mixiユーザー(id:2473187)

2022年02月24日21:22

105 view

「カムカムエヴリバディ」2/24放送回はシナリオにミスがあり過ぎ

「ひなた編」全般に言えるのですが、2/24放送回は設定ミスが目立った回だと思いました。

「棗黍之丞 妖術七変化 隠れ里の決闘」映画自体は「日本の映画史上まれに見る駄作」と言われていますが、先代モモケンと虚無蔵の演技自体は「日本映画史上類を観ない圧巻の立ち回り」と評されています。

朝ドラでもそうですが、主演俳優に視聴率不振の責任を負わせることは現実にあります。
しかし、大部屋俳優出身の演技派俳優に興行成績不振の責任を負わせるのは無理難題でしょう。
(適切な例えでないかもしれませんが、「カムカムエヴリバディ」が視聴率不振に終わったとして、一登場人物に過ぎない伴虚無蔵役の松重豊に視聴率不振の責任を押し付けるようなものでしょう)

リアリティを考えるとすれば「棗黍之丞 妖術七変化 隠れ里の決闘」の興行不振の責任を取りたくないスタッフ一同が伴虚無蔵に押し付けたと考えるしかありませんが、虚無蔵の演技自体は「日本映画史上類を観ない圧巻の立ち回り」なのですから、映画評論家に疑問視されることは確実ですし、まさか上映は映画評論家に根回しして、虚無蔵に責任を押し付けるようにしたのでしょうか?

また、五十嵐は、2/18放送回で「毎回毎回同じような展開を飽きもせず見てるやつのことだ」とまで時代劇批判をしており、2/23放送回でやる気がない態度でありながら、「時代劇役者になるために」京都に来た、というのは無理があると思いました。

時代劇を見ていれば、「毎回毎回同じような展開」なのは当たり前で、ファンならそれを受け入れてみなければいけません。
五十嵐にそれを変えようとする野心があったとしても、俳優の立場では二代目モモケンのようなスター俳優の立場にならない限り不可能で、小説家や脚本家になるべきでしょう。

例えていうなら、スーパー戦隊の大ファンで「毎回毎回同じような展開を飽きもせず見てるやつのことだ」と自虐的ではなく、大真面目に言ったらおかしいと思われるでしょう。

むしろ本心は現代劇俳優になりたいが、やむなく時代劇役者になっている、という設定の方が自然ではないでしょうか?
(最初は時代劇役者なんて現代劇役者になるためのステップと考えていたが、虚無蔵ら周囲のスタッフやひなたの熱意によって、考え方が変わったとするのが自然に思えます)


一流脚本家であれば、(作風にあった)リアリティを追求するのは当たり前ですが、「カムカムエヴリバディ」の特に「ひなた編」ではそれが欠けています。

「ひなた編」で流れているJ-Popの時代設定が合っていないことは既に書きましたが、とうとう作品本編にもおかしなところが出てしまいました。

「一流脚本家」・藤本有紀の脚本は原作レベルではないかと思えてなりません。

役者の演技しか見ていないような視聴者ばかりならいいのかもしれませんが、個人的には「男性視点朝ドラファンコミュ(仮)」の企画意図で書いているようにドラマ性重視で見ているので非常に残念です。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年02月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728