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2022年05月21日08:38

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カバラの歴史(リクエスト再録w)

 伝説によると、カバラの創始は、アダムが天使より直接奥義を授けられたことに始まると言う。
 しかし、史実としては、タルムードに登場する三人のラビ、イシュマエル・ベン・エリシャ、ネフニャ・ベン・エリシャ、シメオン・ベン・ヨハイらによって始められた神秘主義思想に遡るという。いずれも紀元後1〜2世紀の人間である。
 死海文書で有名なエッセネ派がカバラの創始だという説もあるが、これには何の証拠も無い憶測である。
 (ちなみに、シメオン・ベン・ヨハイが、あの「ゾハール」の著書だという伝承もあるが、信憑性は薄い)
 もっとも、彼らの思想は、現代のカバラとは、だいぶ違ったものだ。何しろ、生命の樹の概念が生まれる1千年以上も昔の人物達なのだから。これは、いわゆる神学的な考察どまりだったと思われる。

 一般にカバラは、以下の5期に分けられている。

・第一期(発端期) 紀元1世紀〜10世紀
 いわゆる「創造の書」(成立したのは2〜6世紀頃)が注目を集めるまでの期間。瞑想が行われるようになり、実践者達は、神や天使の階級について思索し、神の玉座を幻視していた。さらに、護符や呪文を用いた魔術も早くも実践されていたらしいことが、「ガオン・ハイ」なる書物に書かれている。この時代に活躍したカバリストとしては、ベン・アキバが有名。
 しかし、この時期には、カバラの教義は、まだ整理・統合はされていなかった。

・第2期(成長期) 10〜12世紀
 「創造の書」を中心にし、発展した時期。
 これ以前のカバラ思想が、神学的な思弁・瞑想に留まっていたのに対し、宇宙論や「宇宙の創造の過程」、と言った考察が始まる。ピタゴラス主義が流入する。
 この時期のカバリストとしては、ベン・サムエル・ハ・シャフィド、エレアザール・ベン・ユダ等が有名。

・第3期(前期完成期) 12〜16世紀
 「バヒルの書」登場。
 神学的考察と宇宙論、宇宙の創造論、これらが一体化する。
 こうして、「生命の樹」の概念が作り出される。
 さらに「ゾハール」が表舞台に登場する。
 輪廻転生(!)の思想も取り込まれる。
 この時期のカバリストとしては、生命の樹の理論の原型を作った盲人イサクと、その弟子達が有名。
 キリスト教へのカバラ移入が始まる。

・第4期(後期完成期) 16〜17世紀
 「ゾハール」の研究、本格化。ゲマトリアを始めとした文字によるカバラの体系も完成する。
 今、我々が知っているカバラの形が、整えられる。
 この時期のカバリストとしては、イサク・ルリア、モーゼス・コルドベロが有名。「石榴の園」が書かれる。
 キリスト教カバラも活発化。

・第五期(衰退期) 17世紀以降
 サバタイ・ツディ運動で異常な盛り上がりの後、急速に衰える。
 護符や呪文を用いた魔術カバラが盛んになる。ユダヤ教カバラの魔術書「ラティエルの書」出版さる。
 正統派ラビ達は、次第にカバラを異端視する。

 そして、ユダヤ教カバラは、事実上、消滅する。
 カバラは、キリスト教カバラおよびオカルティストの魔術カバラだけが生き残ることになる。
 そして、ユダヤ教カバラは、かのG・ショーレムの登場によって、20世紀になって、復活を果たすことになるのである。

 我々が関心を持っている魔術カバラは、後に詳しく触れるように、キリスト教カバラの流れを組むものである。
 しかし、カバラを魔術に応用する技術を最初に開発したのは、やはりユダヤ教カバリスト達であった。ラビ達の多くは、こうしたカバラへの魔術への応用を、あまり良い目では見ていなかったが、それが根絶されるようなことも、あまり無かった。
 こうしたユダヤ教カバリストによって書かれた魔術書で有名なものは「ラティエルの書」であろう。

 本来ユダヤ教の思想であるはずのカバラが、どうして非ユダヤの魔術師達に使われているのか? もっともな疑問である。ここで、カバラがユダヤ教より離れて、一人歩きを始めた経緯について追ってみたいと思う。

 カバラ関係の出版物はユダヤ人以外の人間の目に触れる機会も少なくなかったし、また改宗ユダヤ人達がキリスト教社会に持ち込んだ多くのユダヤ文化の中にも、カバラは含まれていただろう。

 もともとユダヤ教もキリスト教も同じ唯一神を信じている。
 ということは、このカバラをキリスト教神学にも応用できるのではないか? こう考える者が現れるのも、極めて自然な結果なのではあるまいか?
 これを最初にやったのが、ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラである。
 彼は、この試みのために不遇な生涯を送る。彼に限らず、この時代の自然魔術師達は、文字通り命がけだった。フィチーノやポルタのように世渡り上手な者は良かった。だが、そうでないものは、しばしば悲惨な生涯を送ることとなる。カンパネラは生涯の半分近くを牢獄で過ごしたし、ブルーノに至っては火あぶりにされてしまった。

 本題に戻ろう。 
 ピーコのカバラをキリスト教神学に応用しようという試みは、「哲学的カバラ思想と神学における結論」なる著書によって、発表された。これは900(実際は899)の命題を含んだもので、公開討論を目的としたものだった。
 この書は2部構成となっており、ピーコが傾倒していたアリストテレス主義を中心にしていて、ラテン教父、イスラム哲学、ゾロアスター教、新プラトン主義、ピタゴラス学派、ヘルメス文書、自然魔術、そしてカバラを論じたものだった。
 特に重要なのは、やはりカバラである。ピーコは、ユダヤ人カバリストのフラビウス・ミドルターテスに師事し、カバラを学んだ。この時、ヘブライ語やアラム語についても学んだ。これを基に、この公開討論用の著書をものにしたわけである。
 
 この書は1486年12月にローマより出版され、翌1月に討論会が行われるはずであった。
 だが、この著書はさっそく筆禍事件を引き起こす。この900の命題のうち、4つが異端、9つが誤謬および虚偽を含むとして当時の教皇イノセント8世の特命委員会によって弾劾され、禁書とされた。
 ピーコは、この命題の中で「魔術とカバラは、キリストの神性をあきらかにするのに最適の方法である」と主張しており、これが教会の逆鱗に触れる理由の一つとなったのだ。
 当然のごとく討論会は中止となった。
 ピーコは、これに対し「弁明」という本を出し、文字通り弁明に努めたが、結果的にますます教会を怒らせてしまった。宗教裁判所はピーコに有罪を言い渡した。
 ピーコはフランスに亡命したが、そこで逮捕され幽閉される。しかし、あの芸術家や学者のパトロンで知られる豪華王ロレンツォ・メディチやシャルル8世の援助のおかげで釈放される。
 釈放後、ピーコはクザーヌスの蔵書を見せてもらうためにドイツを行こうと考えていた。そんな時、フィチーノより誘いの手紙を受け取る。それに応じてフィレンツェへ行き、フィチーノとメディチ家の保護を受ける。そこで、多くの著書をものにした。
 やがてルネサンスの破壊者として悪名高い狂信者サヴァナローラに傾倒する。その後、彼は敬虔なキリスト教ととして、神学の著書を多くものにする。だが、カバラがキリスト教神学の活性化に役に立つという考えは最後まで捨てなかった。
 やがて教会より、有罪を取り消され、やっと宗教裁判の恐怖から解放された。そのわずか1年後の1494年、彼は31歳の若さで夭折する。彼の死は毒殺説が有力だが、定かではない。

 彼の思想はいかなるものか?
 もともとヘルメス哲学をキリスト教に取り込もうと言う考えは、自然魔術師達の共通の思想である。そうすることによって、スコラ哲学によって硬化していたキリスト教神学を活性化させようとしていたのである。
 それを実現するためのキリスト教に注射するカンフル剤として、フィチーノは、新プラトン主義だけで止めておいた。
 だが、ピーコは、カバラ、ゾロアスター教、エレウシス秘儀、デュニオソス秘儀、オルフェウス教、さらにはカルデアの諸宗教までも取り入れた。ピーコによると、これらの異教も実は、真実の存在の様々な現われだということだ。
 カバラによって、本来異なる教義も一つに包み込めるというわけだ。
 また、自然魔術も大いに賞賛する。
 
 だが、彼の自然魔術に関する考えはフィチーノやポルタとは、異なる部分もある。それは占星術を認めなかったことだ。実際、ピーコは「占星術反証」なる占星術批判の書も出している。
 無論、彼は占星術を全否定したわけではない。天体の象徴する性質や影響の存在そのものは認めていた。しかし、彼は人間の自由意志を尊重し、決定論や運命論を否定したということなのだ。
 すなわち、ピーコは、自然界の万物の連鎖、「共感」関係を探ることによって自然魔術を実践することには賛成した。だが、マクロコスモスとミクロコスモスの照応、すなわち、大宇宙より小宇宙へと連鎖し、小宇宙は大宇宙の影響を受け、支配下にあると言う考え方には反対した。大宇宙と小宇宙には、それぞれ別の法則が存在する、というわけだ。
 したがって、地上は天界の影響によってのみ動かされているわけではない。当然、天体が人間の行動に、一方的に影響を及ぼすことはないというわけだ。人は星の影響を拒否もできる。
 彼の主著は「人間の尊厳について」である。
 その中で、彼は、神が人間を造ったのは、人間を自由意志によって活動させるため、自律的存在として、自己形成させるためである。したがって、人間は退化してケダモノにも成り得るし、神の国に再生することも出来る、というわけである。

 ピーコにとって、小宇宙(人間)とは、大宇宙の支配を受ける存在ではない。大宇宙と対等に自立する存在なのだ。
 この考えは、魔術を大きく発展させることになる。
 小宇宙が大宇宙より一方通行の支配を受ける存在ではなく、対等の対になった存在なら、小宇宙の方から大宇宙へと働きかけ、改変し、再構成さえできる、という考えが、これで誕生したからである。

 ピーコは1463年、北イタリアにミランドラ伯爵家の子息として生を受ける。
 幼少の頃から、遊びには興味を持たず、学問が大好きだった言う。ボローニャ大学をはじめ、各地の大学で学び、天才少年の名を欲しいままにする。少年時代から、占星術(後に否定するが)やライモンド・ルルスに耽溺したという。
 1484年にフィチーノの理論と運命的出会いをし、自然魔術の道へと進む。
 彼の生涯は短く不遇ではあったが、彼のキリスト教カバラは、ロイヒリンを始めとした多くの後継者を捕らえ、発展してゆく。そして、その思想はコルネリスス・アグリッパを経由し、近代の儀式魔術へとも伝えられて行くのである。
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