mixiユーザー(id:644479)

2021年12月01日11:28

189 view

中共老人にとって文革は懐かしいイベント^^;

元紅衛兵の伯父は今も文革を夢見る
STILL WAITING
2021年11月30日(火)19時48分
キャロライン・カン(ジャーナリスト)

<文革の狂気にのみ込まれた優しいリーショイは間違ったことはしていないと現在も言い張る>

私の伯父(母の兄)の愛称はリーショイ。中国東部の大都市・天津の郊外に生まれ育ち、現在も年金を受け取りながら農夫を続けている。

伯父のことを悪く言う人はいない。みんな、「リーショイはいい奴だ」とか「正直者で、いつも陽気だ」と言う。私も子供の頃は、伯父が訪ねてくると聞くと、大喜びして家を駆け出し、今か今かとその到着を待ったものだ。ついに伯父がやって来ると、いつも肩車をしてもらい、その耳を引っ張ったりした。


そんな温かい思い出があるだけに、伯父が文化大革命のとき紅衛兵だった事実には当惑せずにいられない。

毛沢東時代の1966〜76年に起きた文化大革命は、社会全体を大混乱に陥らせ、人々にとてつもない痛みをもたらした。紅衛兵は、毛の常軌を逸したビジョンを熱狂的に実行に移した若者たちの組織だ。

何より困惑するのは、優しくて正直な伯父が、かつて紅衛兵だっただけでなく、自分が当時紅衛兵としてやったことを、現在も少しも後悔していないと断言することだ。

文化大革命が中華人民共和国の歴史における重大な誤りだったことは、既に国内外で定着した歴史認識になっている(中国共産党も1981年6月に採択した「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」で、文化大革命は「誤り」だったと表現している。これは後にも先にもただ一度、党が謝罪に最も近いことを述べた出来事だ。最近は高齢化した元紅衛兵が当時の行いを公的に謝罪したり、特定の人物に謝罪したりすることがブームにさえなっている)。

「洪水に押し流されるように」
私は2015年の4月と11月の2回、伯父に紅衛兵時代の話を聞いた。親戚にも伯父について、そして伯父という人間を形成した文化大革命について話を聞いた。

それによると1966年5月、村の拡声機から政府の発表が流れてきた。リーショイが18歳のときだ。「ブルジョア階級の代表が、われわれの党、政府、軍、そして文化部門に潜り込んでいる。彼らは反革命的な修正主義者であり、権力を奪うときをうかがっている」

さらにある晩、リーショイの父が子供たちのために、ロウソクの明かりで影絵芝居をしていたときのこと。外で太鼓とどらが打ち鳴らされ、「地主とその子供らを打倒せよ!」と叫ぶ人々の声が聞こえてきた。

「あの音は何?」と、リーショイの妹や弟が聞くと、「紅衛兵だよ」と、父は答えた。

それからさほどたたないうちに、リーショイの周囲の若者はほぼ全員紅衛兵になっていた。リーショイも紅衛兵になった。理由ははっきりしない。「洪水に押し流されるような感じだった」と、彼は言う。

当初は、紅衛兵になるといいこともあった。人民公社では政治活動に多くの時間が費やされ、農作業はあまりやらなくてもよくなった。弟や妹は学校に行く必要がなくなった。

ある日、「4つの古いもの」(古い習慣、古い文化、古い風俗、古い思想)を破壊せよという「上からの指令」が伝わってきた。そこで紅衛兵は、村の家々を捜索して、この漠然とした4つのカテゴリーに該当するものを押収することにした。それは伝統的な絵画かもしれないし、テーブルかもしれない。

真っ先に標的になった家の1つに、リーショイの祖父(私にとっては曽祖父)の家があった。祖父は少しでも処罰が軽くなるかもしれないと、書籍や絵画を自ら紅衛兵(そこには自分の孫もいた)に差し出した。紅衛兵はその本と絵画を庭に山積みにして火を放った。祖父は、さらに誠意をアピールするために、その火で湯を沸かしてみせた。

リーショイは他の紅衛兵に連れられて、村外れの墓地にも行った。彼らは先祖たちの墓を掘り返し、棺桶を破壊し、そこに納められていた宝飾品を略奪し、遺骨は地上に放置した。わが家の墓も荒らされた。

墓荒らしも「畑を作るため」
それでも、リーショイは申し訳なかったとは思っていない。墓荒らしの目的は、その土地を畑に転用するためだったからだというのだ。そして紅衛兵の仲間たちと何度も墓地に行ったことを認めつつ、自分は何も盗んでいないと言い張った。

宝飾品を盗んだのは「リーダーたちだ」と、リーショイは言った。「彼らが(奪った)金の耳飾りや腕輪をどうしたかは誰も知らない」。そして紅衛兵の仲間がやったことは「完全に間違っていた」と語る。

紅衛兵は、人々から大いに愛されていた舞台芸術である京劇も村から追放した。ある日、村の寺院を破壊した帰りに、京劇の舞台装置や衣装が保管されている倉庫に立ち寄り、それを焼き払ったのだ。

リーショイは一瞬、京劇をこよなく愛する父(私にとっては祖父)のことが頭をよぎったという。村で京劇が上演されるときは、父が出演することも多かった。リーショイが幼い頃は、息子を舞台に上げて、小さなセリフを言わせてくれたりした。

私の祖父は他界するその日まで、ラジオを傍らに置き、伝説の京劇俳優・梅蘭芳(メイ・ランファン)の歌に聞き入っていたものだ。それほど大切にしていたものを、かつて実の息子に焼き払われたことをどう思ったのか、私が祖父に聞くチャンスはなかった。伝統的な京劇が禁止され、8編の「革命模範劇」だけが上演を許されている時期、祖父が京劇の歌を口ずさむことは一度もなかったという。

ついに祖父もつるし上げに
やがて紅衛兵の標的は、モノから人へと移っていった。リーショイは変化を感じていたが、それを止めることも、自分を押しとどめることもできなかった。

当時、紅衛兵や準軍事組織の「民兵」がシュプレヒコールを唱える声が聞こえるたび、一家の子供たちは何が起きているのかを確かめに、表に駆け出した。ある日、紅衛兵らの声が近所の家の前で止まった。

そこに住んでいたのは60歳を超えた年老いた女性だった。夫が若いときに事業を営んでいて、そのせいで彼女は目を付けられた。写真の額の裏に隠されていた金の耳飾りを見つけた紅衛兵は、老女を外へ引きずり出し、腕ほどの太さがある木の棒で殴りつけた。

私の祖母から聞いた話によれば、同じ冬、村の数少ない地主の1人であるフーという男性が、中華人民共和国建国以前に「極度に罪深く、邪悪」な行為に従事していたことが判明した。

紅衛兵は凍結した川面に穴を開け、フーを大きな石に縛り付けて穴に押し込んだ。叫び声と水中でもがく音が聞こえた。それから辺りは静まり、風の音だけが聞こえたという。

恵まれた過去が復讐に来る
自分も同じ目に遭うのではないかと、リーショイの祖父は不安だった。財産は既に賭け事で失っていたが、いくつもの目が自分の過去をにらみつけているような気がした。若主人の身分にあり、儒教の教育を受け、第2夫人がいて、共産党政権樹立以前の国民党時代に村長をしていた過去を......。

かつて日本軍が村を通過した際、祖父は彼らと交渉し、寛大な処置と引き換えに食事や贈り物を提供した。

このときのことについて、孫娘である私の母が話を聞いたことがある。「日本軍はこの村の住民を誰一人殺さなかった。それは、私が力を尽くしたからじゃないのか?」と、祖父は言ったという。「近隣の村では大勢が殺された。間違ったことをしたとは思っていない」

だが文革当時は、そんなことは関係なかった。祖父は壇上に登り、批判を受けることを強要された。「反動分子」を意味する三角帽子をかぶらされ、自身が犯した罪を数え上げることを迫られた。

さらに報復が続き、家族も標的になるかもしれない。そう懸念したリーショイは、祖父の家を訪れて自己批判文を書く手助けした。

「祖父は年を取って目の病気にかかっていたから、話してくれることを私が書き留めた」と、リーショイは振り返る。「紅衛兵に受けがいいことを書くよう指導もした。いくつかの文章を覚えている。『私は1899年に生まれた。8歳のときから家庭教師の下で四書五経を学んだ。自らの過去を心から深く省みる』といった文章だ」

それでもリーショイは、祖父が味わった苦しみについて、紅衛兵を非難しようとはしなかった。

「私たちは忠誠心を持ち、毛主席の指針に忠実だった。もっと重要なことに、私たちは正しく有意義なことをしていると信じていた」。リーショイに言わせれば、中国の社会主義は「あの頃、反革命分子がもたらす大きな困難に直面していた」のだ。


ところが、76年になって全てが終わりを告げた。その年の7月、リーショイの村で起きた地震で多くの人が亡くなり、古い家々は崩れ落ちた。9月には毛が死んだ。10月、伯父は村の拡声機から新たな発表を聞いた。文革を主導した「四人組」が失脚し、革命は終結した、と。

「第2の毛」への落胆と期待
われに返ったリーショイは再び農夫になった。当時の写真の中の伯父は、白いシャツに緑の軍用ズボンに軍帽姿で、若々しく、うれしそうだ。

その後の展開は中国の社会主義にとっても、伯父にとってもよりよいものではなかった。中国は、自分が青春を犠牲にして守ろうと戦った価値観、つまり労働者や農民を国家のあるじとする社会主義を投げ捨てたと、リーショイは憤慨している。

若かった頃は、社会主義が無階級社会を実現すると信じていた。自分が「毛主席の優秀な生徒」だったことは、今でも誇りに思っている。毛が58年に開始した経済政策「大躍進」(飢饉を招く大失敗に終わった)の最中には、鉄鋼生産のために鉄製の農具さえも供出するよう、両親に訴えた数少ない子供たちの1人だった。いまだに毛のことは呼び捨てにせず、必ず「毛主席」と呼ぶ。

だが極度に格差が広がる現代の中国で、リーショイは皮肉な冗談めいた存在だ。天津の郊外で暮らし、収入は月額15ドル相当の年金だけだという。相変わらず政治談議が好きで、「文革の目的は正しかった」と譲らない。「今の中国社会には文革の前向きな精神が欠けている」

これは大真面目な主張だ。「文革の間は、誰も今みたいに権力を乱用しようとしなかった」と、リーショイは力説する。「農民や労働者が国家の真の主人のようだった。それが今はどうだ? 高官は権力者で、資本主義者があふれている」

中国国内の村落では、役人の一部は民主主義に近い手法で選出されている。それでも「奴らの99%は、賄賂を渡したおかげで選ばれたに決まっている」と言い張る。

2013年を迎えた頃、反腐敗運動に乗り出した習近平(シー・チンピン)国家主席の肖像が家の壁に飾られるようになった。伯父は興奮して、習のキャンペーンを毛が63年に始めた「四清運動」に例えていた。官僚機構の清浄化という名目の下で「反動分子」を排除しようとした運動だ。だが伯父にとって残念なことに、新たな文化大革命が始まることはなく、私が最後に家を訪ねたとき習の肖像は壁から姿を消していた。

リーショイは今も「そのとき」を待ち続けている。

From Foreign Policy Magazine
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/post-97564_1.php
支那大陸に在留する日本人はまさか文革が再発するなんて思っても見ないでしょう。
でも、火種はしっかりと燻っています^^;

習近平の国家主席3期目が決定したら、いつ始まってもおかしく無いです。
巻き添いにならないように注意しましょう。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年12月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031