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2021年12月11日16:53

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なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか

高収入で社会的承認を得ている人々の仕事が、実は穴を掘っては埋めるような無意味な仕事だった……? 彼らは自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している――。
人類学者のデヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』で論じた「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」は、日本でも大きな反響を呼びました。
「ブルシット・ジョブ」とは何か? どのように「発見」されたのか? 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』著者の酒井隆史さんが紹介します。
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ある観察者が見た世界
 このようにまず想定してみましょう。

 ひとつの世界があって、それをある人間が観察しています。

 そこでは人はあくせく朝から晩まで仕事をしています。しかし、観察者の目には、その仕事のかなりの部分がなんの意味もなく、たとえば、必要のない穴を掘ってはひたすら埋めているとか、提出後すぐに保管されて二度とみられることのない書類をひたすら書いているとか、そんな「仕事のための仕事」にいそしんでおり、ほとんど仕事のふりをしているようにしかみえません。そのような仕事がなくても、この世界で生まれている富の水準は維持できるだろうに。

 ところが、こうした仕事をやっている人は概して社会的な評価が高く、それなりの報酬をもらっています。それに対して、社会的に意味のある仕事をやっている人、おそらくかれらがいなければこの世界は回っていかないか、あるいは多数の人にとって生きがいのない世界になってしまうような仕事をやっている人たちは、低い報酬や劣悪な労働条件に苦しんでいます。しかもますます、かれらの労働条件は悪化しているようなのです。

 観察者は、いったいどうしてこんなことになったのか、調べてみようとおもいます。

 まず、いまのこの状況を100年前の視点からみるとどうなるか、検討しました。

 すると、おおよそ100年前には、働く人たちは組合を組織して、賃上げよりも、労働時間を短縮すること、自由時間を獲得することに重きをおいていたことがみえてきました。そしてその根底には、労働から解放されたいという動機があることがわかりました。

 そしていまでもとても尊敬されているその世代随一の経済学者も、100年後には、技術の向上やそれに由来する生産力の上昇によって、人は一日4時間、週3日働けばすむようになっていると予言しています。

 100年前のこうした人たちの要求と予言をあわせるなら、そうなっていてもおかしくないのです。

 ところが、この世界はそうなっていません。人は、ただひたすら穴を掘っては埋めることに時間をついやすことを選んだようにみえます。

 観察者は、この世界のなかに入ってフィールドワークをはじめました。

 すると、意外なことがわかります。じぶんたちの仕事が穴を掘って埋めているだけだ、とか、だれも読まない書類を書いているだけだ、と、仕事に就いているかなりの人が気づいていて、しかも、それに苦しんでいることです。

 そしてそのような精神状況がうっすらとこの世界を覆い、職場だけではなく社会全体が殺気立っていること、険悪になっていることに気がつきます。

ブルシット・ジョブが存在する理由
 この観察者は、その理由を考えます。

 50年ぐらい前(1960年代)には、ほとんど働かないですむような世界を多くの人たちがもとめはじめた時代がありました。そして経済学者の予想した通り、客観的にも、可能性としては、その実現は遠いものではなくなっていました。

 ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が、じぶんたちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、じぶんたちは支配する力も富も失ってしまうことになります。

 そこでかれらは、あの手この手を考えます。

 そのなかのひとつが、人々のなかに長いあいだ根づいている仕事についての考え方を活用し、あたらしい装いで流布させることでした。

 その考え方とは、仕事はそれだけで尊い、人間は放っておくとなるべく楽してたくさんのものをえようとするろくでもない気質をもっている、だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ、と、こういったものです。

 こういった考えを強化させつつ、二度と仕事から解放されようとか、自由に使える時間が増やそうとか、人生のほとんどの時間を生きるためにだれかに従属してすごさなくてすむとか、考えないよう、支配層にある人たちは、その富の増大分をほとんどわがものにし、仕事をつくってそれに人を縛ったうえでばらまくのです。

 こうすると、なにかおかしいな、とおもっていても、でも仕事をするということはそれだけで大切だ、むなしかったり苦痛だったりするけれども、だからこそむしろ価値がある、というふうに、人は考えてしまいます。なにかこの世界はおかしいけれども、それがおかしいと考えることがおかしいんじゃないか、と多くの人が疑念を打ち消すことによって、この砂上楼閣のような世界はかろうじて成り立っているのです。

 成り立っているといっても、そのなかは不満で充満しています。うすうすむなしいとおもいつつ仕事をしている人たちは、むなしくなさそうな人たちをことあるごとに攻撃しています。そうした人たちが、労働条件をもう少しよくしようとしてストライキでもしようものなら、容赦のない攻撃がくり広げられます。そして、技術的条件によって仕事がどんどん不要になっていくという社会の趨勢のなかで、多数の人たちが失業状態になっていきます。そうすると、かれらに対して、残りの人たちのほとんどすべてから「怠け者」とか「たかりや」といった罵声が浴びせられます。つまり、この砂上楼閣は緊張感がみなぎっていて、いわば、ごく一部を除いてだれも得をしないというか、みんながみんなを不幸にしあう悪意のぶつけあいによって、ぐらぐらと揺れているのです。

 こうしてこの観察者は、その観察の結果を日本語の文字数にしておよそ6000字程度の小レポートとしてまとめ、ウェブに公開します。そのさい、この世界のかなりの人たちがみずからもうすうすそう感じながらやっている「どうでもいい仕事」に、「ブルシット・ジョブ」(BSJ)という言葉をつくってあてはめました。

無意味な仕事をする人々
 この小レポートは、いまの世界には、まったく無意味で有害ですらある仕事、しかも当人すらそう感じている仕事がたくさんあって、かつそれが増殖しているという、常識外れの内容です。というのも、ふつう、市場原理をもってムダを省き、効率化や合理化をはかることがなによりも重視されていて、したがって容赦のない人員削減があちこちで起きているのが現代だ、というイメージがとても強いからです。いったい、そんなお話がどう受け取られるのか、まったく無視されてしまうのではないか、と報告者も半信半疑でした。

 ところが意外なことに、すぐさま世界中からおどろくほどの反応があったのです。しかも、それらの反応の多くが、じぶんがなにをしているのか、なにに悩んでいるのか、怒っているのかわかった、という内容でした。

 その反応をみたある世論調査代行会社(YouGov)が、仮説の検証を買ってでることになりました。その小レポートの文言をそのまま引用してイギリスでの世論調査を実施したのです。

 すると、これもおどろくべき数字がでました。

 「あなたの仕事は、世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して、3分の1以上(37%)が、していないと回答したのです(しているという回答が50%、わからないと回答したのが13%)。報告者はこの半分ぐらいだろうと予想していたのですが、実際はその倍だったのです。それから、オランダにおける世論調査がつづきます。ここではもう少し高く、働く人の40%が、みずからの仕事にはたしかな意味がない、と回答したのです。

 報告者は、いまや統計的な調査によって、圧倒的なまでに証明されてしまったと感じました。

 それから、この報告者、すなわち人類学者のデヴィッド・グレーバーは、そのあとに追加でおこなった調査をふまえ、小論を一冊の大きな本にして、2018年に公刊します。それが今回とりあげる『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』という本です。

 日本語の翻訳書は2020年に岩波書店から公刊されました。わたしはその翻訳者の一人ですが、わたしたちもおもいもよらぬほど、日本でも大きな反響を呼びました。もちろん、このような入門書を柄にもなく書いているのも、そのためです。

 『ブルシット・ジョブ』は、たくさんの人がみずからの仕事の苦境を語る証言であふれていて、それだけをピックアップして読んでも大変おもしろいです。それだけでもなにか響いてくるものはあるとおもいます。

 それを分析していくグレーバーの語り口も、けっしてむずかしいものではありません。

 かれの語り口は、専門的領域をこえ、一般の人にもわかるように、明晰で、かつ興味深いエピソードとユーモアにあふれています。

 ただ、錯綜しているのです。書いているうちにあれこれいいたいことがつめこまれて、読む側は個々の議論に気を取られているうちに、筋を見失ってしまうことが多々あるのです。あれはおもしろかった、これは重大だとなるのですが、じゃあ、いったい全体としてなにをいってたの、と問われると、翻訳者ですら、あれ、どういうことだっけ、となることがしばしばなのです。

 また、やはり分量もあり、また密度も高いので、途中で挫折したという声も多くうかがいました。

 そこで、ここでは翻訳者の一人が、じぶんなりにかみ砕き、また補助線をひいて、なるべく多くの人がわかるような筋道をえがきだしてみたいとおもいます。

 わたし自身が迷宮にさまよいこむこともあるかもしれませんが、ご容赦いただきたいとおもいます。そういう場合は、遠慮なく飛ばしていただいてもかまいません。

『ブルシット・ジョブ』の論点
 さて、最初にかんたんに『ブルシット・ジョブ』の内容をまとめてみました。このラフなまとめのうちにも、この本をおおまかに構成する四つの論点がひそんでいます。

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(1)「ブルシット・ジョブ」とはなにか? どんな種類があるのか? (2)「ブルシット・ジョブ」に就いている人たちはどのような精神的状況にあるのか? (3)「ブルシット・ジョブ」がどうして、こんなに蔓延しているのか? (4)どうしてそのような状況が気がつかれないまま、放置されているのか? ----------

 作者のグレーバーは、ブルシット・ジョブ現象に三つの次元からアプローチするといっています。(1)はまず土台となる論点であるとして、おおまかに、(2)が【1】に、(3)が【2】に、(4)が【3】に対応すると考えておいてください。

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【1】個人的な次元。なぜ人々はBSJをやることに同意し、それに耐えているのか? 【2】社会的・経済的次元。BSJの増殖をもたらしている大きな諸力とはどのようなものか? 【3】文化的・政治的次元。なぜ経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか? なぜだれもそれに対応しようとしていないのか? ----------

 この講義は必ずしも『ブルシット・ジョブ』を読んだ読者を念頭においているわけではありません。もちろん、いったん読んでから、あるいは、手元において対照させながら読むと理解が深まることはいうまでもありません。でも、まだ読んでいないが内容については気になっている、これから読もうとおもっている、あるいはとても読めそうにないがなにをいっているか知りたい、といった読者にも、なるべくわかるよう、要するに、『ブルシット・ジョブ』を読まなくてもかなりの程度は理解できるように構成したつもりです。

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『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』では、ブルシット・ジョブの全体像を描こうと試み、論点を詳しく掘り下げています。仕事とは何か? 働くとは何か? 資本主義とは何か? 今、働くすべての人が「クソどうでもいい仕事」と向き合う必要があるのではないでしょうか。
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酒井 隆史(大阪府立大学教授)
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