mixiユーザー(id:9504635)

2022年06月15日14:37

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ただ在ることの受容

前回、ツバメさんのことを書いてから、もう半月以上、うかうかしていると一ヵ月が過ぎてしまいそうなので、なにか書きます・・・って、これも一種の強迫観念だろうか(^^;。

わたしは、わりと他者の好評価を必要としないタイプだと思っている。けど、まったく承認欲求がないわけじゃない。だから、書かなきゃって思うのかな・・・書きたいじゃなく、書かなきゃ・・・なんか嫌な感じ(^^;。

人間は、他の生き物にはない特性を、いろいろと手にいれてきて・・・"我思う、ゆえに我あり"なんてね、言い出したりして・・・たしかに、それってとっても誇らしいことだと思うし・・・そういうの決して嫌いじゃない方っていうか、かなり好きなんだけど・・・

自分自身の自我がどんどん薄くなっているうえに、高齢の母を毎日傍で見ていて・・・そんなことを言っていたら、自分が生きていくことも、母が生きていることも、許容できなくなるじゃないかと・・・

大學生の頃、組織神学を専攻していて、パウル・ティリッヒという人を卒論のテーマにしたのだけど・・・その時に、それまでどうしても分からなかった"神の愛"とやらというのは、「ただ在ることの受容」じゃないかなって気づかされたことがありました・・・

それを、すっかり忘れて、世俗の価値観にまみれて生きてきたけど・・・今また、「ただ在ることの受容」っていうのが、とても大きな課題になってきています・・・相変わらず"神の愛"とやらのことは、よく分からないんだけどね(^^;。

それにても、"ただ在ることを受容する"って、とっても原始的というか根源的なことが、なぜこんなにも難しいんだろう・・・それこそ、アダムとイブからの原罪じゃないけど、人間が手に入れた誇らしいものの代償なのかな・・・

ああ〜・・・繋ぎのエントリーにしては、やけに重い話題だな(^^;。
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