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2022年03月24日22:05

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『草燃える』ソロリプレイ

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がおもしろいので、ゲームジャーナル1999年6月号の付録ゲーム『草燃える』をプレイしたくなりました。
 『草燃える』はいわゆるカード・ドリブン・システムのゲームです。カード・ドリブン・システムというのは、イベントとポイントが記してあるカードを、そのどちらかとして使うかを決めながらプレイしていくシステムでして、「イベントとリソースの消費がトレードオフになるのかよ」という批判は根強いものの、多彩なイベントとプレイヤーとしての戦略性を両立させるものとして、"Hannibal"や"Here I Stand"など多くの傑作ゲームによって採用され、その世界を広げつつ現在に至っています。

 カードのゲームなので、ソロプレイにはむきませんが、幸いにというべきか、私はこのゲームを購入してユニットとカードを切り離したまま、内容をきちんと吟味していないので、プレイした時になにが起こるのかさっぱりわかりません。ゲームを動かしながら、そこを新鮮に楽しめるともいえるわけです。

 というわけで、ゲームとしてまともに動くかどうかは別として、予備知識なしにプレイしてみて、ひどいイベントをまともにくらって「ぐへえ」とか呻いてみたいと思いました。

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 とりあえず、ゲーム開始時の状況はこんな感じ。1ターンは半年で、西暦でいうと1180年下半期、富士川の戦いの直前から始まります。
 源氏は相模(鎌倉)に源頼朝(2-1)と源範頼(2-2)と源義経(3-4)と源義円(2-2)と武将6ユニット、木曽に源義仲(2-3)と武将1ユニット、甲斐に武将1ユニットを配置して、上総・下総・武蔵・相模・甲斐・木曽に支配マーカーを置きます。
 平氏は駿河に平維盛(2-1)と武将4ユニット、山城(京)に平宗盛(1-1)と平知盛(2-2)と平重衡(1-3)と平通盛(1-1)と武将2ユニット、越後と常陸に武将1ユニットずつを配置し、常陸・越後・山城に支配マーカーを置き、さらに瀬戸内海沿岸の任意の3つの国にもということで、河内和泉と淡路と讃岐(屋島)に置きました。

 名前の後のかっこの中の数値は、左が行動力で右が武力です。カードを行軍のためにプレイした場合、行動力とカードのポイントを足した値とサイコロで出た目から実際の移動力が決まります。

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 武力は戦闘の際にサイコロの目に足して値の大きい方が勝つというものです。
 ユニットには棟梁と大将と武将の3種類がありまして、棟梁は源頼朝・源希義(1-1)と平宗盛・平維盛。大将は源範頼・源義経・源義円・源義仲・源行家(3-1)と平重衡・平知盛・平通盛です。棟梁と大将は武将4ユニットまでを率いていっしょに移動することができ、棟梁はさらに大将を率いることで武将8ユニットまでといっしょに移動することができます。
 源氏には(1-3)と(1-2)と(1-1)の武将が10ユニットずつあり、源氏には(1-2)が9ユニットと(1-1)が20ユニットと(2-4)が1ユニット(平教経)だけあります。武将ユニットにも個別の名前が振られていて、強いユニットは畠山義忠や和田義盛といったメジャー武将ですが、いずれも源氏と平氏で別々のカップに入れられていて配置の度にそこから無作為に摘んで出してマップ上へ置きます。ちなみに、開始時にマップ上へ配置されない源行家は源氏のマップに入れられており、源希義はカードのイベントとして登場します。

 ユニットのスペックを見る限り、明らかに源氏が優勢で、平氏がこれと互角に張り合うのはなかなか厳しいといえるでしょう。平氏が源氏につけいるスキはなんなのかというところですが、頼朝以外の源氏の棟梁と大将には忠誠心というものがあり、これが0になってしまうと中立化ししまいます。

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 忠誠心が低下しうるケースは上の通りでして、どんなに行動力やカードのポイントが高くても1/6の確率で行動は失敗するし、そうなると1/2の確率で忠誠心が低下します。また、合戦に勝っても負けても期待値で5/6ほど低下します。つまり、平氏としては個々の合戦では勝てないにしても、とにかく源氏に手数をかけさせることでできるだけ多くの忠誠心低下の機会を強要し、棟梁や大将を中立化に追いこむことを平氏としての基本方針にしました。
 開始前に平氏プレイヤーは源氏の頼朝以外の棟梁と大将にそれぞれ最高で5、合計で12ポイントを割り振ってメモしておき、いつでもこれを公開することでそのポイント分だけ忠誠心を低下させることができます。これについては、源義経に5、源義仲に5、源範頼に2を割り振りました。強い順に振っているだけなので、敵からしてもわかりやすくなっていますが、結局、強いユニットを使わないと状況を打開できないことが多いの思うので、あえてベタにしました。どうせソロプレイなので考えても仕方がないというのもあります。
 最初の忠誠心はサイコロを1つ振って出た目に6を足します。結果、源範頼(11)、源義経(13)、源義円(14)、源義仲(10)、源行家(12)となりました。

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 さて、ターンは増援・戦略・消耗の各フェイズからなりますが、第1ターンの増援フェイズは省略され、戦略フェイズから始まります。
 戦略フェイズでは年ごと(2ターンごと)にサイコロの目+3の枚数のカードを両軍に配り、それを交互にプレイしていきます。先攻は頼朝が相模(鎌倉)にいれば源氏プレイヤー、そうでなければ平氏プレイヤーが決定します。
 1180年のカードの配布枚数は9でした。源氏には「共同作戦」という複数のユニットを同時に移動させることのできるカードがあり、平氏は平維盛麾下の追討軍が駿河に突出してきているという、絶好の情勢にあります。まずは木曽の源義仲と武将1ユニットが平維盛の退路を断つべく三河へ移動を試み、成功。ただし、山道(点線のルート)を通るため、消耗チェックを行わなければなりません。サイコロを振って6ならゲームから除去、5か4ならカップに戻します。結果、なんといきなり源義仲はカップに戻ってしまいましたが、残りの武将1ユニットは無事に三河を占拠して平維盛を袋の鼠にしました。

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 続いて相模から駿河を攻めますが、絶対に失敗は許されないと思うので最強の源義経に上限いっぱいの武将4ユニットをつけて進軍させます。チェックは見事に成功、戦闘はそれぞれが自軍に有利な修正をもたらすカードをプレイしましたが、こちらも源氏が優勢(源氏が「逆落とし」と「牛火の計」、平氏は「敵大将と軍監の反目」のみ)、もとの武将ユニットの強さもあって源氏が順当に勝利し、平氏は敗走して消耗チェックしなければなりません。退路を断たれているので、除去の確率は変わりませんがカップに戻る確率は高くなります。通過する敵のユニットや支配マーカーのあるエリア1つにつきサイコロの目に+1ずつの修正が入ります。これにより武将1ユニットが除去、2ユニットがカップに戻り、残りの平維盛と武将1ユニットは最寄りの支配マーカーがある山城(京)まで下がりました。そして、源義経の変わらず13のままです。

 包囲殲滅はロマンと思って上記の作戦を実行しましたが、ざっくり計算して山道の消耗による1.00ユニット損失に対し、包囲による損失の増加は0.83にすぎないので実はリーズナブルではありませんでした。まあ、そういうこともあります。

 とりあえず、なんとか史実の富士川の合戦をトレースできた源氏ですが、関東が手薄になると奥州の藤原氏が平氏方として参戦してくる可能性があります。関東地方と越後にある両軍のユニット数の差が藤原氏参戦値より小さくなると、奥州勢がマップに登場してきます。

 越後と常陸には平氏のユニットがいます(常陸は大河にも登場していた佐竹氏でしょう)。このゲームには蹂躙というルールがあって、ユニット数が5倍以上あると戦闘せずに敗走させ、さらに移動力が残っているなら移動を続行することができます。前述のとおり、平氏としてはとにかく戦闘を強要して大将の忠誠心を下げなくてはいけませんから、大将のスタック(5ユニット)だけで蹂躙できる1ユニットのままで放置しておくわけにはいきません。3ポイントのカードを使うと任意の支配エリアで徴兵して武将1ユニットを追加できるので、越後と常陸のユニットを増やし、さらに相模へ「疫病」のカードをプレイすると、武将ユニットが3つカップへ戻ってしまいました。

 相模(鎌倉)に頼朝がいると上記の源氏方のユニットを倍にカウントできるのですが、さすがにこれでは藤原が参戦しそうになったので、あわてて「いざ鎌倉」のカードで武将を増やすなどの対応に追われました。
 一方、平氏は東海道方面でも平知盛が武将2ユニットを率いて尾張まで進み、源氏のさらなる西進に備えます。そして、「武衛に無断で任官を受ける」というカードをプレイしました。これはランダムに選ばれた武将の忠誠心がサイコロ1コ分低下するというものですが、結果として源義円の忠誠心が14から8に下がってしまいました。
 義円て大河では先々週の最後に登場して、先週ではどういうわけか義経に目の敵にされて死んじゃってました。読みがギエンなので、三国志で孔明没後に謀反まがいの挙に出て粛清された魏延ぽくもあるし、ギレン・ザビにも似てますな。

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 1181年上半期は、初めての増援フェイズから始まります。過半数のエリアに支配マーカーを置いている地方では1つ、四国以外のすべてのエリアに支配マーカーを置いている地方ではさらに1つ、任意の支配エリアにカップから無作為に武将ユニットを1つ取り出して配置します。あと、このプレイ時には見落としていたのですが、源頼朝と源義仲がいるエリアにも武将ユニットを1つ配置します。というわけで、ますます源義仲を消耗させた木曾からの三河への進出は失敗だと判明しました。無難に北陸路を進撃させればよかったです。
 ちなみに、北陸地方には飛騨、中国地方には伯耆と出雲という周囲とは山道でしかつながっていないエリアがあって、ユニットと山道以外のルートでつながっていないエリアの支配マーカーは消耗フェイズで除去されてしまうため、この地方のすべてのエリアに支配マーカーを置くためには、山道にユニットを通過させ消耗チェックでパスしてたどりつかなければなりません。とてもそこまではやってられないので、完全に支配してユニットを2つずつ受けとれる地方は実質的には関東・東海・九州の3つでしょう。
 プレイしたカードのポイント1につき、空白のエリアに支配マーカーを置くことができます。とはいえ、孤立した支配マーカーは前述のように消耗フェイズに除去されてしまうので、概ね近畿以西は平氏、東海と北陸以東は源氏の支配マーカーでできるだけ早く埋めておく必要があります。
 ゲーム開始時にはほとんどのエリアに支配マーカーがありませんが、これはゲームバランス上の配慮のほかに、源氏方は新興勢力であること、平氏方についてはこのころ各地で反乱が頻発していて地方の支配が動揺していたからと思われます。

 1181年の戦略フェイズでのカード配布枚数は6でした。源氏は後顧の憂いを絶つべく、範頼に関東制圧をさせようとするのですが行軍になかなか成功せず(でも、忠誠心も下がらず)、常陸と越後の間の下野にやっとたどりつくありさまでした。
 一方、京に向けては前年に忠誠心の大きく低下した源義円を使うわけにもいかず、源義経をそのまま前進させて尾張の平知盛を攻めさせると、これもあっさり勝利。平知盛はカップに戻ってしまいました。しかも、戦闘による忠誠心の低下なし。ただし、平家方が立て続けにプレイした「後白河法皇の調略」では源義経の忠誠心があわせて13から10に下がりました。

 いよいよ源氏勢が近くまで迫ってきたので、平氏は山城(京)に城を築きます。ゲーム中、3ポイントのカードをプレイすることによって、平氏は2つ源氏は1つまでエリアに築城することができます。通常、合戦ではサイコロの目とユニットの武力を足した数値を較べて個々の戦闘の結果を求めますが、城があるとサイコロを2つ振ってどちらの目を用いるか選択することができるようになります。カード以外で平氏が源氏に対抗するための唯一の手段といっていいでしょう。
 史実ではあっさり山城(京)を放棄した平氏ですが、ここを失ってしまうと毎ターンの消耗フェイズにサイコロの目の半分(端数切り上げ。つまり1〜3)の支配マーカーを自分で選んで外さなくてはならないというペナルティがあり、これがけっこう厳しいのでほぼ京と一蓮托生のつもりで戦わないといけないと思います。この時点では知りませんでしたが、山城(京)を失っているという条件で源氏のみプレイ可能な「平維盛の入水」というカードがあり、これでいきなり平維盛が除去されてしまうので、その意味でもここを失うわけにはいきません。

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 1181年下半期の戦略フェイズで源氏方は前ターンに空振りだった関東制圧に本腰を入れます。まず、「共同攻撃」カードで源範頼が常陸へ行軍。あわせて相模の源義円は越後への行軍を試みましたが、こちらは失敗(忠誠心低下せず8のまま)。常陸での戦闘は源範頼勝利(忠誠心1低下して10)。源範頼はその後で越後にも攻めこんで勝利(忠誠心低下せず10のまま)。
 一方、平氏は地道に「梶原景時の讒言」で全員の忠誠心を1つずつ低下させました。 このターンは双方とも支配マーカーの配置に重点を置き、軍の活動は不活発でしたが、最後の最後で互いに「反対勢力の増大」をプレイしあって相手の支配マーカーを除去し、ぎりぎりで確保していた地方の支配が吹き飛んでしまい、源氏は東海、平氏は中国と四国の支配に失敗してしまいました。

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 1182年の戦略フェイズにおけるカード配布枚数は6になりました。上半期、平氏はまたも「後白河法皇の調略」のカードをプレイして、源義経の忠誠心が9から7に低下させます。一方、源氏は「追討綸旨」で一挙に3つの軍を動かして山城(京)包囲網を整えようとするも、平氏の「天命を得る」カードによりキャンセルされてしまいました。しかし、源氏は「強行軍」カードによって越後の源範頼を近江まで進させ尾張の源義経とあわせ挟撃の態勢を作り上げます。

 下半期にも源氏は「追討綸旨」カードをプレイして3つの軍勢を動かして山城(京)をうかがおうとします。まずは相模から後詰の源義円が進発しようとしますが、これが失敗(忠誠心低下せず7のまま)。近江の源範頼が京に入ろうとするもこれも失敗(忠誠心低下せず9のまま)。これを受けて源義経は動かず、まったく不発に終わってしまいました。一方、平氏はまたも「後白河法皇の調略」により源義経の忠誠心を6に低下させました。源義経には5ポイントの秘匿した低下ポイントがあるので、いよいよ中立化が目前に迫っています。
 平氏は城を頼んで山城(京)にハイスタックを築いています。一方、源氏は棟梁の頼朝は相模(鎌倉)におり、もう一人の棟梁である源希義はまだ登場していません。山城(京)を間近に臨む大将の源範頼と源義経は4ユニットまでしか率いることができないため、「追討綸旨」や「共同作戦」のカードでタイミングをあわせて攻め入らなければなりませんが、これがうまくいっていません。
 一方、攻めさせていない平氏ですが、城から出て攻める力もなく、両者とも手詰まりの状況にあります。そんななか、平氏がさらにユニットを増やすべく山城(京)にて徴兵すると、カップから平知盛が戻ってきました。

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 1183年上半期の増援フェイズでは相模に源行家が登場しました。戦略フェイズにおけるカード配布枚数は7です。ぎりぎり6にまで下がっていた源義経の忠誠心でしたが、源氏は「腰越状に武衛感動」のカードをプレイして、8に上げました。
 一方、平知盛が戻ってきた平氏はいよいよ反撃に移ります。「共同作戦」のカードをプレイして、平知盛が伊勢へ進んで尾張の源義経を牽制し、平維盛は近江へ進んで源範頼を攻めました。合戦では「敦盛の討ち死」によって源氏方で唯一武力3の武将を混乱させ、勝利します(範頼の忠誠心は1低下して8)。ただし、源氏もしぶとく消耗チェックにはすべて成功し、5ユニットは一つとして欠けることなくそのまま越前へ後退しました。
 平氏にとっては初めての勝利であり、さらに近江で徴兵したところ、最強の平教経が登場したので、これに勢いをえて越前に進軍しようとしますが、行軍チェックには失敗して戦果を拡大させることはできません。
 一方、源氏は相模(鎌倉)からは行動力が3の源行家を進発させようとしますが、失敗して忠誠心も1低下し9になってしまいました。かかる状況にあっても、尾張の源義経は三河に残っていた武将2ユニットを拾って尾張に戻り、あくまで山城(京)攻略の姿勢を崩しません。「反対勢力の調略」で大和の支配マーカーを源氏に裏返し、伊勢にいる平知盛の退路を絶って攻撃、これに勝利して平知盛を討ちとり除去しましたが、忠誠心は2低下してまた6になりました。

 1183年下半期、山城(京)の南、大和を守っていた平知盛勢が壊滅したため、平氏はもう北の源範頼を追撃することはできません。足止めの部隊を残し、山城(京)に退却しました。これを受けて、源範頼は越前から近江への南下を策し、最初は失敗(忠誠心1低下して7)、次には成功して勝利しましたが、ここでも忠誠心が1低下して6になってしまいました。平氏がここで「武衛に無断で任官を受ける」のカードプレイしたところ、ランダムに選択される忠誠心低下の対象がちょうど源範頼となり、サイコロ1コの低下分がぴったり4で2になってしまいました。プレイ開始時に設定した源範頼の秘匿した忠誠心低下ポイントも2だったので、これを公開した時点で忠誠心は0になり、中立化してしまいます。率いていたユニットは消耗チェックにより、1つがカップに戻り、残り3つは伊勢の源義経のところへ合流しました。

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 そんなこんなで、1184年へとなだれこみました。間抜けなことに、ここまで勝利条件について触れずにきてしまいましたが、まずマップ上に棟梁が存在しなくなったら、その時点でそちらが敗北します。この時点で、平氏の棟梁の平宗盛と平維盛はいずれも山城(京)にいます。源氏の棟梁の源頼朝はずっと相模(鎌倉)にいます。もう一人の棟梁の源希義はいまだ登場せずじまいですが、石橋山のころならともかく鎌倉に入ってからの源頼朝がマップからいなくなるケースは想定しづらく、この条件はほぼ平氏の棟梁を合戦で敗走させてマップから除くことを指したものといえるでしょう。
 とはいえ、いくら合戦で負けても消耗チェックに失敗しなければ(さらに支配マーカーが残っていれば)、マップ上に留まりますから、これはあくまでサドンデス勝利のための条件といえます。
 こちらの条件が満たされないまま、最終ターン(1185年上半期)が終わった時点で平氏が2つ以上の地方を保持していれば、まず平氏が勝ちます。この条件が満たされず、源氏が4つ以上の地方を保持した場合にようやく源氏の勝利となります。
 戦力が優勢な分だけ、源氏勝利のハードルが高いのはご理解していただけるかと思います。この時点で、源氏は関東と北陸と東海を確保しています。山城(京)を陥落させられるかどうかは別として、近畿の過半のエリアを押さえることもできるかもしれません。しかし、あと3ターンで中国地方と四国地方における平氏の支配を奪わないまでも失わせることができるかといえば、けっこう厳しい気がしていました。

 大将たちの忠誠心もかなり下がってきていて、どこまで使えるか見通しは明るくありません。しかし、まずこの年の配布カードの数を決めるためのサイコロを振ったところ、出た目が6で枚数としては12になりました(読み直して気がつきましたが、本当はサイコロの目+3なのに、ちょいちょい間違っているところがあります)。基本的に平氏は時間切れ待ちなので、この数字が大きいほど、源氏の勝ち目が見えてきます。そして、実際にカードを配ったところ、源氏方に「疫病」のカードが来ました。このカードについては最初のターンに平氏が相模に対して使っていたので存在は知っていました。山城(京)のハイスタックがこのカードに対してきわめて脆弱であることも想定していましたが、それも込みで源氏の強力なユニットに対抗するにはこれしかないと思っていました。
 おさらいしておきますが、イベントとして消耗チェックをする場合、棟梁や大将のユニットはその対象になりません。すでに除去されてしまった平知盛以外の4人、棟梁の平宗盛と平維盛、大将の平重衡と平通盛の全員が山城(京)に集結していました。残る武将ユニットは10。これについてサイコロを振り、4か5ならカップに戻し、6ならゲームから取り除きます。合戦敗走後の消耗チェックとは異なり、修正値の類は一切ありません。そこで、10回サイコロを振ったのですが、なんと7回連続で6の目が出てソロリプレイとはいえ、心が折られてしまい、ゲームの続行が不可能になってしまいました。

 5回連続で6が出た時点でかなり妙な気分になり、さらに2回連続で6が出た時には、このままサイコロを振り続けてもずっと6しか出ないんじゃないかとか、自分はこのままここで死んでしまうのかなとか、いろんな思いがよぎってとてもゲームを続けるどころではありませんでした。

 いまのプーチンってあんな気分なのかもしれません。ゲームならいつでもやめられますが(ソロならなおさら)、戦争はそうもいかないのがつらいところです。
 振り返ってみると、7ユニットがゲームから除かれたところで、残りは3ターンしかなく、どうせ増援として登場可能なユニットの上限に達するわけではない以上、これがカップに戻っただけなのと違いはないわけで、別にその後の展開にはさして影響しなかったのではないかという気もしています。

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 とまれ、思っていた以上におもしろく、意外とバランスも良好でした。イベントが多いため、カード・ドリブン・システムのゲームというのは、ルールが細かくなりがちなのですが、そう意味でもシンプルにまとめられており、このジャンルのゲームの入門編としてもかっこうのアイテムといえるでしょう。話題になっているのを見たことがないゲームでしたが、けっこうな掘り出し物を見つけたと思っています。もっとも、今から入手するのは困難でしょうけれども。

 戦力で押す源氏に対し、勝てないまでも手数をかけさせることで棟梁や大将の忠誠心を削ることで対抗し、なんとかタイムアップに持ちこむ平氏の方針は間違っていないと思います。まわりくどく思えたとしても、とにかく平氏は源氏の棟梁や大将の忠誠心を下げる機会を逃すべきではないでしょう。あと、史実とは大いに異なりますが、山城(京)を城塞化して立てこもるのも必須と考えます。

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