である。もちろん優れたクリエータなど碌な人間であるはずがない。未来の少し先を見たくて壁に穴を開けるのである。そこに何の躊躇もない。パンドラの箱を開けた人こそがクリエータの始祖である。

安い賃金で支えられた産業であって、この先も人材が得られるかは分からない。クリエータ気質の人がどの分野を選ぶかは、社会の環境による。人々が後に続く事だけがその業界が発展する理由である。

創造性という刺激だけが、それを可能にする。サッカーだって先人たちのプレーを見た人が漫画を描き、その漫画を読んだ人が刺激を受け、そしてその道を選ぶ。その過程では残酷なまでの才能だの運だの金だのと挫折する為の言い訳がある。

だが、その挫折が多さこそがその産業を支えている。挫折する理由があるのなら、既にそこに足を踏み入れたのだから。その人たちが周辺であれ、違う分野であれ別の道を見つけるならば、必ずその産業との結びつきをもって進む事になる。糸は切れていない。そのつながりの連鎖が大爆発を起こす。核連鎖反応と同じである

日本で漫画の手塚治虫が居なければ漫画はこれだけの興隆はしなかった。彼に刺激をうけなければ宮崎駿でさえ傍流で終わったかもしれない。刺激の連鎖はもちろん、手塚治虫が始まりだったのではに。彼も大きな影響と刺激を受けてきた。

Chaplinの映画を見る時、そこに手塚治虫を感じずにはいられなかった。日本という範囲では成立しえない。地域も、そして時代も。雪舟が明に渡った時代も中継点に過ぎない。そこから手塚治虫まで地続きになっている。

漫画がここまで広がったのは印刷技術と書店という販売網、物流が下支えになったからである。そして出版社の人たちがこれは面白いとのめり込んだからである。

アニメーションは産業として見れば、人間が手作業で行うもので、コンピュータが導入されたとはいえ、オートメーション化はされていない。産業としての業務形態がどうしても人手を中心に組み立てるしかない。その点ではITによく似ているのである。

つまり、誰もが同じ作業ができる訳ではない、携わった人によって完成度が異なる。時にアニメーションではそれは決定的だ。

動画はそろそろコンピュータがやってくれるかも知れないが、原画は難しい。そしてレイアウトや脚本や絵コンテとなるともう小説家と画家と音楽家とカメラマンの仕事がごったませに要求される。映像が総合芸術と言われる所以だ。

この産業自体が効率化を拒む所があって、作品を仕上げるにはどうしても締め切りと相いれない場合もある。だから一般の企業化に耐えられるのは相当に早い時期に能力を開花した人で、でも音楽や小説、漫画とはくらべものにならない人出を集めないといけない。

その中には全くの新人も含まれる。新人を育てないなら20年後にはその作業は終焉するという事だが、お金がなければ止む負えない。今いる人達が食えるだけで精一杯で年金をもらう頃には廃業である、という感じになる。

つまり個人事業主の考えならそれでいいのである。年金をもらうまでは仕事を頑張って、年金がもらえるようになれば趣味で細々やってゆくという考え方も可能である。

そしてアニメーション産業は、この個人事業主の考え方の拡張で、ではそのやり方で人間をどれだけ増やせるかにチャレンジしたと言える。ま、最初が手塚治虫だから仕方がない。彼の天才をもってしても虫プロは倒産した。

それを嫌いサンライズが生まれたが、結局はバンダイに吸収されなければならなくなった。東映動画のような企業でさえ状況は変わらないのではないか。下請けを使えば、その先は個人事業主の集合体だ。

個人事業主といえばフリーメイソンであるが、石切工たちが組合を作ったのはある種の組織化である。しかし、職人が個人的動機に強く依存した仕事の仕方をするのは作品とのトレードオフのようなもので、大規模化、企業化とは相いれない。

現在の企業化は大量生産と大量消費による途切れる事のない収入によって支えられているからだ。月々の売り上げの見通しが立つから給与が設定できる。それでも国内の企業は似たようなものだ。アニメーション産業ほどひどくないだけで同じベクトル上にある。給与の減額が市場を縮小し企業の業績を小さくする悪循環に落ち込んでいる。

結局、アニメーションをブラックで無くすには携わる人の数を減らすしかない。その代わりのコンピュータを取り込むしかない。人間が操縦する代わりにコンピュータに操縦させたミサイルと同じ発想である。人が高いならAIを使えばいいじゃないとルソーの話に行かざるを得ない。

人が減るなら当然、創作性は落ち込むに決まっている。どの才能がどう開花するなど多くの人間が携わらなければ誰にも分からない。宮崎駿と富野由悠季のふたりが同時代に頂けでも奇跡なのである。その後に庵野秀明が続くなど僥倖以外なにものでもない。

家内手工業的な産業をどうすれば工場制機械工業に出来るのか。それが果たして産業として可能であるのか。恐らくアニメーションはIT企業に範をとるしかない。

そしてIT企業が相手にしている市場規模、そして国家からの受注、などの資金の大きさ、製品数、日々の取引量とそれに携わっている人間の比を出してみればいい。

するとアニメーション産業というのは製品としてみれば非常に数が少ない事に気付く。ITが生み出す製品の数と比べても圧倒的に数が少なく、手間がかかる。それを回収するには世界的ヒットというものがいる。

インターネット上での回収、CD/DVDによる回収がなければ恐らく赤字である。そして、その回収分は制作サイドには流れてゆかない。かつて音楽家や作家は著作権がない頃は貧困にあえいでいた。19世紀の優れた作家たち、例えばフォスターなど、が貧困の中で若くして亡くなった例もある。それと同じ状況にあると仮定するなら、著作権に変わる難からの権利、正当に利益が還元される仕組みが必要という事になる。そのためには著作権か、または製造者の権利みたいなものの拡張が必要になる。

だが、著作権を行使して音楽は既に廃れた産業である。新しいインターネット上で作品を発表する人たちに中心がシフトしつつある。

産業は時代の流れの中にあって自然的に落ち着く場所に向かう。それに抗う事はできない。そしていつも一部の好事家たちの手で、時に王族だったり、時に貴族だったり、時に幕府だったり、時に商人だったり、時にプロデューサーの支えがなければ成り立たなかったのも事実であろう。

ブラック企業である事の問題は、将来の衰退が見えるからだ。生活が安定せずにどうして産業化がなりたつだろう。それまで趣味で可能だったもの(手塚治虫のアニメはこちら)から商業化にシフトする(サンライズやジブリのアニメはこちら)過渡期にある。それが良いアイデアも見つからず、色んな人たちの努力でなんとか維持している。

結局、映像作品すべてに言える事だが、小規模に趣味的にやるか、大規模に興行的にやるかしかない。アメリカ、中国、韓国、インドなどの映画産業がどう成立しているか。それでも実写だから可能な部分がある。

実写ならエキストラは二〜三日で解放だが、アニメではエキストラがずっと参加しないといけないような所がある。10秒のモブシーンに一年間も優秀なアニメータを貼り付けないといけない所がある。

鰯の群れが泳ぐ先にあるのものがクジラのお腹の中か、オキアミ溢れる海原か、それは自然にまかせるしかないのか。

行く先は分からないけど、自然に託して、行く所に流されながら歩いてゆくしかない。そういう風にして日本の改革は進んでゆく。理念先行でやるヨーロッパやアメリカとは少し違う感覚がある。

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