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2021年12月07日16:22

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今は飽食の時代? 戦中・戦後育ちの私には抵抗がある!

フードファイターのMAX鈴木(41才)が、50才で引退するとのことである。

大食い、早食いが生活の手段になる!昔では、信じられない世の中である。彼が世に出たのは、ラーメン35杯を、40分で食べたときとか。8キロを食べることもあるそうだ。

タレントの場合は、2-3キロの丼などに挑戦する。また、食堂でも、大型すり鉢を使った、カツ丼や海鮮丼がでてくる。
そう言う世界もあり、職にしている人も居る。平和な国である証拠と言えよう。

しかし、戦中・戦後の食糧難の時代を生きた身には、“もったいない”が先に立つ。満足に食べられない国だと、何十人分の食事になるか。

戦後の食料難は戦時中よりひどかった。主食の配給はとぼしい。大隅半島の鹿屋市に住んだので、食べられる草木を探した。街で買えるのは、草パンだった。
配給の米が、ふすま(小麦粉を作ったときに出る皮)、米国援助のトウモロコシのこともある。どちらも家畜の餌である。干した“からいも(さつまイモ)”の粉のこともあった。あるとき、ベーコンが配給になった。当時の日本人は、初めて見る食料である。しかし、主食にはならない。
蘇鉄も食べた。後に調べたら、飢饉のときに食べることがある。有毒なので処理に注意とある。

鹿屋の2年目は、30坪ほど借りた畑で“からいも”がとれ、楽になった。父は教官だが国家公務員で、給料が500円で打ち切りの期間があった。職人の数日分の収入に当たる。
父母の苦労は、たいへんだったろう!
食べ物を残すことには抵抗がある。大食いの習慣もない。


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