【↑黙ってたって、桜は綺麗に咲くのだ】
コバ・ジュンです。
3回目のワクチン接種の副反応は、結局4日間ほど続き、38度台の熱が水〜土まで続くという、ラスボス戦のような形となりました。現在は熱も下がり出稼ぎにも復帰していますが、たまに「ガクン!」と目線が落ちるような気がします。めまいの一種なのかな。今後注視していきたいところです。
さて、
ここ三週間ほどの話をします。
なんだか、心から「さっぱり」したのです。
例えるなら、「憑き物、おちた」という感じです。
正直、ここ数年間本当に辛い日々が続いていました。こんなこと書くのはアレなんですが、「ああ、今ホームに迫ってくる電車にGo!したら、どれだけ楽になるのだろう」など。まぁ追い込まれていました。「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」です。で、その手には「なーんも分岐点のないつまらない一本線の生命線」があるだけなのです(結婚線はいつの間にやら消えてました)。
そんな日常を過ごす中、「なにがきっかけだったのか」はわからないのですが、ある時「ぱぁあ!」と目の前がひらけたのです。人生には期待していません。でも、さらにもっと上の「人生にはまったく期待していない。ならば自分が楽しいことをして残された余生を過ごせばいい!それこそが正解!」と、自分の中で答えが出たのです。
「久々にライブを観に行けたから?」
「諦観の気持ちがさらに強くなったから?」
「ある漫画を全巻読了して、その主人公の生き方に操られたから?」
回答に至った理由はまったくもって分かりません。しかし、自分の中で何かしらの変化があったのでしょう。「剥けちゃった」感、「諦めちゃった」感、「信じちゃった」感、そのどれもが正解であり、違う答え。
伝わりやすくいうならば、「人生はくだらない」感が、さらにさらに強くなったとでも。
で、
考えたんですよコバ・ジュン。馬鹿な頭で。なんでここまで「ばぁあ!」と開けたのかなぁ、と。そのひとつとして「もしかしてコレ?」と思い当たるものがありました。
それは、
「ヒキガエルの産卵を見に行ったから」
このくらいしか思い浮かびません。コロナとか戦争とか、そして自分の周囲とか、そういったものまったく関係なく、自然界は普段の営みを続けているのです。ある夜中に、近所の池で必死に産卵行動をするヒキガエルを見に行きました。彼らには税金とか年金とか、さらに戦争もコロナもありません。あるのは、「自分の遺伝子を引き継いでいくこと」のみなのです。誰に命令されたわけでもなく、春先になれば冬眠から起きて、自分の生まれた池に行き、生殖活動を始める…。
これでいいんじゃねえの?生き物は生き物。人間だって生き物。もちろん近代社会においてはコミュニティに属してないと生活は出来ないだろうですが、周りに縛られてキツキツの中で生きて自分を疲弊させていくよりは、自分の自由な生き方を模索する方が大事かと思われます。
だって、人生なんていつ終わるか分からないのですもの。何をそんなに縛られて生きていく必要があるのか。めんどくせえな。社会の秩序、ルール、それらを守り、その中で生きていくだけで精一杯なのよ。これ以上何かを求められても無理です。無理ですから。you know?
長くなりましたが、もう「さっぱり」したい。さっぱりと生きていきたい。めんどくさい馬鹿どもには関わらず、自分だけの理想郷で生きていきたい。ま、そんなのは無理とわかっているのですが、理想に近づけることはできるはず。現在はそれを実践中なのです。だからこそ、ここまで「ぱぁあ!」と世界が開けたのかな、と思っています。
ではまた。
http://kobajun.starfree.jp/
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