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2022年03月13日20:41

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「待つ」ということ

『「待つ」ということ』

高校の国語の教科書に、
「待つ」いうこと、という題の評論が、
掲載されています。

現代人は、便利なものに囲まれた中で、
待つことができなくなった、という事を、
著者は憂いています。

待つことができなくなったとは、
長い目でものを見ることができなくなった、
という事です。

想像の及ばない未来に対して、
誰しもが、余計な不安を持ちたくないので、
世の中には、待たなくてよくする仕組みが、たくさん作られます。

そして、待たなくてよくなる、という事は、
未来へ向かう急いだ気持ちのようで、
実は未来のことは考えられていないと、
著者は鋭い論を展開します。

待たなくてよい、という状態は、
未知の未来を受け入れない、という事です。

未来のことは分からなくて当然ですし、
思いもよらない事に巻き込まれる可能性を、
生きている限り持つものです。

それは確かに不安要素となるものですが、
しかし、不安と対面しなければ得られない、
豊かさというものもあります。

未知の未来を待ち受けるという姿勢を、
失いたくないなと思います。

そして、未知の未来と向き合い、
想像の及ばない事に対面する構えとして、
神様を信じている、という事は、
とても意味のあることだと、私は思います。

見えないものを確信することが信仰だ、
という事が、聖書に書かれています。

どうにもできない苦しみと対面していて、
その解決の術が何も見えないとしても、
全く見えない未来の果ての果てに、
希望が見えるとしたら、
生きる力を、そこに見出すことができます。

その希望が、確かに存在します。

自分の人生に何もいい事がなくて、
いつまで待っても、
何も変わらないという事もあります。

かつての私も、そんな風に、
果てしなく暗いトンネルの中にいるような、
絶望感の中でもがいていました。

しかし、自分の人生の最後の最後に、
笑わせてくれる神様がいるという事を、
今は本気で信じています。

その神様とお会いできる時を、
待ち望み続けることができるので、
苦しみがあっても、喜べるのです。

いつも聞いてくださり、
ありがとうございます。

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