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2022年06月22日01:19

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【映画日記】『峠 最後のサムライ』、『シン・ウルトラマン』、『流浪の月』

 6月21日、火曜日。

 朝の内に起きて昼前に動き出した。生憎の雨降りだが致し方ない。梅雨、だもの。

 なんばで映画3本をハシゴ。

 まずは、なんばパークスシネマ。


●『峠 最後のサムライ』

 司馬遼太郎の長編小説『峠』を、『雨あがる』、『阿弥陀堂だより』の小泉堯史が脚色・監督した作品。小泉堯史といえば、黒澤明監督の助監督を長らく務めた御仁だ。

【時は幕末、明治維新期。越後長岡藩牧野家家老・河井継之助は民を守るためにも戦を回避しようと奮闘する。しかし、その想いは薩長土佐を中心とする討幕派に虚しくも撥ねつけられ、心ならずも北越戦争が開戦してしまう。止む無く抗戦する事になった河井は総督として戦場で指揮を執る事になる……】というスジ。

 主演は役所広司。共演に松たか子、永山絢斗、東出昌大、榎木孝明、佐々木蔵之介、井川比佐志、吉岡秀隆、山本學、田中泯、香川京子、仲代達也ら。

 41歳で戦火に散った河井継之助を、役所広司が演じているというのは、原作を読んだ事のある身としては厳しいものがある。役所は相変わらずに安定した巧さで画面を支えているが、どうにもイメージと違って困った。

 作品そのものの出来栄えにも首を傾げる。撮影、照明、衣装、大道具、小道具などに目を見張るものがあるものの、物語の展開と収束が、やや空転しているように感じた。本作は北越戦争を舞台とした合戦絵巻ではなく、河井継之助という人物にフォーカスした一種の偉人伝(英雄譚)である。その作りが些か弱い。河井継之助という個人に焦点を絞った結果、その周辺(大衆の苦しみや怒りだとか、刻々に変化する戦況だとか、官軍側の動きだとか、だ)が、どうにもぼやけてしまっていると感じた。あと、冒頭の大政奉還の場面から、矢鱈と音楽が五月蠅いのも気になった。

 期待していた作品だけに、やや残念な仕上がりであった。個人的には<志の高い失敗作>といった印象。


 移動。TOHOシネマズなんばへ。ポイントが貯まっていたので無料鑑賞♪


●『シン・ウルトラマン』

 TOHOシネマズ梅田よりも大きなハコで上映しているのでコチラで。

【謎の巨大生物<禍威獣(=怪獣)>の襲来が日常となった日本。政府は。対策専門組織として<禍威獣特設対策室専従班>を設立。そんなある日、新たな禍威獣の襲来時に、銀色に輝く巨人が現れる……】というスジ。

 脚本・製作・企画・総監修を庵野秀明が担当。監督は樋口真嗣。

 開巻のタイトル部からオリジナル版へのオマージュが炸裂。続いて続々と禍威獣たちが姿を現す。この導入部で、禍威獣の襲来と禍威獣特設対策室の奮戦振りをしっかりと示し、一気に作品世界に引き込んでくれる(この導入部は『パシフィック・リム』と同様の展開だ) 以降、ウルトラマン登場まで息吐く間も無い。いやあ、面白い、面白い!! しっかりとウルトラマンと怪獣が肉弾戦を繰り広げてくれるのが堪らない!(所謂、怪獣プロレスってヤツ、ね) 

 ……が、前半の面白さに比べ、後半がグッとトーンダウンしてしまう。特に【ザラブ星人登場→メフィラス星人登場→長澤まさみ巨大化】辺りの流れが、どうにも中弛み。続く、【ゾーフィ登場→ゼットン登場→対ゼットン戦】という展開もチィとかったるい。クライマックスは、「やっぱり庵野秀明だなあ〜」と納得はするものの、もっと盛大なカタルシスが欲しかったというのが正直なところ。ちょっと呆気が無さすぎるかなあ、と。

 いや、「かったるい」とは言え、時間は気にならなかったし、各バトルシーンの描写には否応なく燃えたのだから、決して楽しめなかったわけではない(←むしろ、楽しんだ♪) まあ、スクリーンで観て良かったとは思える出来であった。

 
 移動。TOHOシネマズなんば別館へ。この別館は、3スクリーンあるが、旧・敷島シネポップ(或るいは敷島シネマ、敷島東宝)なので、いずれもなかなかの広さである。スクリーンも大きい。本館の小さいハコと比べてお得感が有るので、別館上映のスケジュールには気を付けているつもり。


●『流浪の月』

 原作は本屋大賞を受賞した凪良ゆうの同名小説。脚色・監督は『悪人』、『怒り』の李相日(リ・サンイル)。

【10歳の少女・更紗(さらさ)は、居場所のない伯母の家に帰りたくなく、雨の公園でびしょ濡れになりながら本を読んでいた。そこに孤独な大学生の文(ふみ)が傘を差しだしながら現れる。彼は少女の事情を察して「ウチ、来る……?」と語りかけ、更紗は「うん……」と応じる。その後、更紗は文の家でようやく心安らかで楽しい時を過ごす。初めて自分の居場所を手にした喜びを実感する更紗。しかし2ヵ月後、文は誘拐犯として逮捕され、更紗は被害者として保護されてしまう。こうして2人の束の間の幸せは終わりを告げたかに思えた…… しかし、15年後、恋人の亮と同棲生活を送っている更紗は、同僚とフラリと入ったカフェの店主の姿にハッとする。店主は紛れもなく文だった。二人は徐々に疑似的な共同生活を始めるに至るが、やがて、その事が世間に醜聞として広まってしまう……】というスジ。

 これは紛れもない秀作だ!! 全編に映画の香気が満ち満ちている。

 小児性愛者(また、それと思える人物)に対する世間の視線は<変態>の一言に集約され、猛烈なバッシングと卑下の対象となる。文は更紗に性的行為を行わなかったし、更紗も自身を被害者だとはサラサラ思っていないのにも関わらず、だ。だが、世間の大多数を占める人々は事実をねじまげる。その方が<健全>だと思い込んでいるからだ。事実なんて、彼らにとってはどうでも良いのだ。

 そういった構図に対して、本作の作り手の視座は更紗と文に寄り添う形を執っている。いや、実は、李相日の監督作品は、ほぼ全てが、こういった視座から描写されている。世間から白い目で見られがちな人物、卑下、差別、誹謗中傷の対象にされがちな人物たちを、李相日は見詰め続けてきた。在日朝鮮人の高校生たちを描いたデビュー作『青 chong』(日本映画学校の卒業制作作品)から、ずっとだ。『BORDER LINE』に登場する人々はいずれも社会の底辺で蠢いていたし、『69 sixty nine』でモテたいがために学校をバリケード封鎖する高校生たちはおバカだ。『スクラップ・ヘブン』で復讐請負ゲームに興じる者たちのドロップアウト振りも、『フラガール』でハワイアンガールを目指す女性たちも、周囲からは少なからず冷めた視線を送られている。『許されざる者』の主人公は過去の悪名に縛られているし、『悪人』の主人公男女も、『怒り』の面々も、皆、ドロドロした社会の視線に打ち震えている。本作では<母親にとって「ハズレ」な息子>として世に生を受けた事に慟哭する文の姿が狂おしく、「わたしは可哀相じゃあないよ……」と呟く更紗の姿が胸に迫る。

 この事から、李相日の作家性は、<マイノリティや被差別者に向けられる視線と、その有り様を見詰める寄り添うような視座>に有ると言って良い(但し書きとして、李相日の作品に於いて、<芯から寄り添えない人物は物語のどこかしらで姿を消すか、それなりの報いを受ける事が多い。しかし、李相日はその姿を深く追いかけはしない>のだ)

 本作でも、李相日は更紗と文の姿を見詰め続ける。無論、安易なハッピーエンドなど有り得ない。取って付けたような着地点に誘導する事なく、ひたすらに寄り添う、見詰める。原作からして、そうなのだと言われればそうなのだろうけれども、敢えて李相日は、同種の物語を手掛け続けているに違いない。原作が有ろうと無かろうと、彼の志は一貫性を伴ったものである。

 本作では、広瀬すず、松坂桃李、共に名演と断言して良いW主演である。更紗の少女時代を演じた白鳥玉季も◎。更紗のDV彼氏を演じた横浜流星も熱演。韓国から招聘したホン・ギョンピョによる撮影も実に素晴らしいものだ。

 小道具としては、『ポー詩集』、『アンネの日記』が効いている。あと、チラリとDVDソフトが映るカットがあるのだが、そのタイトルが『妄想代理人』であったり、『東京ゴッドファーザーズ』であったりと、今敏監督作品が目立ったのも一つの鍵であろう。

 決してスカッとはしないが(するもんか)、大満足の1本であった。

 唯一気になったのは、更紗がアンティーク・ショップで、店主(柄本明)からプレゼントされたバカラのワイングラス。アレ、いかにも意味あり気だったけれど、左程に効いてこないのは、ねえ…… 気になったわ。

 でも、そこだけ。あとはほぼ完璧と言って良い出来。大満足。

 
 雨の中、帰りにシネ・リーブル梅田まで足を運んで新作映画チラシを収集。

 帰宅して軽く夕食を摂り、今、こうして日記を書いている。

 さてと、ボチボチと眠ろう。

 明日は忙しい。

 本日のベストは『流浪の月』。次いで『シン・ウルトラマン』。『峠 最後のサムライ』は期待値を下回ったなあ、と。

 以上である。

<左添付画像使用許諾:(C)2020『峠 最後のサムライ』製作委員会>
<中添付画像使用許諾:(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (c)円谷プロ>
<右添付画像使用許諾:(C)2022「流浪の月」製作委員会>
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