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2022年06月01日20:13

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無印良品×崎陽軒 余った食材で作る「『もったいない』を見直そう弁当」限定発売

無印良品×崎陽軒 余った食材で作る「『もったいない』を見直そう弁当」限定発売
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=6979023

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「無印良品」を展開する良品計画は、崎陽軒(横浜市)と連携して開発した「『もったいない』を見直そう弁当」(830円)を6月4日から期間限定で発売すると発表した。崎陽軒の弁当生産工程で発生する規格外のサイズや余った食材を活用し、「もったいない」を新たなかたちで見直した商品として訴求する。6月12日まで、無印良品港南台バーズと崎陽軒本店ショップにて取り扱う。

【画像】弁当を見る

 「もったいない」を見直そう弁当は、横浜市資源循環局と無印良品港南台バーズが進めている環境に配慮した取り組みを背景に、崎陽軒の「もったいない」「地域の魅力を地域でいっしょに」との想いから開発。無印良品の「素材の選択」「工程の点検」「包装の簡略化」という基本の考え方や、食材ロス削減に取り組む崎陽軒の「もったいない」を新たなかたちに見直すなど協議を重ねたという。

 当日の製造で余った食材を活用して製造するため、レギュラー商品の製造後から作り始める。そのため販売期間中は午後4時からの販売とする。

 製造にあたり、無印良品港南台バーズではコンセプトづくりやおかずの組み合わせ提案、商品パッケージの監修などを務めた。パッケージは横浜市資源循環局とも連携し、「脱プラスチック」に取り組んだ容器や包材を採用した。

 良品計画では、6月の環境月間と無印良品で行う「発見祭」のイベントに合わせて販売を開始。また、より多くの人にごみの分別や食品ロス削減の重要性を伝えるとともに、環境に配慮した取り組みを続けていくとコメントしている。
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SDGsが殆ど中学生の学級会の乗りで実施されているのをテレビのバラエティなどで見せつけられると流石にこいつらのメンタリティは先生に褒められたい以外の何もないのか、と思わずにいられない。

SDGsなど太古から行われていた。例えば「もったいない」である。日本は資源の無さを反映してか、3R(reduce, reuse, recycle)は頻繁であった。流石に石油の一滴は血の一滴は日本オリジナルではない。どの国でも資源が足りなくなれば、似たような思想に走るのである。そんな事は干からびそうな池の中の微生物だって知っている話である。

SDGsという標語が素晴らしいのは我慢しないを第一義に掲げている事である。開発は続ける、我々の文明の繁栄は決して後退させない。今更石器になど使えるものか。よって、我々が間違えているのは持続性である。どこまでこの方法が通用するかの視点である。より遠くを見なければならないという話である。

よって、若い人と老齢の人では始点が異なるのは明らかである。自分たちは勝ち逃げができる世代とこれから嵐の中に突入するのかと見ている人では当然と切迫感が違って当然である。

という事は資産を持つ者と持たない者でも違うのである。キリストは語った。神の前では全ては等しく奪われると。しかし、当然キリストは誰から奪われてゆくかは語らなかった。彼は知っていたのである。持たない者から奪われてゆくと。

彼は持たない者とは神への信仰心で語ったかも知れないが、経験上、人間はそれが富である事を知っている。富を持つ事がそれを遅らせる事ができるのである。

地球が滅びるかも知れない時に悠長なことをいうのは、まさに死にかけた人間にしか分からない実感であろう。西行だって昨日今日とは思わなかったのである。我々には発送する事さえ難しい。

よってこの問題は感情でも満足でもなく、バルカン人の方法、つまり極めて論理的でなければならない。その上で、それはどういう考え方で進めればいいかの方法論、技術論の展開となる。

だからSDGsとは化石燃料の廃絶でもなければ二酸化炭素排出量の削減でもない事がわかる。それらは、目の前にある危機であって課題であって懸念であって、それは方法を決定するのではない。

SDGsには目標はあるし、それを考えるための17の細分もある。つまり、これは統合に過ぎない。歴史上、資源というものは常に文明の基盤であった。それを失った地域は簡単に数十〜百年で滅びた。それは生物進化も例外ではない。

資源の不足は、常に3Rの行動を要求する。それを一言で言えば mottainaiである。持たない者にはそういう知恵が必要であった。そうすれば生きてゆくのに不満はなかった。起きて半畳、寝て一畳である。

ではこれにまっこうから反対したものは何か。蒸気機関の発展はその原初をルネサンスに求める。人々が科学的知見を発見すればその応用としての工学の発展は不可避である。それは最終的に熱の問題に尽きて、この熱を理解するためにエネルギーという考え方を必要とした。

幸いに石炭、石油がスチームパンクのロマンを実現する。人間を凌駕する生産量、それを遠くに運ぶ高速な移動物体、どんな強力な刀剣をも屈服させる大砲。産業革命とは地球の体積を狭くした出来事なのである。体積が小さくなれば圧縮熱が発生する。そういう現象が起きたと思えばいい。

太陽の活動がどうであれ、Co2による温暖化という知見は検証可能な科学になっている。その危険性はこの星の産業を止める力はない。point of no returnを懸念する科学者たち、またはこの出来事をgame changerと理解した人々は、この流れを失わせる訳にはいかなかった。実際に異常気象は世界中で起きている。もちろん、一億年前の異常気象を我々が知る訳もない。

いずれにしろ、3Rでは効果がない事を理解した人々はもっと強い標語が必要だと考えた。それは、産業構造を変えるようなものでなければならない。いやこの標語を作った人たちは明白に理解していたはずである。現在のような大量消費型の資本主義を変えなければならないと。

大量消費とはつまり安い製品が溢れる世界観である。そのような市場で競争を続ける限り、価格競争が第一の原則となる。その為に必要な事は?大量生産、短い商品サイクル、新しい流行、安い労働者、可能な限りそれを合法とする移民政策、それを強く推進するための動機付け、つまり能力によって高収入が約束されるとする幻想、その結果としての特権階級の形成。

SDGsはこの全てに戦いを挑む戦略である。優秀な戦略家はいた。しかし彼ら/彼女/Otherの誰もが、どれだけ考えてもどうすればよいかの戦術は見つからなかった。

道は見えている、どこをどう歩けば良さそうかも分かりそうなものだ。しかしどうしても道が切り開けないリーマン予想のような問題に等しい。

だから、彼らはSDGsという大量消費型資本主義を否定しない標語を作成した。そこにあるそれぞれの問題意識も我々の人権思想や民主主義から当然の帰結のように思う。この標語をせせら笑っているのは、大量消費型資本主義で持つ者たちだけである。

つまり、最初から彼らを相手にする気はない。いつまでも笑っていればいい。消費者の動向が変わればお前たちの方法論は根底から否定される。その時にどのような資本主義が、いやその後継となる経済システムが誕生するか、誰も分かりはすまい。

第三次世界大戦後をモデルとする経済システムにはマッドマックスや北斗の拳が描く暴力による遺産の略奪とその先にある世界の統一であるとか、ナウシカのようなもう一度、優れた王による統治から再出発するようなものがある。

そこを目指したくないからSustainable という言葉を入れた。それを可能とするのはDevelopment しかない、というのは科学技術等への憧憬に過ぎないとしても。

文明は必ずエネルギーを必要とする。それを支えるのは資源である。そして、環境である。必ずこの星の限界以上には拡張できない。どこかで頭打ちするのである。それを調整するには最終的には人口で調整するしかない。または宇宙に出るしかない。

それまでの発展は、必ずエネルギーの使用量は右肩上がりのグラフを描く。問題はエネルギーの増大に対する熱の発生であろう。必ず捨てられる熱がある。この熱をどうするのか、という話はCo2、メタンによる地球温暖化の話に等しい。

これは逆に言えば同じエネルギーを使用しても捨てる熱を少なくする事、同じエネルギーであってもそれが支える人口がより多い事、廃棄物は再利用可能である事、高効率を目指すと言う事になる。

つまり科学は大量消費型資本主義を決して拒絶できないという事である。つまりその先は時間は稼いだが結果は同じであったという火の鳥みたいな結論に至ってしまう。それでは恐らく駄目だ、という事から考えるならば、新しい経済システムが求めるものとは何であるか。

物やサービスが動く事は削除できない。それが何らかの交換によって実現する事も排除できない。経済の基本システムはこれ以外は考えにくい。もちろん、全てを国が配給するとか与えられたもので満足するというソビエト型共産主義なら可能だが、これが失敗するのは既に結果が出ている。未だにその幻想が忘れられないプーチンとその取り巻きに至っては聖戦を始めてしまう始末である。500年は火に焼かれてろ。

経済のコアに問題がないなら、供給システムに問題があるという事になる。フォードが始めた大量生産というひとつのモデルは、アメリカの繁栄を象徴する、またはそうなるようにフォードが先頭に立って労働環境、生産計画、工学的合理性を調節した。実際にアメリカはそうやって強力な中産階級を生み出したのである。ほどよく豊かで自由を愛するアメリカ人という形を作ったのは20世紀の作業であろう。

実際にその優れた人々の存在がアメリカをして世界でもっとも強い軍を持つに至らせた。多くのすぐれた人の移民先として機能したから1945以降の世界で理想的なローマ的平和をもたらせた。実際はどうであるかは関係ない。少なくともナチスが勝利する世界像よりは、イギリスが君臨し続けるよりは、かなりましな世界を作ったのである。たった50年。

世界の敵が産業が吐き出す様々なゴミ、例えば化学物質であったり研究所から逃れた病原菌というなら話は単純だ。核が間違えた爆発したとしてもそれは単純な話である。

まさか煙突から吐き出す煙の主成分がこの星を蒸発させるとは我々の多くは夢にも思わなかったのである。今だった本当に信じている人は少ないはずである。科学的に説明しろと言われて最後まで言える人は少ないだろう。おおざっぱに温室効果を熱の収支を狂わせている、売れば売る程赤字となる製品と同様に、作れば作るほどCo2は増加するのである。

逆に言えば、それを制御できれば、自由に温室効果を制御できるようになれば、問題のひとつは解決する。SDGsが17もの細分化しさらに細かいなGoalを求めているのは、それだけでは単に賢い科学者が独裁者となる世界が訪れるだけだと考えているからだろう。

Co2を石化する事(石灰岩)。メタンを待機中から取り出し氷にする事(メタンハイドレート)。そんな事がどれくらい簡単にできるのか?地球がどうやってそれを実現したかさえよく知らない。

すると、我々の向かう先は、むやみに燃やさないに尽きる気がする。だが燃やさない代わりに、物質的繁栄は一歩も譲らないというのは恐らく難しい。

よって現在のようなデフレ化こそが最高のSDGsの対抗策なのだろう。経済的没落が叶っているはずである。そのような状況にあって搾取し略奪する行為は尽きない、よってSDGsのひとつの目標は経済的衰退の中にあって自分たちだけ利益を得ようとする者たちを対象とした戦いの事である。

そんなに難しい事ではない。あくまでも人間らしく。それに敵なす者は打ち砕くべき悪である。この単純な思想で今は構わない。つまりSDGsとは竹中平蔵を社会的に吊しあげる事である。

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