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2022年01月30日23:35

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西欧はバルト三国の悲劇の再来を防げるか?

2017年に発表した記事です。

西欧はバルト三国の悲劇の再来を防げるか?


 ロシア軍は今年9月、バルト三国周辺で10万人の将兵を動員した大規模な軍事演習を実施する。ロシアによるクリミア併合以来、バルト三国の首脳や市民の間では、プーチン政権に対する不安が高まっている。こうした中ドイツなど西側諸国は、バルト三国に初めて戦闘部隊を派遣し、ロシアに対する抑止力の強化をめざしている。
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*バルト三国で目立つNATOの将兵たちの姿

 7月13日午前8時頃、私はラトビアの首都リガのホテルで、朝食をとっていた。この時、多くの観光客に混ざって、米軍の第1騎兵師団の兵士が食事をしているのに気付いた。彼の迷彩服の腕には、馬の頭をあしらった師団マークが縫い付けられている。太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などに参加した、米軍で最も有名な師団の一つだ。
 リトアニアの首都ビリニュスのホテルでは、第81空挺師団「オールアメリカン」の兵士を見た。アルファベットのAを2つ並べた師団マークが、誇らしげに腕に縫い付けられている。第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦に参加した、エリート部隊である。
 ビリニュスのホテルには、ドイツ連邦軍の野戦憲兵、エストニアの首都タリンではカナダ軍の兵士たちも泊まっていた。日本人の目には、迷彩服姿の兵士たちが市民たちの間でビュッフェ形式の朝食を取っているのは、異様な光景だ。1990年代のボスニア内戦直後に、サラエボのホリディ・インホテルのエレベーターの中で、自動小銃を持った迷彩服姿の兵士たちと出くわしたことを思い出した。
 私が見たのは、北大西洋条約機構(NATO)が、ロシアからの脅威に対抗するために、今年1月にバルト三国とポーランドに派遣した戦闘部隊に属する兵士たちである。高速道路を車で走っている時も、ときおり緑色と黒色の迷彩が施されたジープやトラックの車列とすれ違う。

*欧米とロシアが対峙する「最前線」

 エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、いま欧米諸国とロシアの間の軍事的な緊張が、世界で最も高まっている地域だ。これら三ヵ国は、1990年にソ連から独立した後、2004年にNATOとEUに加盟した。人口約130万人の小国エストニア、人口約190万人のラトビアは、ロシアと国境を接している。また人口約280万人のリトアニアは、カリーニングラード周辺のロシアの飛び地、およびロシアと友好関係にあるべラルースに隣接している。
 カリーニングラードは、ロシアの領土で最西端に位置し、同国にとって最も重要な軍事拠点の一つである。かつてこの町はナチス・ドイツ領の東プロシアにあり、ケーニヒスベルクと呼ばれた。だが連合国が1945年に行ったポツダム会談で、ケーニヒスベルク周辺の地域は、ソ連領の飛び地とされることが決まった。ソ連にとっては、バルト海に面し、冬にも凍らないカリーニングラードの港は、大きな魅力だった。
 ポーランドとバルト三国がNATOに加盟している今、ロシアにとってカリーニングラードは、NATOの領土に楔のように食い込んだ「橋頭保」として、重要な役割を持つことになった。
 ロシア軍は、カリーニングラード周辺に、約22万5000人もの兵力を集結させている。地上部隊は、約800両の戦車、約1200両の装甲兵員輸送車、約350門の火砲を保有する。つまりバルト三国とポーランドは、約10個師団のロシア軍部隊と隣り合っているわけだ。ただしこれらの数字は、2014年に西側軍事筋が推定した物なので、現在はさらに増えている可能性がある。
 またロシアは、カリーニングラード周辺にSA400型対空ミサイルを配置したほか、核弾頭を装備できる短距離ミサイル「イスカンダル」も配備している。さらにカリーニングラードに近いバルティスク港は、ロシア海軍のバルチック艦隊の母港である。
 1989年まで続いた冷戦の時代には、NATO軍とワルシャワ条約機構軍は、東西ドイツ国境で向かい合っていた。今日では、バルト三国とポーランド北東部の地域が、冷戦時のドイツに相当する「最前線」なのだ。

*カリーニングラードの脅威

 だがバルト三国は、いずれも小国であり、独力で国土を守ることは難しい。各国の予備役を除いた正規軍の兵力は、リトアニアが1万7000人、ラトビア4600人、エストニア6400人にすぎない。
 特に欧米諸国を懸念させているのが、バルト三国とポーランドを結ぶ地域が、きわめて細くなっているという地理的条件だ。
 カリーニングラード周辺のロシアの飛び地の東端と、ロシアの友好国ベラルーシの西端との間の距離は、わずか100キロメートル。ロシア軍がカリーニングラードから戦車部隊をベラルーシまで走らせれば、数時間でバルト三国をポーランドから切り離すことが可能になる。
 NATOは、この100キロメートルの地峡部をスバルキ・ギャップと呼ぶ。スバルキとは、この地峡部のすぐ南にある村の名前だ。NATOは、「ロシアがバルト三国の占領を試みるとしたら、まずスバルキ・ギャップを占領して、欧米諸国がポーランドからバルト三国に地上兵力を増派するのを妨害しようとする」と予想している。スバルキ・ギャップは、NATOのバルト三国防衛の上で最大のアキレス腱である。
 今年6月中旬に、NATOは「ボトニア」という架空の国がスバルキ・ギャップを占領したというシナリオの下に、軍事演習を行った。ボトニアがロシアを想定していることは、言うまでもない。この演習では、米国、英国、ポーランドの混成部隊がヘリコプターでバルト三国とポーランドを結ぶ地峡部に送り込まれ、ボトニア軍を攻撃。その後南方から米軍の戦車部隊が進入して、スバルキ・ギャップを制圧した。
 演習はNATO軍の勝利に終わったが、現実は厳しい。私は今回バルト三国を訪れて、この地域では山がほとんどなく、平原が多いために、戦車部隊による「電撃戦」を展開するのに適していることに気が付いた。ロシア軍の戦車部隊は、一旦国境線を突破したら、平原や、交通量が少ない高速道路を利用して、あっという間にビリニュス、リガ、タリンなどの主要都市に到達してしまうだろう。米国のシンクタンク・ランド研究所は、去年発表した報告書の中で、「ロシアは戦闘開始から36時間以内にバルト三国の首都を占領できる」と予測している。
 このように、バルト三国にとって軍事的、地理的な条件は極めて不利だ。NATOが今年初めにこの地域に戦闘部隊を駐留させたのは、そのためである。第二次世界大戦後ソ連に併合されていた地域に、NATOが戦闘部隊を常駐させるのは、初めてのことだ。

*小兵力でも戦略的に重要な抑止力

 勿論、バルト三国に駐留しているNATOの戦闘部隊は、大兵力ではない。その数はリトアニアとラトビアにそれぞれ1200人、エストニアに800人にすぎない。わずか3200人の小兵力では、ロシア軍の総攻撃の前に、ひとたまりもなく打ち破られてしまうだろう。
 バルト三国は抑止力を高めるために、米軍の常駐も希望したが、米軍は拒否。彼らはポーランドに戦車や装甲戦闘車を含む4000人規模の戦闘部隊を配置するに留め、軍事演習などに参加することにより、「出張ベース」でバルト三国を支援する。
 しかし重要なのは、兵士の数ではない。ロシアは万一バルト三国を攻撃した場合、これらの国だけではなく、米国を盟主とする軍事同盟NATOと直接戦うことになる。このことは、ロシアに対する重要な抑止力となる。かつてのソ連すら、NATOと直接銃火を交えたことは、一度もなかった。その意味で、バルト三国へのNATO軍の常駐は、これらの小国のための「保険」だ。戦術的には弱小兵力でも、戦略的には極めて大きな意味を持っている。

*ロシアの地政学的行動に変化

 もう一つ、欧米諸国がバルト三国に戦闘部隊を派遣した理由は、21世紀に入ってからロシアの軍事的、地政学的な行動に明確な変化が見られるからだ。ロシアは、2008年の南オセチア紛争で一時隣国グルジアに侵攻した。
 さらにプーチンは2014年2月末に、戦闘部隊をクリミア半島に派遣し、軍事施設や交通の要衝を制圧。ロシアは3月にクリミア半島を併合した。その後ロシア系住民の比率が多いウクライナ東部では、分離派とウクライナ政府軍との間で内戦が勃発。ロシア政府は分離派に兵器を供与するなどして、内戦に介入している。ウクライナ東部ではロシア軍の兵士も捕虜になっており、同国がウクライナ内戦に関与していることは確実だ。
 ロシアによるクリミア併合以降、バルト三国の住民の間では、東隣の大国に対する不安が高まっている。ソ連はこれらの国を占領していた約半世紀に、多くのロシア人を移住させた。このため、エストニアとラトビアの住民の25%はロシア系である。プーチンは、ロシア系住民の比率が高い地域を、自国の勢力圏と見なす傾向がある。ロシアの目には、NATOが旧ソ連圏の国に戦闘部隊を常駐させることは、挑発行為と映るだろう。あるラトビア人は言った。「ロシアとバルト三国の間の緊張が高まるような事態は、考えたくない。私の友人や親戚にはロシア系住民がたくさんいる。彼らも同じ人間だ」。
 だが極端な民族主義は、しばしば庶民の運命を狂わせる。私が1990年代に訪れたボスニアでも、ユーゴスラビアの一部だった時代には、セルビア系住民、クロアチア系住民、イスラム教徒が仲良く共存していた。だがボスニア内戦では、セルビアのミロシェビッチの民族主義に煽られて異なる民族が殺し合い、社会に深刻な亀裂を生んでしまった。その傷は、今なお完全には癒えていない。様々な民族が同居するバルト三国には、バルカン半島を連想させる部分がある。
 NATOは、ロシアがクリミア併合のような暴挙をバルト三国で行う誘惑にかられないように、これらの国に戦闘部隊を常駐させたのである。

*ロシアの秋季大演習への不安

 NATO幹部らは、ロシアが今年9月中旬にこの地域で予定している秋季大演習について神経をとがらせている。「ザパト2017」(ロシア語で西方の意味)と名付けられた演習には、カリーニングラードとロシア軍西部軍管区から、約10万人の将兵が参加する。
 ロシア側は公式には、「ベラルーシに侵攻したNATO軍を撃退する」というシナリオを想定している。だがNATOは、ロシア軍がスバルキ・ギャップの占領をシナリオとして想定しているのではないかと見ている。
 リトアニアの大統領ダリア・グリバウスカイテは、「今年2月にラトビア、エストニアの大統領らと会談した後、記者団に対し「リスクは明らかに高まりつつある。我々は、攻撃的な大兵力を動員するザパト2017が国境近くで行われることを強く懸念している。これらの部隊は、西側との戦争を想定した演習を行おうとしている」と述べ、強い危機感を表明した。さらにグリバウスカイテは、「NATOに対して、ザパト2017の期間中に、バルト三国に駐留する兵力を増強したり、不測の事態に備えた緊急対応プランを作ったりすることを要求するつもりだ」と語っている。
 バルト三国がこの演習に神経をとがらせているのは、演習時にロシア軍部隊が国境を侵犯する可能性があるからだ。また、2014年2月にロシアはウクライナ国境近くで大規模な軍事演習を行った直後に、クリミア半島を占拠・併合している。
 リトアニアの国防大臣ライムンダス・カロブリスも、ロイター通信に対して「秋季大演習によって、我が国の国境付近に大兵力が集結することは、リスクが高まることを意味する。我々はNATOと協議して、ロシアのいかなる挑発行為にも適切に対応できる態勢を整えるつもりだ」と語っている。カロブリスは、「ロシアが欧州の地政学的なバランスを変更し、支配体制を回復したいと思っていることは、明らかだ。これは、バルト三国そして東欧諸国にとっては、すでにリスクを意味する」とも述べた。NATOが今年7月に対空ミサイル「パトリオット」をリトアニアに初めて配備したのも、西側諸国とバルト三国の警戒心の表れである。
 勿論、「NATOが常駐しているのだから、ロシアによる侵攻はあり得ない」という意見もある。ソ連崩壊後にロシアからドイツに帰化したあるユダヤ人は、「さすがのプーチンもNATOと正面から事を構える気はないだろう」と語る。
 EUで各国の地方自治体を代表する地域委員会(COR)のマルック・マルックラ委員長(フィンランド人)も、7月末にラトビアの英字紙「バルティック・タイムズ」とのインタビューの中で「ロシアが、24時間以内にバルト三国を攻撃できる態勢を整えたという噂が流れているが、私はロシアがバルト三国を侵略するとは思えない。我々フィンランド人は、100年間にわたり、ロシアの隣人として独立を守ってきた」と語っている。
 しかし、ロシアが国際法を無視してクリミア半島を併合したからには、欧州諸国が「最悪の事態はあり得ない」と断定して、そうした事態への備えを怠ることは、不注意のそしりを免れないだろう。地政学的情勢に関して、「世界のタガが外れた」としばしば形容される今日、我々はあらゆる事態を想定しておく必要がある。

*独ソに翻弄されたバルト三国

 バルト三国の歴史は、大国に挟まれた小国がしばしば味わう苦難の道程だった。彼らの運命はドイツとロシアによって弄ばれ、多くの人命が失われた。
 18世紀以来ロシア帝国に占領されていたバルト三国は、ロシア革命によって帝政が崩壊したのを機に、1918年に独立した。だが1939年にヒトラーとスターリンは、独ソ不可侵条約を締結。条約の秘密議定書は、ナチスドイツがポーランドの西半分を占領し、ソ連がバルト三国とポーランドの東半分を領土に編入することを取り決めていた。ヒトラーとスターリンという2人の独裁者は、東欧諸国の政府と国民が知らぬままに、これらの地域を勝手に分割したのだ。ナチスドイツがポーランドに侵攻した翌年の1940年に、ソ連はバルト三国に攻め込み、強制併合した。バルト三国の政府の閣僚や知識階層は次々に逮捕され、家畜を運搬する貨物列車に押し込まれて、シベリアの労働収容所(ラーゲリ)に移送された。彼らの大半は、酷寒のシベリアで凍死したり、病死したりした。
 1941年6月にヒトラーが独ソ不可侵条約を破って「バルバロッサ作戦」を発動し、ソ連侵攻を開始した時、初めの内バルト三国の多くの市民はドイツ軍を「共産主義政権からの解放者」として歓迎した。だがナチスも、テロ国家であることに変わりはなかった。ナチスの特務部隊(アインザッツ・グルッペ)は、バルト三国の主要都市にゲットーを設置してユダヤ人を押し込めた。ナチスは、リガやビリニュス郊外の森などで、約22万人のユダヤ人を殺害した。これは、バルト三国に住んでいたユダヤ人の約85%に相当する。当時ナチスは毒ガスによる絶滅収容所を開発していなかった。つまりアインザッツ・グルッペは、20万人を超える市民を銃によって処刑したのだ。女性や子供を含む非戦闘員の大量処刑は酸鼻を極め、精神的ストレスのために発狂するドイツ兵士もいた。
 バルト三国は、1944年にソ連軍によってナチス支配から解放されたものの、再びソ連の領土として強制併合された。共産主義支配は、その後およそ半世紀にわたり続いた。この期間にも、多くの市民が秘密警察によって恣意的に逮捕されて、処刑されたりシベリアに追放されたりした。リガ市内には、ソ連の秘密警察NKWD(人民内務委員会)とKGB(国家保安委員会)が使用した建物が残っている。アールヌーボーの装飾に覆われた美しい建物の中で、市民に対する尋問、拷問、処刑が行われていた。多くのラトビア人が、扉から中に入ったが最後、生きて帰ることはなかった。薄暗い建物に足を踏み入れると、バルト三国の市民たちがロシアに対してなぜ強い猜疑心を抱くのかが、よく理解できる。投獄と殺戮の歴史は、人々の心にまだ深く刻み込まれている。

*「バルト三国を二度と見捨てない」

 あるラトビア人は、「1990年にソ連から独立した時、我々はヨーロッパに帰還したのだ。これは我々ラトビア人の長年の願いだった」と私に語った。
 今年NATOが旧ソ連領土に初めて戦闘部隊を常駐させるという、ある意味ではリスクの大きい賭けに踏み切った背景には、18世紀以来ロシアやドイツによって苦しめられてきた小国たちが、再びロシアの軛(くびき)の下に置かれることを許さないという、西欧諸国の固い決意がある。
 特にドイツ政府は、ナチスがバルト三国で暴虐の限りを尽くしたことに対する反省から、これらの国々の防衛について特に積極的だ。たとえばドイツ連邦軍は、リトアニアに駐留するフランス、ベルギー、クロアチア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェーの混成大隊の1200人の兵士を指揮する役割を担っている。ドイツ軍に重責を負わせたのは、70年前にドイツがこの地でおかした犯罪に対する責任感なのである。
 ドイツの国防大臣ウルズラ・フォン・デア・ライエンは、今年2月7日にリトアニアのルクラに駐屯している、ドイツ連邦軍に指揮されたNATOの混成大隊を訪問した。彼女はこの時に、バルト三国防衛に向けて固い決意を表明している。
 「我々はリトアニアの未来を守ることを約束する。リトアニアは二度と孤立無援になることはない。リトアニアの人々は、世界最強の軍事同盟によって守られている。ドイツ、ベルギー、フランスなどの兵士たちは、リトアニア人たちとともに国境を守る。リトアニアの自由と独立が、犯罪的なパワーポリティクスの餌食になることを、二度と許してはならない」
 フォン・デア・ライエンは、「我々ドイツ人は、リトアニアの混成大隊の指揮官役を務めることを、誇りに思う。冷戦の時代、西ドイツはNATOによってソ連の脅威から守られていた。今度は、我々がNATOに貢献してお返しをする番だ。20世紀の欧州の歴史は、自由と安全は自動的に与えられるものではなく、努力して勝ち取らなくてはならないことを我々に教えている」と付け加えた。
 バルト三国の市民たちは、彼女の言葉を胸に刻み込んでいる。トランプが大統領に就任して以来、米国のNATOへの関与度は、冷戦の時代に比べて大きく揺らいでいる。盟主・米国の指導力に陰りが生じつつある今、NATOは本当に、これらの国々を悲劇の再来から守ることができるのだろうか。
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 




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