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2022年01月08日23:47

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新春正義論

さて年明け一発目である。ダラダラすごしたら、いつの間にか松の内も過ぎていた・・
僕は、自分の行動や考えを記録しているものが、このミクシー日記のみなので、今年は50歳の大台にも乗るし、極力残していこうと思う。
というわけで、今年の一発目は、正義について書いてみる。

「正義」というテーマでは、ここに散々書いてきたが、この年末年始にちくま新書の『正義を疑え!』なる本をたまたまブックオフでみつけて暇つぶしに読んでいた。
これは、山口意友という倫理学専門の大学教授が書いたもので、あまり期待はしていなかったんだが、読んでみたら結構面白くて、なるほど!と唸るような内容だった。
どうもこの人の思想は右寄りで、現代のサヨク的価値観、ジェンダーフリーや自虐史観の批判も存分にされていて、武士道などを賞賛しているため、「ああまたこのてのタイプか」という感じもしたが、今自分がモヤモヤと感じていたことに対して割とすっきりとした回答になるような内容だった。
何かのドラマで、「人間は他人を攻撃する時に正義のためと思っている時は、快感度が6倍になる」みたいなことを言っていたのだが、今まさに、ネットで「正義の他者攻撃」を行っている連中はこれに該当する。
「懲悪型」これで、悪を懲らしめてやると、とりあえず悪いとみなした人を攻撃する。ただ厄介なのが、それが本当に悪いかどうかをきちんと検証せずに、とにかく感情の赴くままに攻撃するのが特徴。
さらに一歩踏み込むと「勧善型」になる。これは、「こういう悪人が出てしまうのは社会制度が悪いから、法整備をすべきだ」という方向に行く人。これも行き過ぎると「世の中狂っているから一旦リセットする」とサリンをばら撒いたオウム真理教や、学生運動の内ゲバにいってしまう。
結局、何が正義かってよくわからないのが実情で、自分が正義だと思っていても、他の人間からみれば正義でもなんでもない、というすり抜けを起こしてしまうものなので、もはやそんなことを語るのも愚かなことだな、と思っていた。
が、この本では、「自己内在的規範」を提唱する。
何かというと、常に自己の中にある正義や道徳を疑い、自分自身に批判の目を向けること。
自分のやったことは本当に正しかったのか、を常に自問自答することだという。
なるほど、批判は他者にいきやすく、人は「人に厳しく自分に甘く」に陥ってしまいがちである。自分のことをタナにあげて他人はメチャクチャに批判し、誹謗し、中傷する。
しかし、己が間違っているかもしれない、と常に自問していると、他人へ寛容になれるのではないか、と思う。
僕は、昨年まで、というかコロナで世の中が劇的に変わってきた頃くらいから、職場やネットの連中が、とにかく他人の批判ばかりするようになったと感じていてウンザリしていた。
それは、自分も意図せざるところでそうなっていたと自覚している。
自分なりに分析すると、今までずっと当たり前だと思っていた環境が瓦解し、うまくやっていたことが急にうまくいかなくなることが増えるにつけ、その原因を常に他者に求めてしまい、批判の矛先を探していたような気がする。
しかし、社会がどうなろうと、結局自分の問題なのである。
まあ、あまり自分を責めすぎても病んでしまうんで、程度は必要だが、ヒステリックに他人へ八つ当たりしても、何も解決しない。何事も、自分の問題であることを自覚して、常に自問自答していきたいと思う、2022年の抱負らしきことだ。

この日記、読んでいる人が極端に少ないが、もし、他人を批判ばかりして、被害妄想に取りつかれ、正義は自分側にあると厚顔無恥に言い放っている人が読んだら、是非肝に銘じて欲しい。
貴方が思っている正義が本当に正義なのか?相手の立場にたって考えたら、貴方のほうに問題はないか?
貴方は本当に間違ったことをしていない、被害者なのか?他の誰かにとってみたら、貴方は加害者ではないのか?
貴方が提唱する正義が実現された場合、本当に万人が幸せになれるのか?貴方や貴方と同じ境遇の一部の人間だけが利益を蒙るのではないのか?
もちろん、正義なんか屁だ。俺は俺の利益さえあれば他人なんざどうだっていいんだ、と思っているんであれば何も言いません。

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