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2022年02月13日10:52

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【簡易・改訂】罰と復讐にしか関心の無い人達 児童虐待についての私見

ここのところ、陰惨な事件があいついでいる。
母親によるネグレトを含めた児童虐待。
育児ノイローゼ故の子供を巻き込んだ無理心中(母親だけが死にきれなかった例も)。
普段は妹の面倒を良く見ていたヤングケアラーの少年が、限界にきてその妹を手にかける。
映画「誰も知らない」が世界的に注目を集めたけど、日本社会は何か変わったのだろうか?

「誰もしらない」公式HP
http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/index.htm

僕は児童虐待問題について、「子供を助けるのは必要だが、親を悪魔にしただけでは解決しない。親も問題を抱えていて、助けを必要としている」と書いた。
これは僕が勝手に言ってることではない。この問題について真剣に取り組んでる人達は、口を揃える。
けど、随分と反感をかい、猛然と食ってかかる人も居た。
「お前は子殺しの外道を擁護するのか!!」
「お前は可愛そうな子供に何の関心も無いのか!」


よく誤解されるんだけど、僕は別に児童虐待をする親を擁護しているわけじゃない
ましてや「子供のことはどうでも良い」なんて欠片も思っていない(ここまで書いてあげないと分からない人も居るのだ、トホホ)。
児童虐待は悪である。
批判されて当然である。法律に従って罰せられるべきである。

例えば貧困ゆえ、空腹のあまりパンを万引きしたとする。
法治国家なら、その男は窃盗罪として粛々と罰せられるべきだ。
パン屋だって生活がかかっているからだ。
しかしその男を罰しただけで、ハイ終わりでは、まさに「ああ無情」だ。
まともな人なら、貧困で空腹に苦しむ人々を何とかしないと根本的な解決にはならないと分かるだろう。
そして貧困者を救うという事は、結果的にパン屋を救うことにもなるのだ。

単純な善悪二元論で、罰と復讐しか考えないってのは、頭を使わないで済むので楽チンだ。しかしそれでは何の解決にもならないのである。

同様に親を悪魔(血も涙も無い怪物)にして、叩いただけでは何も解決しない。
親も問題を抱えていて、助けを必要としている例も多い。
「虐待の連鎖」は、非常に分かりやすい例だろう。
子供のケアはもちろん必要だが、親のケアも必要なのだ。
ここを考えないと、児童虐待問題の根本的解決にはならない。

これが僕の言いたいことなのだ。

問題を残している限り、しわ寄せは一番弱者の子供に向かう。
一番悲惨な目に遭っているのは、子供である。
親をケアすることは、子供を助けることにもつながる。
子供を本気で救いたいのなら、根本的な解決策を考えねばならない。
罰と復讐にしか関心が無いようでは、ここには永久にたどり着けない。


またDVとも絡む大問題もある。
DVの被害を受ける女性は、夫を庇う例も少なくない。
またDV男は、連れ子を虐待する例も多い。
DV男は優しい所もあり、女性を天然のマインドコントロール下において、精神的に支配してしまう。
DVがなくても、精神的に支配された女性は、連れ子虐めに結託してしまう例もある’(と言うか、連れ子虐めに誘導することもDVの一種だと思うが)。

昔は虐待親をぶん殴って、めでたしめでたし、みたいなマンガが本当にあった。けど最近のアニメは非常に良く取材をした上で作られてる。「僕だけがいない街」でも、そこははっきりと描かれていた。
フォト
「僕だけがいない街」より引用
https://bokumachi-anime.com/

「池袋ウエストゲートパーク」に至っては、追い詰められ、我が子を虐待してしまう親の視点から描かれ、問題提起をしている。
フォト
「池袋ウエストゲートパーク」第8話より引用
https://iwgp-anime.com/

この問題を取材すると、親を悪魔にしただけでは解決しないと言う事実に、ぶつからざるを得なくなるのである。
邪悪な親をぶちのめせば万事解決、とはならない。

ここで勘違いして欲しくは無いのだが、ぼくは虐待親を赦せと言っているのではない
虐待親を赦せるのは、被害者の子供だけだろう。
そして僕はその子の意思を尊重する。
しかし罰や復讐を喜ぶ野次馬の場合はどうだろう?

母親の児童虐待を例に挙げてみよう。
世間サマは、母親に完璧ばかりを要求し、フォローをあまりしない
厄介なことに、多くの人がこれに無自覚だ。特に男性に無神経な人が多い。子育てを女性に丸投げして、「理想の母親」を語りがちだ。
女性は子育てロボットではない。「人間」である。たまには息抜きもしたいし、一人になりたいことだってある。

アニメ「池袋ウエストゲートパーク」にそれを上手く風刺したシーンがある。
母子家庭で仕事と子育ての両立で疲れた母親が、幼児の息子に留守番させてダンス見物に行く。これはほんの短時間の息抜きだった。一人にされた子供はベランダで遊んで落下し大怪我をする。
すると、周囲もSNSの野次馬も「母親失格」と袋叩き。こうして彼女はどんどん追い詰められてゆく。

「だったら最初から子供産むな!」
これは「たられば」理論だと思う。目の前が火事なのに、火の用心の話しをすることは、あんま建設的ではないと思うのだ。
多くの女性は、知識では知っていても、実体験してみないと子育ての大変さは実感できないって人が殆どなんじゃないだろうか?
また旦那と死別したり、浮気魔だったり、とんだDV男だったりで離婚したり、勤め先が倒産したり、病気をしたりと予想もつかない事も沢山起こりえるのが世の中だ 。
あるいはもし自分がその立場だったら?
ここが「想像力」が問われるところだと思う。

けっきょく、人間は罪を犯しながら生きる。
僕は仏教徒である。
酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨と言う高僧が居た。
弟子がこう訊ねたことがある。
「悪人も救う価値なんてあるんですか?」
「あたりまえや! お前、人の命を何だと思ってるんや! この世に善人などおらん! わしも悪人、お前も悪人や!」
彼は天台宗の高僧だが、これは「歎異抄」やキリスト教の福音書の考え方にも通じる。

イエス様が一番嫌った偽善者は、自分の罪を棚に上げて、他人の罪を厳しく責め立てる人間だ。

「歎異抄」の悪人正機説は、有名だろう。
ここで言う「悪人」とは、自分が悪行を積んでることを自覚している人間のことだ。自分が悪人だと自覚しているからこそ、必死に懺悔し、阿弥陀様にすがる。
一方「善人」は、自分は善良だと思い込んでるだけに、自分の悪業に無自覚になりがちだ。そして他人の悪を厳しく責める。
どちらが極楽に近いかは、あきらかだよね?
「歎異抄」を書いた唯円上人は、殺人の前科者だった。彼が親鸞の熱烈な弟子となり、この本を書いたのも暗示的だ。


酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨の言う通り、
ぼくも悪人、これを読んでるあなたも悪人なのだ。

僕は、罰と復讐と無縁になれ、と言うつもりはない。
そんなことは不可能だからだ。
刑罰は必要だ。
僕だって腹を立てることはある。

しかし、罰と復讐にしか関心が無いというのは、あまりに不合理、不健全、不毛だと思うのだ。



■全裸で目隠し 夜の墓に立たせて叱る 死亡した5歳女児の虐待事件
(朝日新聞デジタル - 02月13日 10:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6849013
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