『コインは円形か』
高校の国語の教科書の中に、
「コインは円形か」というタイトルで、
ある哲学者の評論が紹介されています。
コインはどんな形かと聞かれれば、
円形だと答えるのが、一般的です。
平らな場所に落ちているコインを、
上から見れば、円形なのです。
しかし、コインを手に取って、
横から見れば、長方形です。
コインはつまり、長方形でもあります。
そして長方形としてのコインは、
例えば貯金箱や自動販売機の投入口など、
身近なところに、その性質を現しています。
つまり、コインは円形である、
という理解に一番馴染みがあるために、
コインと言えば円形と思ってしまいますが、
実は、円形とは見なさない見方もある、
という事が言えるのです。
物事には一般的な見方とは別に、
違う角度からの見方というものがあり、
関わる相手に対して思いやりを持つために、
相手のものの見方を認める必要がある、
という事が、評論の中で語られています。
同じものを見ていても、
自分の見方と、相手の見方は、
違う場合もあるのです。
自分の見ている見方以外に、
例えばどんな見方があるのか、
という事を、沢山考えることの出来る人は、
それだけ、相手を理解する力を持っている、
深みのある人間だ、という事が言えます。
ところで、学校では一般的に、
生命はこの世界に偶然によって発生し、
長い年月をかけて進化を遂げて、
人間が誕生した、という事が教えられます。
しかし、この事は誰も実証してはおらず、
一つの仮説に過ぎません。
これを真実だと言ってしまうのは、
コインは円形であって他の見方はない、
と言ってしまうのと、同じです。
この世界は、ある作者によって創られた、
という考えがあってもいいのです。
神様を信じる、という事は、
世の中の考え方に対して、
違う切り口を持つ、という事です。
盲目になることではありません。
世の中の法則に対して神様の法則があり、
自分の見方に対して神様の見方があると、
そのように考えられるという事は、
ものの見方を固定化せず、
新しい見方を常に取り入れる力となります。
いつも読んで下さり、
ありがとうございます。
ログインしてコメントを確認・投稿する