『穴があったら入りたい』
取り返しのつかないような大きな失敗を、
ある時してしまったとします。
その時心の中に起こるのは、
誰にも合わせる顔がない、という、
辛くて耐えられない程の、
恥ずかしい感情かもしれません。
穴があったら入りたい、という慣用句は、
おそらくそのような心情を表現しています。
信用してくれていた人たちが、
信用してくれなくなるとしたら、
それは、辛い痛みです。
今まで好意的に思ってくれていた人たちが、
手のひらを返したように、
冷たくなるのかもしれません。
あるいは、笑い者にされ、
露骨にからかわれ、誹謗中傷を受ける、
という事があるかもしれません。
そういう事を正面から受け止められるほど、
誰もが強い心を持っている訳では、
ありません。
そんな状況が自分に作られれば、
全ての人との関係を断ち切って、
どこかへ姿をくらませたいと思います。
しかし、逃げる場所がどこにも思いつかず、
心を塞がせながら現状を耐え忍び、
もう生きている甲斐がないと、
死のうとする人さえいるかもしれません。
今ある人とのつながりをすべて切り離し、
今の住まいとは全く別なところへ行って、
新しく人生をやり直すことが出来れば、
解決できるという事があるかもしれません。
しかし、それが出来ない現実に直面して、
今ある生活の中でもがき苦しむ、
という事が、おそらく大半です。
そこで、ひとつ解決の道がある事を、
お伝えしたいと思います。
それは、自分自身が、
「この世」を意識し過ぎないという事です。
誰かが自分を笑い者にしたり、非難したり、
軽んじようとする、という事は、
「この世」という、はかない枠組みの中で、
起こっている事に過ぎません。
しかし、永遠なる神様に心を向けて、
神様とのつながりの中で生きるのなら、
「この世」のことなんて、ちっぽけです。
そして、神様とのつながりについて、
誰かと共有することが出来るのなら、
誰が自分をどう評価しようと、
それは世の中の小さな一部分にすぎない、
という受け止め方ができます。
神の価値観はすべての人に開かれています。
いつも聞いて下さり、
ありがとうございます。
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